2016年1月31日日曜日

小西誠さん:メディアは、フィリピン戦争の恐るべき実態を報じているのか?



メディアは、フィリピン戦争の恐るべき実態を報じているのか?
フィリピンでの戦争について、テレビなどでそれなりに報道されている、メディアは報じているというご意見がありましたので、それについて少し解説致したいと思います。
問題は、メディアはフィリピン戦争の犠牲者約111万人のほとんどが、旧日本軍による虐殺であることを、実態としていくらかでも報道していたのでしょうか? 僕の知る限り新聞では朝日が、バタンガス州リパの大虐殺について一部を報じていただけです。
ご存じのように、フィリピンの戦争は、1941年12月~42年5月と1944年10月~45年8月の短い期間です。実質1年に満たない期間です。ですから、中国への15年戦争のように、長い期間の占領と虐殺が続いたわけでもありません。
この短い期間に殺されたのは、日米軍の戦闘一般ではなく「ゲリラだ、ゲリラに協力している」として住民の無差別虐殺が繰り返されたからです(バタンガス州リパの虐殺など)。
約111万のフィリピン人死者のうち、推定で約90万人の住民虐殺が行われたという数字があります。
別の観点から見ると、1941年12月の日本軍のフィリピン占領以後、日本軍は広大なフィリピンの「点と線」しか確保しておらず、特に1944年以降はそうですが、フィリピン人ゲリラの総蜂起にみまわれたのです。
よくフィリピン戦争を「日米戦争」のように報道していますが、最初からフィリピン戦争は、日本対「米比」の戦争です(バターン「死の行進」の犠牲者の多数もフィリピン兵の捕虜)。
そして、天皇の「おことば」で触れられている、マニラ市街戦のフィリピン人死者も、日米の市街戦による死者一般ではなく、70%が日本軍による住民の無差別虐殺です。
つまり、日本軍はマニラ市民を「人質」(人間の盾)にとり、市街地に立てこもり(あのマッカーサーでさえ、「マニラ無防備都市宣言」をしてバターン半島に立て篭もったにもかかわらず)、日本本土防衛のための「長期持久戦態勢」を採ったということですが、ここで絶望的に追い詰められた日本軍が住民虐殺で「対抗」したわけです。
最後の戦闘が行われた、市内のイントラムロスだけで約4千人の子ども達を含む住民が殺されたと言われています。
マニラ市内にも、フィリピン各地にも、日本軍による住民虐殺の多数のメモリアルがありますが、この事実を報じてこそジャーナリズムではないでしょうか? 
(写真は、左から、イントラムロス内の「MEMORARE MANILA 1945 MONUMENT」、イントラムロス内の「サン・アグスティン教会内の慰霊碑」、サンチャゴ要塞近くリサール記念館横にある「住民虐殺」の慰霊とその説明文。撮影・小西、著作権フリー)

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