2016年2月27日土曜日

2月25日報道ステーション特集「安倍総理憲法改正の原点」書き起こし

2月25日報道ステーション特集「安倍総理憲法改正の原点」書き起こし(更新中

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写真
http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/858.html

古舘≫特集安倍総理憲法改正の原点です。
これご覧になったら何か所かは驚かれる部分があると思いますね。
そもそも、59年前になりますが安倍総理のおじいさんであります当時、総理だった岸信介氏が憲法調査会をスタートさせたわけです。
メンバーとしては国会議員が20人。
そして、評論家など有識者の方々が19人という構成でありました。
さて、その憲法調査会だいぶ昔でありますが。
そもそも、現代になりましてつい最近のことですが86歳になるジャーナリストの鈴木昭典さんという方がいらっしゃいます。
この方は憲法を研究、そして取材ずっとやってこられた方なんですが、その方が国立公文書館。
そこに入っていろいろと調べたり取材をしている最中にあるものを見つけたんです。
段ボールの箱です。
なんと、その中には全く未整理であったあの憲法調査会の議論がずっと行われているその肉声が入ったテープを見つけたんです。
公文書館にお願いをして鈴木さんはこうやって、現代のCDに全部、60時間以上のその会議の模様をコピーしていただいたわけです。
そして、ご本人がずっと聞いて60時間以上のものを。
ここはというところを11分ちょっとにまとめたことをこれからご覧に入れます。

==テープ始まり==

今から59年前の1957年
安倍総理の祖父、当時の岸総理は憲法改正を目指して具体的な検討を始めた。
舞台は、内閣に設けられた憲法調査会。
当時の映像に音声は残されておらず詳細は知られていなかった。
今回、私たちは実際の議論が録音された貴重な音声データを国立公文書館で発見した。
60時間以上にわたるその肉声からは岸総理に近い政治家たちが主導していた激しい改憲論が聞こえてきた。

≫当時まだ40代の中曽根元総理と調査会会長との激論もあった。
会長は英米法学者の高柳賢三氏で憲法制定に実際関わった人物だ。

憲法調査会が始まったのはGHQによる占領が終わり日本が独立を回復して5年後のことだ。
A級戦犯となった岸信介氏はじめ戦時中、大臣などを務め追放された政治家が次々と政界復帰していたころでもある。
こうした公職追放組が憲法の中身よりも成立過程を問題視するいわゆる押し付け論を展開した。

≫岸総理が始めた憲法調査会で改憲派は、憲法を日本人が全面的に書き直すべきだと主張したのだ。

≫押し付け論に異を唱えたのはリベラルな学者たちだった。

改憲派の狙いは戦争放棄を定めた憲法9条だった。
日本は戦力を持たないとしたものの朝鮮戦争を機にアメリカの要望に応える形で警察予備隊を創設。
そして、1954年自衛隊が誕生した。
時は米ソ冷戦の真っただ中。
改憲派は非武装中立では現実に対処できないと主張したのだった。

≫この9条の議論でも押し付け論が問題となった。
戦争放棄の条文は誰の提案で生まれたのか。
GHQのマッカーサー最高司令官だったのかそれとも当時の幣原総理だったのか。
今回、発見した音声データには憲法調査会が開いた公聴会でのある証言が残されていた。
憲法制定当時中部日本新聞の政治部長だった小山武夫氏のものだ。

(投稿者追記)
小山「第9条が誰によって発案されたのかという問題が当時から政界の問題になっておりました。ま、そこで幣原さんにオフレコでお話しを伺ったわけであります。その第9条の発案者という限定した質問に対しまして幣原さんは「それは私であります。私がマッカーサー元帥に申し上げて」そして本人が「第9条の条文になった」ということをはっきり申しておりました」
(追記終わり)

調査会はGHQの最高司令官を務めたマッカーサー本人からも書簡で直接証言を得ていた。



≫調査会はGHQの最高司令官を務めたマッカーサー本人からも書簡で直接証言を得ていた。

(投稿者追記)
マッカーサー(原音声英語)「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は幣原総理が行ったのです。私は驚きましたが私も心から賛成であると言うと総理は明らかに安堵の表情を示され私を感動させました」
(追記終わり)

≫今回、憲法調査会の音声データを発見したジャーナリストの鈴木昭典さんは16歳のとき、新聞で初めて新憲法について知った。
当時の1面に象徴天皇、主権在民戦争放棄いわゆる3原則が躍っていた。

≫憲法調査会が始まって3年。
憲法改正を目指した岸総理は日米安保条約改定に反対する声が日本を覆う中退陣に追い込まれた。
代わって誕生した池田政権は所得倍増を掲げた。
時代が安保から経済へと移り行く中で憲法調査会は更に4年続く。
しかし、憲法を改正するのか、しないのか。
結局、結論を出さないまま幕を閉じた
調査会の会長、高柳氏は最終盤でこう述べていた。

第9条は1つの政治的宣言であると解釈すべきである。

≫憲法調査会が幕を閉じてから半世紀。
再び反対の声が国会を取り巻く中安倍総理は安保法を成立させた。
そして、祖父が果たせなかった憲法改正への道を突き進む

==テープ終わり==

古舘≫木村さん、ご専門の立場でぜひお伺いしたいところいっぱいあるんですけど私、まず驚いたのは今と59年前が本当に合わせ鏡になっていると。
それからこれは私の感覚ですけれどもやっぱり、戦争責任があるといわれていた人たちあるいは公職追放組
そういう方々には私憤や怨念やいろんな思いがGHQに対してもアメリカに対してもあったかもしれない
そういうものが憲法改正して自分たちの憲法を作るんだというところにやっぱり感情的に感情的じゃないといっても感情的に聞こえるところがある
ビックリすることだらけだったんですけど。

木村≫やはり、押し付け憲法論のまま思考停止している人が結構いるということだと思うんですけども。
また安倍首相も国会で押し付け憲法論を振りかざすまでにいたっていますが今の憲法がGHQの押し付けだというのは過程の議論としては不十分と言わざるを得ないと思います。
まず日本政府は太平洋戦争を終結するためにポツダム宣言を受諾したわけですがそのポツダム宣言には民主主義の復活効果それから基本的人権の保障の確立が条件とされていてこれは国際社会の当然の要求であると同時に当時の国民の願いです。
GHQは日本に憲法改正を望んでいたんですがしかし、その内容が民主主義の復活強化という部分にはあまりにも不十分だったということで原案を作るに至ったわけですね
また、そのあとにこれは英語で書かれていて日本法に明るくないということですから日本の官僚や政治家が翻訳作業や日本法との整合性をとる。
ここでしっかり日本にふさわしい原案を政府案として作って帝国議会に提出したわけです。
更にその帝国議会は日本初の男女普通選挙で選ばれた帝国議会の議員たちが審議をして成立したということですからこれを押し付けだと評価するのは当時の国会議員、官僚そして、彼らを選挙で選んだ国民への侮辱になっているということに気づくべきですね

古舘≫そういう捉え方ですね。

木村≫もちろんGHQの占領が終わった段階で改めて見直そうという動きがあることは理解できるんですがしかし、なぜ改正が行われなかったのか。
それは、自民党内の改憲派が望むような改憲案が国民が支持してこなかったということであって70年近くにもわたって憲法が改正されなかったのはまず、日本国憲法が世界に照らしてもかなり優秀だったこともありますが更に国民が望むようなよりよい憲法にするような提案を国会議員がしてこなかったということだと思います。
国民主権原理のもとでは憲法というのは国家が憲法を乱用して、国民の自由、権利を侵害することを防ぐためにあるわけです。
ですから憲法改正を実現したいのであればこれは押し付け憲法論というのをアピールするのではなく憲法に対する感情的な反発ではない
どんなことなのか。
これを考えてアピールすべきだと思いますね。

古舘≫そこですよね。
さっきのああいう議論を聞いていますと女性の方があの戦争の悲惨さ国民はどう味わいをしたか。
それがどういう今心境になっているかとおっしゃっていて非常に印象に残りました。
そのほかの改憲の方々の話を聞いていると国家と自分というのを同一視して。
まず国家としてどうなんだとなるんですがそれも大事かもしれませんが国民1人で構成されている国民のための国家だと考えたときに戦争にいって死んだ人悲しい人、行かなかったけどどれだけ苦しい思いをしたかそういった人を考えたら、そう簡単にいろんなことは大成できなかったんじゃないかなと思います。

木村≫憲法はその国をその国たらしめているものです。
将棋が将棋のルールなしに存在しないように国家というのは憲法なしには存在しないわけですし国家を大事にするということは憲法を大事にするということ。


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