日本の政治は悪くなったのか 特別編集委員・星浩
2016年1月31日5時0分
http://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S12186971.html?_requesturl=sp/articles/DA3S12186971.html&rm=150
30年余、政治記者を続けてきた。締めくくりのコラムとして、日本の政治は悪くなったのか、考えてみたい。
通常国会は甘利明・前経済再生相の疑惑などで序盤から熱を帯びている。論戦の中心は、安倍晋三首相と岡田克也民主党代表との対決だ。私にとってこの構図は自分の取材してきた政治の一つの到達点に見える。
簡単に振り返ってみたい。1985年、中曽根康弘首相を追いかける「番記者」になった。当時は、政権を握り続ける自民党と万年野党の社会党という55年体制だった。竹下登政権では、消費税導入という難事業をやってのけた。業界の代表と官僚が自民党の族議員の下に集まり、「調整」という名目で密室のさじ加減をする。それが政治の日常だった。
ある日、頭をガツンと殴られたような衝撃に見舞われた。権勢をふるっていた金丸信元副総理が建設業界からヤミ献金をもらい、巨額の脱税をしていたことが発覚。事務所からは大量の金塊が見つかった。自民党一党支配の政治が、根深い腐敗を生んでいたのだ。毎日取材しているのに、その暗部を見抜けなかったことが情けなかった。
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どうすればよいのか。金権の温床は中選挙区制だから、小選挙区制を導入すれば政治は刷新されるという政治改革論議が高まった。私は疑問を感じていた半面、自民党に対抗できる勢力がないことが緊張感のない政治の原因だとも考えていた。93年、岡田氏は政治改革を訴え、小沢一郎氏らとともに自民党を離れて新生党を結成。安倍氏は自民党衆院議員として初当選したが、自民党は野党に転落した。この時点で2人は交差して与野党に別れた。
小選挙区制が導入され、衆院選は7回重ねられた。小泉純一郎政権で自民党は息を吹き返し、安倍氏が頭角を現した。06年には首相に就くが、1年で退陣。挫折を味わった。岡田氏は民主党代表、幹事長などを務め、09年には念願の政権交代を実現した。だが、その政権も3年余りで崩壊。安倍氏の復権を許すことになる。岡田氏は1年前に代表として再登板。2人は与野党のトップとして、がっぷり四つの国会論戦と国政選挙に臨む。
集団的自衛権の行使容認に伴う安全保障法制は2人の違いを鮮明にしている。憲法解釈を変更して海外での武力行使に風穴を開けようとする安倍氏。十分な説明のないまま採決に持ち込んだ手法に多くの国民が疑念を抱いたのは当然だ。一方、岡田氏は立憲主義を唱えて憲法の解釈変更に強く反対したが、成立を阻止することはできなかった。「戦後レジーム」の転換を掲げてきた安倍氏と戦後民主主義を評価する岡田氏との対立軸も見えてきた。
経済政策では、安倍氏が成長によって懸案が解決できると説くのに対し、岡田氏は公正な分配や格差縮小が急務だと主張する。米国や中国との向き合い方にも隔たりがある。
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小選挙区制は、二大政党が政策を中心に切磋琢磨(せっさたくま)する政治をめざした。まだ道半ばだけれど、「安倍VS.岡田」という選択肢を示せるところまでたどり着いたというのが、日本政治の現実ではないか。ひと昔前に比べ、政治家は小粒になり、質も良くなっているとは言えない。ただ、それでも権力者が金塊をため込む政治に比べれば、少しは前進していると思いたい。これから、もっと鍛え上げなければならない。その主役は、もちろん国民だ。民主主義も平和も、「守る」だけではなく「創る」ためにはどうすればよいのか。さらに考え抜く必要がある。
日本の政治は悪くなったのか――。私は「否」と答えたい。政治家が明確な選択肢を示し、有権者が熟慮の末に賢い判断をすれば、民主主義は生き生きとしてくる。その素地は出来つつあると信じているからだ。
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星特別編集委員のコラムは今回で終わります。
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