いわゆる保守の方々と腰を据えて話をしていると、彼らが「規範」や「倫理」に重きを置いていることがよくわかる。対して私は「法」や「論理」を基準に物事を判断する。文字にしてみると似ているようで、実質は全く異なる「基準」をそれぞれ持っている。
けれど分かり合えることは沢山ある。
「考え方が異なるから絶対に話さない」というのではなく、「考え方が異なるからこそ話をしよう」と最近強く思う。誰と誰は味方同士で誰と誰が敵、誰それと話をしたら「裏切り」で、この人たちとは何があっても信頼関係、という思い込みでなく、一対の人間同士として向き合って行けたらと切実に思う。
今日、とある雑誌の取材をして頂いた中で「ヴァイツゼッカー氏を尊敬しているのはなぜか」という質問があった。
ヴァイツゼッカー氏は人と人を分断するのではなく「つなぐ」考えの政治家だったから深く尊敬している。仕事で辛い時には永井清彦さんが翻訳した演説集『言葉の力』を繰り返し読んでいる。
ケンカをすること、議論をすることは「分断」ではない。衝突や齟齬が生まれることを恐れることのほうが危険だと感じる。ただし、相手の尊厳を傷つけるような言葉で他者を貶めることは決して「議論」ではない。相手を論破することが目的の言葉やロジックの濫用と浪費も「つながり」は生まない。
そのことを最近ずっと、ずっと考えている。
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