2017年12月30日土曜日

枝野幸男"菅官房長を高く評価する理由"

枝野幸男"菅官房長を高く評価する理由"
「菅さんは歴代の3本の指に入る」
http://president.jp/articles/-/24078?display=b

野党第一党の党首となった枝野幸男氏の動向が注目されている。今年10月、総選挙投票日の20日前に民進党所属の枝野氏は、「立憲民主党」の設立を表明。小池百合子都知事率いる希望の党の惨敗を尻目に54議席を獲得。だが、国会では自民党とその他大勢という一強多弱の構図は同じ。立憲民主党の目指す道とは――。
「あれっと思ったのは結党の当日、10月3日です」

立憲民主党 代表 枝野幸男氏
――どなたが立憲民主党と命名されたのですか。
【枝野】私です。
――党名には、どういう思いがこもっているのでしょうか。
【枝野】立憲主義を守るというのが、結党の経緯で、重要な立ち位置・柱だと思いました。立憲主義があまりにも忘れ去られていることへの危機感が背景にあり、それで「立憲」という言葉を改めて掲げないと、という思いです。
――安倍政権では立憲主義がないがしろにされているという考えですか。
【枝野】明らかにないがしろにされていると思います。少なくともそれまで政府見解でも否定されていた集団的自衛権の解釈変更は、立憲主義で許されている範囲、憲法解釈の変更で許される範囲を超えている。立憲主義は憲法による権力の制約をしている。安倍政権では憲法に縛られている側(権力=政府)が自分を縛っている憲法の解釈を不合理に緩めたといえます。これでは縛っている意味がない。権力が権力たる正当性の根拠は、憲法で与えられており、その憲法を守らなければ、権力としての正当性がないということです。
――突然の結党で、準備不足だったと思います。選挙期間中に手ごたえを感じたのは、いつごろからですか。
【枝野】あれっと思ったのは、結党の当日、10月3日です。その前日に私1人で結党の記者会見をやり、翌朝、東京都の選挙管理委員会に総務省あての設立届を提出し、夕方、有楽町で初めての街頭演説をやりました。ほとんど準備も告知もしていないのに、たくさんの人が集まっていた。しかも幅広い層の人で、その熱がすごかったんです。僕はそのときに1番手ごたえを感じた。悲壮感でいっぱいだった記者会見から、頑張れば一定の結果を出せるという確信を持たせてくれました。
――選挙で多く支持された理由をどう分析していますか。
【枝野】国民の顕在化されていなかったニーズ――政治に対する不信・不満というものに応える、あるいは応えてくれるのではないかと期待される存在と、認めていたのではと思っています。
民進党などは政権を取ることが目的化しているかのように受け止められていたのだと思います。政党の合従連衡が繰り返される中で、それぞれの政党の主張、立ち位置があいまいになっていたのではないか。それに対して立憲民主党は明確な主張を掲げ、いわゆる野党同士の数合わせへのアンチテーゼの立ち位置にあると受け止められた。それが、国民の潜在的な期待に応えることにつながったと思っています。

「私は宏池会、石橋湛山の流れにある。“左派”ではない」
――立憲民主党の理念あるいは立ち位置を、再確認させてください。

(右)菅義偉官房長官(共同通信イメージズ=写真)
【枝野】1つ目は立憲主義を回復させる。2つ目は、いわゆる草の根の民主主義、まっとうな民主主義を取り戻す。民主主義とは、たまたま議会で多数派を取った者が、選挙民から白紙委任をされたことではないのです。個別のテーマになると、議会の多数派の意思と民意がずれるのはむしろ普通なのだから、しっかりとその草の根の声に耳を傾けて、政治を進めるべきです。3つ目は、トリクルダウン型(富裕層がさらに豊かになれば、しずくがこぼれ落ちて全体も豊かになるという考え方)の経済社会運営ではなくて、ボトムアップ型の経済再生を図る。
――立ち位置というと、どうしても右派、左派、あるいは中道という言い方のほうが、わかりやすい。そういう捉え方は古いのでしょうか。
【枝野】私は、そういう概念とは別次元に立っていると思っています。右か左かではなくて、上からか下からかというのが、国際的に見ても、21世紀の対立軸だと思います。
つまり、豊かなものをより豊かにしてトリクルダウンを起こすという考え方か、むしろ社会を下から支えて押し上げる。つまり、格差を小さくしていくことによって、消費も拡大していき、経済を成長させていくボトムアップ型かが、この対立軸だと思います。
――それならば「中道左派」みたいな言い方のほうが、わかりやすいのでは。
【枝野】日本における左派の定義は、国際的なものとは違うと思います。それに所得分配政策は、それこそ自民党の保守本流もやってきた。その分配政策に重要度を置くという意味では、私自身は宏池会(池田勇人元首相が設立した自民党の派閥)の思想的な流れにある。あるいは石橋湛山(第55代首相)の流れにあると、自分は思っています。彼らを左派とは言わないですよね。
――憲法改正論議が本格化します。これに対する基本的な姿勢は。
【枝野】憲法がいい方向に変わるのであって、なおかつ変える必要があるのであれば、それには積極的に取り組みます。悪く変わることに対しては、断固として戦います。少なくとも憲法第9条違反の法律をつくってそれを追認するようなことは、立憲主義論としてありえない。今の集団的自衛権の考え方は、自衛権行使の限界が不明確かつ広範にすぎる。したがって「立法論」としてもありえないという立場です。




自民と同じ「自衛力強化」「米軍との関係強化」
――国民の大多数が自衛隊の存在自体については認めていると思います。単純に自衛隊の存在を明記することにも反対ですか。
【枝野】単純に明記してしまうと、今回以上に解釈が変わります。例えば9条第3項に自衛隊なり自衛権を認めると書き込めば、1項、2項、ほとんど無効化します。したがって、フルスペックの集団的自衛権が可能になると解釈するのが、普通です。そもそもが、集団的自衛権の一部行使を認めているのですから、自衛隊を書き込めば少なくとも現状の安保法制を容認することになる。このように解釈によって、歯止めがきかなくなることが問題なのです。
――どうやって安全保障体制を構築するのか、それが伝わってきません。
【枝野】伝わらないのは当たり前で、大きく違わないからです。われわれも北朝鮮に対しては、対話以上に圧力が必要だし、万が一の場合に備えて、自衛力は強化すべきであると考えています。米軍との関係も強化すべきであると。これも自民党と変わりはなく、大きな方向性としては共通です。責任ある政党として、やみくもに与党に反対しているわけではありません。
――日米安保条約が日本の安全保障にとって軸になるとお考えですか。
【枝野】もちろんです。個別的自衛権の範囲内での自衛隊は合憲だし、日米安保は健全に強化すべきである。それが立憲民主の立場です。
――経済政策については、どのような施策をお考えですか。
【枝野】低賃金で人手不足の公的サービス分野に財政出動し、そのことによって賃金を引き上げる。2つ目、労働法制の規制を強化する。そのことによって格差の拡大防止と是正を図る。分配なくして成長なしです。
――賃金引き上げなどの財源は。
【枝野】当面は公共事業の予算を回せばいいんです。公共事業の財源である建設国債を減らし、赤字国債で財源を調達する。赤字国債なら、そういうところに予算を投じることができます。現状で緊縮政策は取れません。今の消費不況の状況で、財政支出の規模を小さくすれば、それこそ不況が深刻化します。緊縮財政が取れないということは、増税、とくに大衆増税はできない。それは緊縮財政と同じことですから。
――2019年10月実施予定の消費増税については、「凍結」という立場ですね。
【枝野】凍結の1番の理由は、今は消費不況であり、しかも心理的な要因がすごく大きい。消費税率を引き上げたら、必ず消費不況を加速させるからです。消費不況から脱却して、消費が着実に右肩上がりになるような状況をつくらなければ、消費税率は上げられない。それから、法人税を減税しておいて大衆増税するのでは、納税者の理解を得られない。おカネに色はなく、増税で財政的な余裕ができると、結局、社会保障以外の分野にも予算をと、無駄遣いへと戻っていく可能性がある。

「総理を守り支える」という意味で、有能な菅官房長官
――枝野代表は現場感覚があると評価されることがあります。民主党政権時代には、官房長官を務め、東日本大震災も経験された。そういう経験から出てきているんでしょうか。
【枝野】現場感覚、そうですかね。それは、私のキャラクターだと思います。イデオロギーとか、空理空論とかに一貫して関心がないので。

時事通信フォト=写真
――菅義偉官房長官はどう映りますか。
【枝野】総理を守り支えるという意味では、大変有能な、歴代稀に見る、3本の指に入る官房長官だと思います。それが日本にとって幸せかどうかというのはまた別ですが。
――官房長官の仕事の難しさとは。
【枝野】霞が関の調整や、政府与党の調整などの総合的な調整です。それは場合によっては強引に結論を押し付けなければならないこともあります。また、それで不満が前に噴き出しすぎては困るわけです。そういったことを目配りしながら、結論をしっかりと出していっているという意味で菅長官は大変有能な人だと思います。ただ支え、守る対象である安倍晋三首相の向かう方向が間違っていると思うので、せっかくの能力が生かされていないと思います。
――福島第一原発の事故の際、当時官房長官だった枝野さんが全然寝ていないとネットで騒がれました。官房長官とはそれほど大変な仕事なのですか。
【枝野】震災と原発事故のときは特殊な状況ですから、ちょっと比較ができる状況ではないです。ただ、霞が関を総合調整するときの、各役所の癖があるわけですよね。この役所はこういうことに弱いとか、この役所はこういうふうに自分たちの主張を通そうとしてくるとか、そういう感覚は、あのときに知りました。役所によって全然感覚が違うのです。だから、相手を読んで先手を打つことを覚えました。
――今回の新党の立ち上げという大きな決断の中で学ばれたことは。
【枝野】今回の出来事で言えば、結果論ですが、やはりぶれてはいけないということ、その1点です。筋を通すことが大事である一方で、政治は“妥協”でもある。みんなが自分の主張を押し通し続けていたら、何もまとまらないので、基本的には妥協の芸術なんですね。だが、許される妥協の範囲と、越えてはいけない線があって、越えてはいけない一線を越えたら、筋を曲げた、ぶれたということになる。そのラインを見極めるというのは、政治家にとってものすごく難しいが、ラインを越えることになると思ったときには、ぶれないでやってきたつもりです。
――立憲民主党は女性に多く支持されているように見えます。
【枝野】民主党以来の懸案を、今クリアできているんです。圧倒的に男性のほうの支持率が高かったのが、初めて女性のほうが高くなったんですよね。
枝野幸男(えだの・ゆきお)
立憲民主党 代表
1964年、宇都宮市生まれ。東北大学法学部卒業後、24歳で弁護士。29歳で政治家に転身し、衆議院議員に初当選(以後、当選9回)。中学、高校と合唱部に所属し、現在も趣味はカラオケ。双生児の男児の父親。

171228「一丁目一番地で裏切った人が…」共産・志位氏に聞く

「一丁目一番地で裏切った人が…」共産・志位氏に聞く
聞き手・石松恒

朝日新聞 2017年12月28日3時12分
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASKDT6V2FKDTUTFK019.html?rm=344


 野党勢力が細分化されるなかで、「野党共闘」はどこに向かうのか――。共闘を引っ張ってきた共産党は先の衆院選で、野党の共倒れを避けようと、自発的に小選挙区の候補者を取り下げた。その結果、野党全体の議席数は増えたが、共産は21から12に激減した。次の参院選に向け、「共闘と党の躍進の両立」をめざすことにしたという志位和夫委員長に聞いた。


 ――共産党にとって衆院選は厳しい結果でした。


 「野党が共闘して勝利を、という努力の最中に、民進党が希望の党と合流して、重大な逆流が持ち込まれた。それを乗り越えるため、67の小選挙区で候補者を取り下げた結果、共産、立憲民主、社民3党では公示前の38から69に伸びた。一方的(に候補者を取り下げる)対応をやったことに悔いはなく、正しかったと確信している」
 
 「野党共闘と党の躍進は両立できる」と衆院選を総括しましたが、本当にできますか。


 「可能だ。今度の衆院選でも、市民と野党の共闘が安倍政権に代わる受け皿だと広く有権者に伝わる戦いができたところでは、両立する結果が出ている。無所属の野党統一候補を各党が支援した新潟3、4区では野党候補が勝ち、共産党も比例票を伸ばした」


 「党の力不足は率直に認めなければならない。『共産党は政策はいいけどちょっと』という人が多く、いろんな誤解もある。『他に入れるところがないから』ではなく、綱領、理念、歴史、丸ごと共産党のよさを伝え、積極的な支持者を広げる取り組みをはじめた。SNSを使ったサポーター制度やしんぶん赤旗の電子版もはじめる。党独自の努力が必要だと痛感している」


 ――共産党への疑問が解けないのはなぜですか。


 「つぶれたソ連のような覇権主義・専制主義の体制をめざすのか、中国のような1党制をめざすのか、という誤解がかなり広くある。実際にはソ連や中国の干渉をはねのけてきた自主独立の歴史がある。自由と民主主義を将来にわたって継承、発展させると綱領に明記している。誤解を解くには我々の側の努力がいる」


 ――そのために党の自己改革が必要だと。


 「そうです。私や小池晃書記局長、党三役も参加して、党への疑問や意見にこたえる双方向の対話集会を全国津々浦々でやっていく。安保法制廃止をめざして2015年9月から共闘をすすめてきたが、それを前にすすめるうえでも党のよさを丸ごと伝える活動がいよいよ大事だ」


 ――思い切って党名を変えたらどうですか。


 「変えるつもりはない。人類の歴史は資本主義で終わりでなく、社会主義・共産主義にすすむという理想を刻んだ名前だ。党名を変えるときは、国民に顔向けできない誤りをやったときだ。平和と民主主義を命がけで守り抜いてきた95年の歴史に自信を持っている」


 ――綱領はどうですか?


 「いま変えなければならないと感じるところはない。むしろ内外情勢に非常になじみ、綱領のめざす方向がいよいよ力を発揮していると感じている」


 ――19年の参院選では「一方的な対応は取らない」と決めました。候補者の取り下げには応じないということですか。


 「次の参院選では、互いに譲り合い支援しあう、相互支援の本格共闘をめざす。一方的な対応はやらないと、先の中央委員会総会で決めた。総会決定は党大会決定につぐ重い決定で、執行部や委員長である私も決定や実践に責任を負う。共闘相手の政党にも、ぜひ乗り越えてもらいたいところだ」


 ――16年参院選も結局は候補者を降ろしました。


 「共闘でたたかう最初の選挙であり、まず成功体験を積むことが大事だと考えた。次の参院選は、市民と野党の共闘をさらに発展させ、32の1人区で野党統一候補を実現する。自公を破る戦いを全国的に展開する決意でのぞむが、一方的な対応はやらない」


 ――相互支援や共通公約で合意できなければ候補者は降ろさないと。


 「そうです」


 ――与党を利する結果になりませんか。


 「そうならないようにやりましょうと言っている」


 ――前回は1人区のうち31選挙区を他党に譲りました。


 「次はお互い納得できる形にする。1人区の候補者をどう配分するかは、直近の国政選挙の比例票が一つの目安になる」


 ――民進は希望や立憲との再結集をめざしているが、希望とは組めますか。


 「野党共闘の『一丁目一番地』は安保法制の廃止と立憲主義の回復。こんな憲法違反の政治を横行させたら日本の政治は土台から崩れる、と。この一丁目一番地で裏切った人たちがつくった政党が希望の党だ。基本的な評価が変わることは現状ではない」


 ――衆院選後、ネット上では志位さんの引責辞任の情報が駆け回った。党執行部の責任を問う声は出ませんでしたか。


 「まったくなかった。選挙後の総括でいろんな意見を聞き、アンケートも取ったが、そういう声はない。共闘は私たち執行部だけがやっているものではない。『この道しかない』というのは、二つの国政選挙に取り組んだみんなの気持ちじゃないか。共産党が議席を減らしたからと、安易に共闘を捨てたら、それこそ多くの人に批判されることになる」

(聞き手・石松恒)


2017年12月28日木曜日

立憲的憲法改正のスタートラインとは

立憲的憲法改正のスタートラインとは

http://webronza.asahi.com/politics/articles/2017122100003.html?iref=wrs_rnavi_rank&guid=on

権力拡大の改憲は論外。権力を統制する改正を視野に国民・政治家は憲法と向き合え
山尾志桜里 衆院議員
2017年12月26日
頭を悩ます改憲賛否の質問

 政治家は選挙のたびに大量のアンケートの山に囲まれるが、常に頭を悩ますのが、「改憲に賛成か反対か」、あるいは「あなたは護憲派か改憲派か」という類の質問だ。

 私は、権力者による権力拡大方向の改憲には断固反対だが、国民の側から国家権力を統制する方向の改憲、すなわち立憲的改憲議論は積極的にすべきだと考える。

 とりわけ、安倍政権下で現行憲法が機能不全に陥っている現象を目の当たりにした現在、安倍政権の横暴を正すべく、権力統制規範たる憲法の「価値」を守るため、憲法の「文字」を変える必要があると考える。

 したがって、私は憲法の価値を守るという意味では「護憲派」であるが、憲法典の文字に焦点をあてるならば、「改憲派」である。

「自衛隊明記」提案は最悪の憲法改悪

 本来、憲法は権力統制規範である以上、「改憲」とはこの権力統制規範力を高めるものでなければならない。

 その点、ここ数年自民党により提示されてきた「権力者による権力拡大方向の改憲」は、権力統制規範力をむしろ低下させるものであって「憲法改悪」にほかならない。

 とりわけ安倍総理による「自衛隊明記」提案の本質は、歯止めなき自衛権の根拠規定を憲法に新設することにある。まさに自衛隊の最高指揮権者が、国家権力を最も先鋭化させる自衛権の歯止めを自ら外し、憲法による自衛権統制規範力をゼロにするものであって、グロテスクな「最悪の憲法改悪」である。

野党と国民がプレーヤーになる議論を

 日本の憲法論議の不幸は、権力を拡大する「改憲」提案しかほとんど経験しておらず、権力者をしばる本来の「改憲」提案がされてこなかったことにある。

 今こそ硬直化した「改憲議論」から前進し、「権力をしばる改憲」という本質的かつ新しいコンセプトのもと、野党と国民がプレーヤーとなって幅広い議論をかわすべきだ。憲法改正を通じて、国民の意思により、国家権力に対する統制力を高めることは可能である。

 もちろん、安倍総理に対しては、「変える前に守れ」と声を大にして言い続けるが、安倍政権ですら守らざるを得ないよう、規範力の高い憲法に変えることは可能なのである。

 本稿では、こうした立憲的な憲法改正の思考のスタートラインを示したい。

第2次安倍政権で起きている現象は……

 そもそも、現代の日本社会は、憲法改正を必要としているか否か。

 憲法は、「国家の権力を統制し、国民の人権を保障する」役割を担っている。とするならば、立てるべき問いは、「現代において、現行憲法は、国家の権力を統制し、国民の権利を保障するという役割を十分に果たしているか」ということになる。

 この役割を果たしていれば変える必要はないし、果たしていなければ変える必要がある。

 この点、第2次安倍政権のもとでは、たとえば以下の現象が起きている。

 ① 憲法9条があるにもかかわらず、集団的自衛権の一部を認める安保法制が成立した。
 ② 憲法69条、7条のもと、大義なき解散が頻発している。
 ③ 憲法53条の要件を満たした臨時国会召集要求が無視されている。
 ④ LGBTの権利保障が不十分で、与党幹部から差別的発言がなされ、LGBT差別解消法が審議拒否され、同性婚も認められていない。
 ⑤ 国家が保有する情報に対する国民のアクセスが十分に保障されず、南スーダンPKOの日報問題や森友・加計問題の真相解明が進まない。
 ⑥ 共謀罪の成立により、捜査権力による国民のプライバシー権制約は侵害のレベルにまで達しようとしている。

予想外の脆さを露呈させた現行憲法

 こういった現象は、立憲主義を尊重しない国家権力に対する、現行憲法の予想外の脆(もろ)さを露呈させた。

 言葉を変えれば、現行憲法は「安倍政権」を予定していなかったのである。

 しかし翻って考えてみると、憲法の役割の神髄は、立憲主義を尊重しない横暴な国家権力をこそ制するものであるべきだ。第2次安倍政権のもとで、上記に象徴されるような憲法の機能不全が生じているなら、その不全を改善するための憲法改正から逃げるべきではない。

 では、憲法をどのように改正すれば、機能を回復・強化できるのか。

憲法の「規律密度」を高めよ

 そもそも、上記のような現象にいたる原因の共通項はなにか。

 ひとつ目は、日本国憲法の「規律密度」が相対的に低いため、その行間を埋めてきた憲法解釈を尊重せずに、むしろ行間を逆手にとって解釈を恣意(しい)的に歪曲(わいきょく)するタイプの政権に対して、その統制力が弱いことである。ふたつ目は、そのような政権の恣意的憲法解釈を正す現実的手段を予定していないことである。

 前者に対しては、日本国憲法の規律密度を高める、すなわち行間を埋めてきた適切な解釈を明文化することなどによって、恣意性の余地を極力減らすことで対応すべきだ。

憲法裁判所の設置検討が必要

 後者に対しては、政権の恣意的憲法解釈を事前にチェックする機関として、政権から独立したいわゆる「憲法裁判所」を設け、チェックを委ねることを、積極的に検討すべきである。

 こうしたチェック機能は、これまで内閣法制局が担ってきたが、その独立性・中立性をかろうじて担保してきたのは、人事上の不文律であった。すなわち、法制局長官人事は形式的には「政治任用」でありながら、事実上「行政任用」ポストとして政治が直接関与しないという不文律である。

 この人事の不文律を破り、安保法制合憲論の人物を長官に据えたのが安倍政権であり、それこそ解釈や慣例や不文律を尊重しない政権の真骨頂ともいえよう。しかし、このような政権が登場した以上、不文律による内閣法制局の独立性・中立性に依拠することはもはや不可能である。

 であるならば、必要なのは、三権分立のもとで明確に制度的独立が担保されている「憲法裁判所」による、閣法の事前の憲法適合性判断を制度化である。もちろん、この裁判所の人事権について、内閣からの独立性を強化すべき工夫が必要なことは当然である。

2017年12月27日水曜日

蓮舫・れんほう @renho_sha 私の率直な想いです。

蓮舫・れんほう @renho_sha

私の率直な想いです。

https://twitter.com/renho_sha/status/945617597482987520

https://renho.jp/wp-content/uploads/2017/12/b4ae94ab6b6c203682ecda33c219cefb.pdf


私をご支援いただいている皆さまへ

 年の瀬も迫り、寒さも厳しい季節となってきました。皆さま、お忙しい師走をお過ごしのことと存じます。

 さて。今秋、民進党として民意を問う事のない衆議院議員選挙が終わり、構成員の大半が参議院議員となった民進党の「今後」について、これまで両院議員懇談会や全国幹事会などの場において、組織として議論をしてきました。メディアを通じての報道は「迷走」「決められない」というネガティブなものが目立ちましたが、実際の議論は、どれも真剣な意見であり、党改革のための真っ直ぐなものばかりだったことはぜひ、御理解をいただければとお願いします。

 この間、私も議員懇談会で何度も発言をしました。同時に、大塚代表と 2 人で会い、時間をかけて党の在り方について意見交換、提案もしてきました。私の意見に耳を傾けてくれた代表には感謝しています。

 『自由・共生・未来への責任』は旧民主党、民進党が掲げた理念であり、私が2004 年の初当選以来一貫して主張してきている「すべては子どもたちのために」を実現するための大切な理念でもあります。ただ、総選挙で民意を問わなかった民進党は「何のために存在しているのか」「私たちの掲げる政策、社会像とは何か」を今一度、見つめなおして、政策を前面に掲げ、国民の皆さまに私達の存在意義をきちんと訴える必要があると私は考え、そのことを代表に直接訴え、懇談会で仲間にも強く訴えてきました。

 議論を始めて 5 回目の両院議員懇談会が 12 月 26 日に開かれ、両院議員総会・全国幹事会・自治体議員団等役員合同会議で議論を行い、両院総会で党改革の方向性をまとめました。立憲民主党及び希望の党に統一会派を呼び掛ける、と。野党を再結集する意味の大きさ、現政権に向き合う野党がまとまる必要性はもちろん肯定します。この方向性をまとめるために尽力された執行部に感謝します。他方、私が提案してきた民進党は何を実現するために集った政党なのか、政策を前面に掲げられなかったことが残念です。

 2004 年の初当選から 14 年。一貫して訴えてきた次世代のための政治を行うために、脱原発社会の実現、教育無償化を始め子ども達への施策、立憲主義を守ることをこれからも最優先して行うことが私の政治家としての軸足だとの考えから、来年以降の私の立ち位置を熟考してきました。

 そして。

 立憲民主党で新しい再出発をしていくことを決めました。森友、加計学園問題は未だ終わっていません。行政が歪められたのかどうか、その再検証を不可能にする情報非公開の姿勢はあってはならないことです。さらには、スパコン補助金疑惑、リニアをめぐる談合疑惑など次から次へと過去にすでになくなったと思えていた事件が発覚しています。防衛予算や公共事業費は対前年比増額にもかかわらず、生活保護費は削られました。子ども達のために消費税増税分を使うと安倍総理は総選挙で明言しましたが、なぜ、今ではないのでしょうか。引き換えに先送りする財政再建のツケは、子ども達にのしかかります。

 現政権が行ってきた政治の全てを否定はしませんが、立憲主義を守ること、税金に再分配のあり方を1人の政治家としてきちんと主張し、現政権に対峙するために、蓮舫は立憲民主党で心機一転、1議員として原点に戻った活動を始めて行きたいと思います。

 これまで、後援会、党員・サポーターとしていつも温かく、そして時に厳しく私を見守り、支えてくださった皆さまにはぜひ、私の想いをご理解いただきたく心からお願い申し上げます。引き続きのご支援をいただくことで、さらに前に進んで行きたいとも思っています。どうぞ、よろしくお願いします。

平成 29 年 12 月 26 日
蓮舫

2017年12月22日金曜日

生活保護切り下げ、「クリスマスなくていい」とシングルマザーから怒り続出

生活保護切り下げ、「クリスマスなくていい」とシングルマザーから怒り続出

AERA 2017/12/22

https://dot.asahi.com/amp/aera/2017122100078.html

 厚生労働省が生活保護費を引き下げる案を打ち出した。食費や光熱費などの「生活扶助費」を最大5%減額する方針だ。生活保護基準の切り下げは、経済的に苦しい家庭の子どもへの就学援助や、介護保険料の減免、税制、最低賃金の水準など、受給者だけではなく、私たちの日々の暮らしにも影響を与える。実は、誰にとってもひとごとではない。

 なかでも懸念されるのがシングルマザーなどひとり親世帯への影響だ。生活扶助の減額に加え、「母子加算」を2割削減し月額平均2万1000円から1万7000円に、3歳児未満の子どもへの「児童養育加算」を月額平均1万5000円から1万円に。さらにクラブ活動などにあてる「学習支援費」を定額支給から実費のみの支給に変更する。

「子ども自身が自分の生活をきりつめなければいけないと毎日気にしながら生きている。義務教育期間にこういうことをしていいのかなって、すごくおかしいなって思うんです」

 そう言うのは12月19日、この引き下げ案に反対する大学教授・弁護士らが衆院第一議員会館で開いた院内集会に参加した生活保護受給者のシングルマザー。冬休みが始まれば、子どもに1日3食を家で食べさせなければならないが、どう食費を捻出するか頭が痛い。

「贅沢なんかしていないです。クリスマスプレゼントなんか買わないですよ? なんにもないけど、とりあえず生きているだけでありがたいって思わなきゃいけないって自分に言い聞かせています」(女性)

 NPO法人「チャリティーサンタ」の調査によれば、シングルマザーの36.9%、約3人に1人が経済的困窮などを背景に「クリスマスなんてなくてもいい、来ないでほしい」と思ったことがあると回答したという。生活保護受給の母子世帯ならなおさらだ。

 北九州市議の村上さとこさん(52)は、イルミネーションやイベントで華やぐ街をみるたびに強く思う。


「市議としては町づくりも大切ですが、そのにぎわいに参加できず孤立と困窮に苦しむ人もいることを忘れてはいけない」

 それは自身の過去にも重なる。約15年前、村上さんも貧困に苦しみ、生活保護を受けながら2人の子どもを育てるシングルマザーだったからだ。

「クリスマスだって朝も夜も働いていました。にぎわう場所はみじめになるし、より孤独を感じるので避けていました。そもそも交通費も惜しいので外出ができなかった。子どもたちを遊びに連れて行った記憶がないんです」(村上さん)

 会社員の夫と結婚し、関東で専業主婦として子育てをしていた村上さん。生活が一変したのは、夫がリストラされ、暴力をふるうようになってからだ。被害は徐々にエスカレートし、殴られて耳の鼓膜が破れることも。離婚の手続きを進めながら、夫から逃れるため当時小学1年の長女と幼稚園に通っていた次女を連れて東京へ引っ越した。昼は派遣の事務員、夜はファミレスなど飲食店でアルバイトしたが、それでも月々の収入は約20万円と苦しい生活だった。やがて派遣切りされるのが不安でアルバイトを三つかけもちするように。正社員になりたいとも思ったが、面接のためにはアルバイトを休まねばならない。その分の時給が惜しくて出来なかったという。

 子どもたちの食事や洋服も切り詰めた。今でも覚えているのは大雪が降った日のことだ。年に数回しか履かない長靴はもったいなくて買えない。子どもたちは雨の日も運動靴をぐちゃぐちゃにして通っていたが、その日はさすがに無理だと村上さんが判断。学校を休ませ、村上さんは仕事へ向かった。

「子どもたちは学校が休めて無邪気に楽しそうだったけど、親としては申し訳なくてつらくて。当時は安い長靴を探そうと思うような時間的余裕も精神的余裕もなかったんです。朝も夜も休日もなく働いていましたから」(村上さん)

 その後、派遣切りにあったのと同時に長女が入院。バイトの掛け持ちと病院の付き添いは両立できず、生活保護を受けることになった。受給期間は約7カ月。その間ヘルパーの講座に通い資格を取得した。非正規のヘルパーとアルバイトを掛け持ちする生活で、なんとか生計を立て直したという。今は再婚し、長女も次女も大学に進学、新たに三女も出産した。


「生活保護を受給できなければ生きていけなかった。子どもの病気も治せたし、落ち着いて家族の今後の生活や自分のキャリアについて考えられたのも助かりました。生活保護には感謝の気持ちしかありません。貧困の連鎖を断ち切るのが政治の役割なはず。まずは生活保護以下の水準で生活している約3千万人を支援することが大切。母子家庭を狙い撃ちするような今回の削減案には反対です」(村上さん)

 しかし、昨年の北九州市議選に立候補するまで生活保護を受給していたことは10年以上、夫以外に誰にも話していなかったという。「生活保護なんて恥ずかしい」という自己責任論に絡めとられていたからだ。だが、北九州市で男性が「おにぎりを食べたい」と書き残して餓死した事件など、行政の「水際作戦」が明るみに出た。生活保護受給者へのバッシングが高まる中、経験者が声をあげ、生活保護は国民の権利だと伝えることが大切だと今は思い直したという。自身が周囲から孤立した体験から、生活保護受給者もルームシェアできるような制度改革が必要だと考えている。

 前出の院内集会に参加した立憲民主党の池田真紀衆院議員もシングルマザーとして生活保護を受給していた経験がある。当時から福祉事務所の対応や制度の運用実態に疑問を感じていたという。

「今回の基準引き下げ問題について、厚労省の説明で本当に納得のいくものは一つもなかった。国民がただ生きるだけではなくて、安心と笑顔を勝ち取らなければいけないと思っています」(池田さん)

 引き下げを検討した厚労省の生活保護基準部会は、客観的な数字にこだわり、最後まで当事者の声を聞かなかったという。来年1月召集の通常国会で国の予算案審議が始まる。彼女たちのような体験者の切実な声が、議論に反映されるよう願っている。(AERA編集部・竹下郁子)

171221(社説)憲法70年 筋道立たない首相発言

(社説)憲法70年 筋道立たない首相発言
朝日新聞 2017年12月21日

https://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S13283044.html

 自民党の憲法改正推進本部が、衆院選で公約に掲げた改憲4項目に関する「論点取りまとめ」を公表した。
 焦点の9条については、1項と2項を維持して自衛隊を明記する安倍首相の案と、戦力不保持をうたう2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化するという2案を併記した。
 両案を土台に年明けから自民党案のとりまとめに入り、早ければ来年中にも国会による発議と国民投票に踏み切る――。自民党内ではそんなシナリオも語られている。
 旗振り役は言うまでもなく首相である。5月の憲法記念日に自衛隊明記の構想を示し、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と語った。
 自民党が東京都議選で惨敗した7月以降、「スケジュールありきではない」と発言を変えたが、一昨日の講演で再びこう踏み込んだ。「2020年、日本が大きく生まれ変わる年にするきっかけとしたい。憲法について議論を深め、国の形、あり方を大いに論じるべきだ」
 この日も「スケジュールありきではない」と付け加えたが、衆院選の大勝を受けてアクセルを踏んだようだ。
 あらためて指摘しておく。
 改憲を発議する権限は国会にある。行政府の長である首相が自らの案を期限を切って示し、強引に進めようとするなら筋違いというほかない。
 「20年」を強調するのは、自らが首相であるうちに改憲したいためだろう。衆参で3分の2の与党勢力があるうちに発議したい、との思いもあろう。だが改憲は首相の都合で決めていいものではない。
 時代や社会の変化に応じ、憲法を問い直す議論はあっていい。だがそれには前提がある。
 憲法は、国家権力の行使を制限し、国民の人権を保障する規範である。その基本を踏みはずすような改憲は許されない。
 法改正や予算措置など、改憲以外にその現実に対処する方法が見いだせないか。山積する政治課題の中で、限られたエネルギーを改憲に注ぐ必然性が本当にあるのか。厳しい吟味が求められる。
 国民の目に見える形で、真摯(しんし)で丁寧な議論を積み重ねることが、国会の憲法審査会の使命だ。与党だけで押し通してはならない。
 主権者である国民がその改憲を理解し、納得することが何よりも重要である。
 数の力で進めた改憲が、社会に分断をもたらすことはあってはならない。

2017年12月20日水曜日

2017年12月18日月曜日

ウーマンラッシュアワー

動画
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1939867323007155&id=100009517184867


神津ゆかりさんFBより

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1636482253108554&id=100002403842982

<書き起こしました(抜粋)>
僕のこと知ってもらいたいんです。福井県出身なんです。福井県の場所だけでも覚えて帰ってください。いいですか?北朝鮮の向かい側!
福井県の大飯町です。大飯原発のある町、大飯町。大飯町の隣は高浜町、高浜原発。その隣は美浜町。美浜原発。その隣は敦賀のもんじゅ!小さい地域に原発が4基あるんです。
夜の7時には真っ暗になるんです。これだけは言わしてください。
電 気 は ど こ へ 行 くぅぅぅ???
<略>
東京!
東京都知事の名前は? 小池百合子 小池都政が大事にしていることは? 都民ファースト 都民ファーストの次はどうした? 希望の党を作った 希望の党を作ったということは? 国民ファーストをめざした 負けるとわかったら? 代表を降りた 結局あの人は? 自分ファースト!
次は沖縄!
沖縄が現在抱えている問題は? 米軍基地辺野古移設問題 あとは? 高江のヘリパット問題 それは沖縄だけの問題か? いいえ、日本全体の問題 東京で行われるオリンピックは? 日本全体が盛り上がる 基地問題は? 沖縄だけに押しつける 楽しいことは? 日本全体のことにして めんどくさいことは? 見て見ぬふりをする 在日米軍に支払っている金額は? 9465億円 その金額のことをなんと言う? 思いやり予算 アメリカに思いやりを持つ前に 沖縄に思いやりを持てぇ!
熊本
熊本地震から何年経った? 1年半経った 現在熊本の仮説住宅に住んでいるのは? 4万7千人 東北の仮説住宅に住んでいる人は? 8万2千人 2020年東京で何がある? 東京オリンピック 新国立競技場、いくらかかる? 1500億円 国民はオリンピックが見たいんじゃなくて? 自分の家で安心してオリンピックが見たいだけ! だから豪華な競技場を建てる前に? 被災地に家を建てろ!
アメリカ
現在アメリカと一番仲の良い国は? ニッポン! 仲の良い国はアメリカに何してくれる? たくさんミサイルをたくさん買ってくれる あとは? たくさん戦闘機を買ってくれる あとは? たくさん軍艦を買ってくれる それは仲がいい国じゃなくて? 都合のいい国!
日本
現在日本が抱えている問題は? 被災地の復興問題 基地問題 原発問題 北朝鮮のミサイル問題 でも結局ニュースになっているものは? 議員の暴言問題 議員の不倫 あとは? 芸能人の不倫 それは本当に大事なニュースか? 表面的な問題 でもなんでそれがニュースになる? 数字が取れるから なぜ数字が取れる? それを見たい人がたくさんいるから だから本当に危機を感じなくてはいけないのは? 被災地の問題よりも 原発問題よりも 基地の問題よりも 北朝鮮の問題よりも 国民の意識の低さだあああ!
 (どうもありがとうございました)
(村本さん、観客に向かって)おまえたちのことだ (笑)

2017年12月17日日曜日

【歩きつづけろ】大袈裟太郎 Official Video

【歩きつづけろ】大袈裟太郎 Official Video
https://m.youtube.com/watch?v=zM5K3KNKyhU&feature=youtu.be



高江 辺野古 沖縄を想うすべての仲間たちへ
この国に生きる すべての人々へ
この世界を愛する すべての友達へ
愛とユーモアをこめて

「歩きつづけろ」大袈裟太郎
それぞれの街に それぞれの暮らし
それぞれの島に それぞれの営み
それをぶち壊す 影と痛み
怒りが憎しみに変わる前に

祈りを込めて歌と踊り

僕らが本当の家族になるために


歩きつづけろ 歩きつづけろ 歩きつづけろ 歩きつづけろ 歩きつづけろ
雨が上がるまで
歩きつづけろ 歩きつづけろ 歩きつづけろ 歩きつづけろ 歩きつづけろ
雨が上がっても


テレビを消して少しだけ聴いてくれ
東京から2時間 那覇からまた3時間
高江の森で起こってる現実に
少しだけ耳を澄ましておくれ

150人の村に1000人の機動隊
オスプレイは事故っても捜査もできない
23時まで低空を飛び回り
爆音と恐怖で人々は眠れない

眼が合うくらい低く飛ぶオスプレイ
集落を標的(まと)にして戦争の訓練
住民たちは反対してもう10年
少しでも工事遅らせるために座りこめ

初めはひとりで座り込んでた
10年で全国から人が、集まった
少しでも工事遅らせることで
その間に民意はオール沖縄まとまった


それでもなぜか止まらない工事
地方自治は国の前に無力なのか?
東京、大阪、愛知、福岡、神奈川、千葉
機動隊の数は増えるばかりだ

もしもあなたの街で起こったらどうする?
他人事じゃないやんばるの現実
あなたが子供と遊ぶベランダや
あなたが恋人と歩く遊歩道

説明もなくオスプレイ飛んできたらどうする?
いきなり機動隊に囲まれたらどうする?
だからおれはチャリで検問突破して
あんたの耳元までこの歌を届ける

民主主義がたとえ まぼろしでも
資本主義がたとえ まやかしでも
人々のちからを やさしさを
おれはまだ信じてる


歩きつづけろ 歩きつづけろ 歩きつづけろ 歩きつづけろ 歩きつづけろ
夜が終わるまで

歩きつづけろ 歩きつづけろ 歩きつづけろ 歩きつづけろ 歩きつづけろ
夜が終わっても



今だけ金だけ自分だけ?
気づいたやつだけ 一歩抜け出せ
消費することも されることも
飽き飽きなんだ おれたちは商品じゃない

いのち使い潰し その先で誰が笑う?
資源使い果たし 人はどこへ向かう?
正義と正義のぶつかり合いは終わらない
正論じゃ人の心は動かない


守りたいのは当たり前の暮らし
守りたいのは当たり前の誇り
星空の下でそれに気づく
いのちを学ぶ旅は続く


おれたちも所詮 大自然の一部
あーまん!やどかりと変わらない
こうべを垂れて共存するしかない
郷土愛あるだろう?兄弟姉妹!

この森をこの海を失えば
人間だってきっと正気じゃいられない
きれいごとに聞こえるかもしれないが
そのきれいごとにしか救えない夜をおれは知ってる

うちなー ないちゃー 島ないちゃー
これ以上誰も泣いちゃならんどー
うちなー ないちゃー 島ないちゃー
歴史を越えて 家族になれるさ


踊りつづけろ 踊りつづけろ 踊りつづけろ 踊りつづけろ 踊りつづけろ 踊りつづけろ

夜が終わるまで 夜が終わっても

それぞれの街に それぞれの暮らし
それぞれの島に それぞれの営み
それをぶち壊す 影と痛み
怒りが憎しみに変わる前に

祈りを込めて歌と踊り

僕らが本当の家族になるために


大袈裟通信アーカイブス
http://blog.livedoor.jp/oogesataro/
大袈裟太郎Twitter
https://twitter.com/oogesatarou
大袈裟太郎Facebook
https://www.facebook.com/oogesa
大袈裟太郎メルマガ
https://goo.gl/forms/HXHGK07Cku7UAmzi2

中国の戦争被害 死者数の真実は?

中国の戦争被害 死者数の真実は?

http://doro-project.net/archives/1714


http://mixi.jp/view_diary.pl?id=732132816&owner_id=12631570
「砂漠の中の一粒」コミュ「南京」トピで、こんなコメントがありました。
1938年、国際連盟で中国政府代表が、「南京の死者は2万人」と演説。
1946年、東京裁判では「南京大虐殺で死者20万人」。
1985年、南京大虐殺記念館が建てられる、死者30万人。
2000年、教科書で死者40万人という数字が記載されたモノまで出る。
そういえば日中戦争の死者も、どんどん増えていってますよね。
1946年、国民党の発表が 130万人
1946年、GHQの発表が 130万人
1950年、中国共産党の発表 600万人
1960年、中国共産党の発表 1000万人
1970年、中国共産党の発表 1800万人
1985年、中国共産党の発表 2100万人
1995年、中国共産党の発表 死傷者3500万人
1997年、中国共産党の発表 死者3500万人
なんなんだろう、これ。
ふむ。これが事実なら、ほんとうにヘンですよね。
「南京の死者は2万人」のことはすぐにカタがつきました。東中野教授のねつ造でした。でも、日中戦争の被害が年代を経る事に水増しされているってのは、おかしいですよ。そこで相手の方にその根拠を調べてくださいとお願いしたけど、調べてくれません。なのでしかたなく自分で調べました。
この「死者のアヤしい増え方表」はネットのあちこちで使われているので、何かの折りに反論する時、この日記の内容を使うと便利ですよ。
共産主義による民衆被害を研究しているハワイ大学のR.J.ルメル名誉教授が『中国流血の世紀(China’s Bloody Century)1900年以降のジェノサイドと大量殺戮』で詳細な分析を試みています。
http://www.hawaii.edu/powerkills/CHINA.CHAP1.HTM
ここではその全体を紹介できませんので、結論部分だけを示します。
1946年、国民党の発表が130万人
1946年、GHQの発表が130万人
結論:これは国民党軍参謀長が発表した数字で、国民党軍兵士の戦死者推計です。中国全体の死者ではありません(*末尾注1)。
1950年、中国共産党の発表 600万人
結論:これは国民党軍と共産党軍の戦死者と戦病死者数の合計です。被害者総数ではありません。
戦死者 下位推計160万人、上位推計220万人。
戦病死 最大で5,887,000人と推計。
上位推計だけを合計すれば800万人となりますが、共産党は中位推計を採用しているようです。ここでも軍人の死者だけが算出されており、民間人が含まれていません。
1960年、中国共産党の発表 1000万人
結論:これはおそらく民間人を含む死者のうち、直接の戦闘死者の数です。ルメル教授はその政治的立場から下位推計を採用していますが、中位推計を採用すればおよそ1000万人になります。(*末尾注2)
1970年、中国共産党の発表 1800万人
結論:被害者の概念が拡張され、直接の戦闘死以外の殺人行為による死者(処刑・虐殺・人体実験など)も合算され、重複部分を引いて算出されたと思われます(*末尾注3)。
1985年、中国共産党の発表 2100万人
結論:さらに戦争被害の概念が拡張され、これまでの死者に加えて飢饉などで死亡した民間人も含めて戦争被害ととらえるようになったのでしょう。
反共のルメル教授の下位推計によっても、こういう数字になっています(*末尾注4)。中国政府の被害概念はコジツケではなく、私たちにも許容できると思います。
1995年、中国共産党の発表 死傷者3500万人
結論:ここでは死者ではなく「死傷者」となっています。死者が約2000万人として、傷病者を加えれば3500万人なら不自然とは言えません。
1997年、中国共産党の発表 死者3500万人
結論:これは中国共産党の発表ではありません。1997年の翌年の1998年に江沢民が来日したときも「中国軍人市民3500万人が死傷し」と演説していますので、中国政府の認識が「死傷者」から「死者」に変化した形跡はありません(*末尾注5)。ではこの数字は何かと調べると、中国のネットに書かれていました(*末尾注6)。
まあ日本には南京事件虐殺数ゼロという大学教授がいるのですから、あちらにもトンデモないことを言う人はいるんでしょう。しかし民間人の勝手な主張のことを「中国政府の発表」と書いたら、それはねつ造になります。また軍人の死者だけの発表なのに中国全体の被害のように書いて、全体数とのギャップを強調するのも感心できませんね。
ということですので、時代時代の発表数字にはそれなりの根拠があったわけで、根拠もなくコロコロと言うことが変わっているのではありませんでした。また中国政府のことだから考え得る最大の数字を意図的に選択しているだろうと私は予測していたんですが、そういうことはありませんでした。中位推計か下位推計を採用していて、結構冷静で客観的なのだなと驚きました。
この表はネットのあちこちで見かけます。みんな中国政府の信頼性のなさを強調したいのでしょうけど、そのやり口はほとんどねつ造に近いものだということが、これで明らかになったわけです。やはり、よく調べもしないで鵜呑みにするのはよくありませんね。
*注1
「一瞥して分かるように、1937年7月から1945年8月までの戦死(あるいは単なる死亡)推計は全て相対的に近い範囲-死者131万人から220万人-に収まっている。132万人の死者数は明らかに国民党のものであり(22段a)、国民党軍の参謀総長によって1946年に公表されたものである。」
*注2
「これにより中国人死者は346万7千人から1,691万4千人、おそらくは708万4千人となる。これらの数は戦争捕虜、民間人の爆撃や細菌戦死者その他の日本のジェノサイド、及び国民党による……ジェノサイドを除外していることに留意されたい。」(China’s Bloody Century)
*注3
「日本のジェノサイドは別に章を立てる必要があり、補論6.1の表6.Aで分析されている。
そこでは日本軍が157万8千人から632万5千人の中国人、おそらくは394万9千人であり、そのうち支配下の住民299万1千人を殺害したと計算されている。これらの数値は本表にも掲載されている。」(China’s Bloody Century)
*注4
「おそらくは1,960万5千人の中国人が戦争、反乱、ジェノサイド、または飢饉で死亡した。」(China’s Bloody Century)
*注5
「歴史を鏡として、未来を切り開こう」
早稲田大学における演説
中華人民共和国主席 江沢民
1998年11月28日
「20世紀30年代から、日本軍国主義は全面的な対中国侵略戦争を起こし、その結果、中国は軍民3500万人が死傷し、6000億ドル以上の経済的損失を蒙りました。この戦争は中国人民に大きな民族的災難をもたらし、日本人民もそれによって少なからぬ害を受けました。」
http://www.waseda.jp/jp/news98/981128k.html
*注6
「变成了死于日军之手的三千万民众的坟墓。」
愛國網
http://www.china918.net/91802/njpic/ReadNews.asp?NewsID=7
追記
読み返すと分かりにくい書き方になっているのに気付きました。死者が増えていった理由は、要するに以下のようなことです。
(1) 国民党政権時代、国民党軍の戦死者数だけを発表。
(2) 共産党が政権をとり、それまでの数字に共産党軍の戦死者を加えた。
(3) おそらく朝鮮戦争の義勇軍の功績を称えたのが契機となって、抗日戦争義勇軍の功績も称えてほしいと言う声があがり、義勇兵の戦死者を追加した。
(4) 戦争の捉え方が「功績」から「被害」に移り、民衆被害が視野に入ってきた。
(5) 国際的に戦争被害の概念が広くなったのにあわせて、戦争関連被害も視野に入れて算定した。ただし死者のみ。
(6) 戦争被害とは死者だけではないとの概念拡大があり、死者だけでなく傷病者も加え、経済被害も具体的数字で語られ始めた。
こういうふうな移り変わりなんですね。それぞれ異なるカテゴリーの数字を積み上げていっただけですから、基本の資料は変わっていないんです。軍人の戦死者数が増えたとか、民間被害者が水増しされたということではないんですよ。
(1)(2)(3)は功績を称えるため。
(4)(5)(6)は被害を訴えるため。
こういう概念なんですね。
ルメル先生はもともとは中国共産党による民衆虐殺をテーマに研究している人なんです。でもそれだけではただの反共論文になってしまうので、アカデミックな論文にするため、20世紀代中国の虐殺史としたようです。で、時期的にたまたま日本軍による被害というのも視野に入ってきただけで、これが主題ではないんですよね。
国民党による民衆虐待も、ですから別の章で扱っています。国民党軍の民衆虐殺も凄まじい数字ですよ。私は中国政府の発表数には、国共内戦の死者とか、黄河決壊の死者なんかも広義の被害者としてぶっこみで入れてあるんだろうと思っていました。でもそういうことではなかったので、お、中国共産党、わりに公正じゃんて、ちょっと驚きでしたね。

2017年10月16日月曜日

衆院選で問われる日本政治の新しい対決軸、リベラル陣営のリアリズムとは(山下芳生×中島岳志)

週刊金曜日公式ブログ 週刊金曜日ニュース
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2017/10/14/news-7/

緊急対談 衆院選で問われる日本政治の新しい対決軸、リベラル陣営のリアリズムとは(山下芳生×中島岳志)
2017年10月14日

衆院選の投票日が刻々と迫る。「安倍vs.小池」の対決構図が作られる中で、従来の「保守vs.革新」という枠組みは崩壊した。リベラル陣営は「野党共闘」を進め、日本の政治の対決軸は新しい構図となったが、保守と共産党は主張を同じくできるのか。リベラル陣営の一翼を担う共産党に、保守思想に基づく本来の保守を唱える中島岳志『週刊金曜日』編集委員が、とことん意見を付き合わせた。

中島 岳志
なかじま たけし・東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授、『週刊金曜日』編集委員。1975年、大阪府生まれ。ヒンディー語専攻。インド政治や近代日本の思想史を研究。著書に『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(2005年、白水社)、『「リベラル保守」宣言』(13年、新潮社)、『アジア主義 その先の近代へ』(14年、潮出版社)、『親鸞と日本主義』(17年、新潮選書)など。

中島 私はこれまで、保守思想に基づいての思考や議論をしてきましたが、今の自民党をはじめ日本で「保守」を掲げる人たちには強い疑念を持っています。これは従来の「保守vs.革新」という枠組みが崩れているからで、衆院選を前に、その枠組みを見直す必要があると思っています。

保守の立場から自分自身の話をすると、私は今まで共産党に投票したことはありません。けれど、自民党を選択する可能性はどんどんなくなっていて、このところは民進党をさまざまな面からサポートしてきました。この中でここ数年間、面白い現象が起きています。新聞社などがやっている、自分の考えと各政党のマニフェストとの相性診断をしてみると、どれをやっても結果は共産党になるんです。保守の論理を追求すると、内政面では共産党の政策と近くなる。


山下 芳生
やました よしき・共産党副委員長。1960年、香川県生まれ。大学卒業後、大阪かわち市民生協に勤務。95年、参院大阪選挙区に35歳で初当選。2001年には「党リストラ反対・雇用を守る闘争本部事務局長」となり、全国の職場・地域を巡る。07年に6年ぶりに参院議員に再選し、13年に3選。14年党書記局長、16年副委員長に就任した。モットーは「あったかい人間の連帯を国の政治に」。


山下 今のお話で思い出したのは、2015年10月の宮城県議選で、“保守の地盤”といわれた大崎市選挙区において初めて共産党の県会議員が当選した時のことです。勝利できたのは、JA(農業協同組合)の県中央会の会長やその地域の元首長、議会の議長など保守の方々が本気で応援してくれたからです。

この年の9月に安倍政権は安保法案を強行採決し、さらにTPP(環太平洋連携協定)へとまっしぐらに向かおうとしていて、みなこれに怒っていた。中島さんが政党との相性診断で共産党に行きつくというのも特別なことではなく、安倍政権の暴走によって、保守を自任し、地域の絆を大切にしてきた方々がさまざまなところで立ち上がっている。


本来の保守から見ると安倍首相は「デタラメ」


中島 安保法制に対して本来の保守が最も怒っているのは、その決め方です。保守は、懐疑主義的な人間観を持っている。それは、理性は不完全で万能でないという考えからくるもので、「多くの庶民たちによって形成されてきた良識や経験値を大切にして、徐々に変えていこう」という考えが保守思想の王道だからです。

それゆえに保守の言う民主主義とは、単純な多数決ではない。少数者にも理があるので意見を汲み取りながら合意形成をして、前に進めていくというもので、大平正芳さん(注1)などの保守政治家が実践してきたことです。大平さんは共産党とも社会党ともさまざまな議論をしながら合意形成をしていた。それが政治における保守の人間の肌感覚、人間観なんです。

しかし、安倍晋三首相には決定的にそれが欠如している。国会というものを非常に軽視し、議論というよりは単に時間をクリアすれば安保法案は通るんだという姿勢を取り続けた。これに対して保守は、「あいつはデタラメだ」と感じているし、違和感を持っています。自民党の重鎮の方々にも、同じ感覚を持っている人が多くいると思います。

山下 私は大阪に住んでいますが、「日本維新の会」の法律顧問の橋下徹さんもその典型かもしれないですね。選挙で多数を得れば、後は何をやっても許されるんだという考えに立っていて、民主主義とは相対する。

選挙で決まった力関係で何をやってもいいというのであれば、議会はいらないわけです。安倍さんも、自分は選挙で選ばれ、国会で首相に指名されたんだから、文句言うなというやり方。7月の東京都議選の応援演説の時に市民に向かって「こんな人たち」という発言をしたことにも象徴されている。これは非常に危ないことです。

中島 それで現在の政治状況を把握するために、<図>を見て考えていきたいのですが、縦軸はお金、つまり再配分の問題です。税金を集めて、それをどこに使うかという非常に強い権限を政治は持つわけですが、下に行けば行くほど小さな政府になります。つまりリスクの個人化が図られ、自己責任にされてしまう社会。上に行けば行くほど、それを社会みんなで支え合うというセーフティーネット強化型の大きな政府になる。

 横軸はリベラルとパターナルという価値観の問題です。リベラルは、基本的に個人の内的な価値の問題について権力は土足で踏み込まないという原則を持つ。これは寛容ということです。その反対語は、保守ではなくてパターナルで、価値を押しつける権威主義や父権制といった観念のこと。これは夫婦別姓、LGBT(性的少数者)の権利、歴史認識の問題などに現れやすい。

明らかに今の自民党は〈ローマ数字4〉の一番下のラインに位置すると思います。日本は、租税負担率や全GDP(国内総生産)に占める国家歳出の割合、公務員数などあらゆる指標がOECD(経済協力開発機構)諸国最低レベルとなっていて、もはや自己責任がいきすぎている社会です。

小池百合子さんも〈ローマ数字4〉に属します。彼女はかつて夫婦別姓に大反対しており(編集部注・「希望の党」は「寛容な保守」をアピールするために選択的夫婦別姓の導入に取り組んでいくとしている)、完全に思想的にはパターナル。極右的で歴史認識もひどい有様です。

山下 永住外国人の地方参政権反対を希望の党の公認候補になるための踏み絵にもしていましたよね。

中島 そうなんです。小池さんはリスクの個人化や規制緩和を促進してきた。生活保護の受給に厳しい発言を行ない、自助を強調してきた。それなので、現在「安倍vs.小池」と言われていますが、これは〈ローマ数字4〉という狭いコップの中の争いでしかありません。パターナルかつリスクの個人化が極まった〈ローマ数字4〉の一番下のラインに位置する日本を〈ローマ数字2〉の方向に向かわせるためには、〈ローマ数字2〉の軸をしっかり作ること、つまり野党共闘ということになる。

ただ、〈ローマ数字2〉は部分的には〈ローマ数字1〉や〈ローマ数字3〉と連携ができるかもしれないけれども、(ローマ数字4)と組むことだけは絶対にしてはいけない。しかし民進党は小池都知事を代表とする希望の党と組んでしまったので、わけがわからないことになっています。民進党の前原誠司さんがやったことは政治の問題以前の話で、保守って最後はシンプルに「仲間を裏切ってはならない」という常識を重視しますが、それすらも守れていない。

自民党もかつては、田中角栄さんなど旧経世会(注2)が〈ローマ数字1〉で、大平さんなど宏池会(注1参照)が〈ローマ数字2〉でした。このバランスでやってきたはずでしたが、1990年代後半から一気に下のラインにきている。ここを取り戻したい。公明党は本来〈ローマ数字2〉ですが、政権にすり寄ることで生き残りをかけようと、〈ローマ数字4〉であることに甘んじています。

「暴走政治」をリセットできない希望の党


山下 BSフジの討論番組で先日、希望の党の若狭勝さんと同席したんですよ。若狭さんは民進党から希望の党に移籍する人の選別係で、その基準は安保法制を容認すること、9条を含む憲法改定に反対しないことだと説明していました。小池さんはしきりに「リセット」と言うけれども、選別基準は安倍政権による暴走の最たるものです。それをリセットしないのなら、自民党の補完勢力でしかないじゃないかと指摘すると、若狭さんは「自民党の補完勢力を作るために希望の党を立ち上げたんじゃありません」と色をなして反論していましたが、説得力を感じられなかった。安倍自民党と小池希望の党の間には対立軸がない。

今年1月に共産党が党大会で打ち出した、日本の政治の新しい対決の軸である「自公とその補完勢力」対「野党と市民の共闘」の構図は、現在も同じだと思います。こうした構図に至る背景には、2015年に起きた安保法案廃案を求める市民運動が、野党間にあった壁を壊してくれたことがあります。野党は、初めは「充実した審議」で一致し、次は「(安保法案)成立阻止」で一致し、最後には「内閣不信任案を共同提出」というところまで向かっていった。強行採決された後も、安保法制廃止のうねりが起き、翌16年の参院選での野党共闘につながりました。

今回、その一翼を担っていた民進党が希望の党に吸収され、非常に混乱もしましたが、再び市民のみなさんが声を上げてくれる中で立憲民主党ができた。安保法制廃止と安倍9条改憲反対、立憲主義回復を貫く流れの中から新しい党が生まれ、復元力が発揮されたのは、この2年間の野党と市民の共闘の積み重ねがあったからこそだと思います。

中島 重要なのは、立憲主義を回復するという共通意識です。立憲主義は、「人間は不完全なので、権力も暴走する。だから、それに対して国民の側から縛りをかけないといけない」というもの。同時に、保守の立憲主義は、英国的な立憲主義の考え方と同じなのですが、基本的に国民が権力を縛っていて、この国民の中には死者が含まれていると考える。つまり、過去の多くの蓄積の中でさまざまな経験を積み重ねてきた人たちの思いというのが、現在の政府までを縛っていると。

この死者たちの積み重ねてきた歴史の上に現在の自分というものを捉えているので、英国人は今の人間が特権的に何かを明文化するということに対して慎重ですし、明文化できないと判断してきた。そのため、英国には単一の憲法典として成文化されたものはありません。その都度、マグナ=カルタ(注3)や権利の章典(注4)、慣習法や判例の積み重ねによって判断されてきた。

山下 日本の憲法にも、アジア・太平洋戦争で犠牲となった310万人の日本人と2000万人とも言われるアジアの人々の“死者の叫び”が込められていると思います。

雑誌「暮しの手帖」編集部が約50年前に読者から寄せられた投書を編纂した『戦争中の暮しの記録』という本があると知り、復刻版を取り寄せて読んでみました。そこには突然の召集で一家の大黒柱だった夫を戦地にとられ、幼子とともに残された妻の、「この苦しみを二度とくりかえされないようお願いしたいものです」と結ばれた手記や、焼夷弾の猛火の中を幼い弟と逃げるも、ついに両親には会えなかった姉の、「いつかは両親が訪ねてきてくれると信じていたかった」と記された手記など、人々の日常の暮らしが戦争によってどのように変えられてしまったかが、250頁にわたって記録されていた。

創刊者であり編集長だった花森安治さんは後書きに、「どの文章も、これを書きのこしておきたい、という切な気持ちから出ている。書かずにはいられない、そういう切っぱつまったものが、ほとんどの文章の裏に脈うっている」と書いています。

日本国憲法は、多くの日本人が持っていた「切な気持ち」の中から生まれ、歓迎され、定着し、そして今も力を発揮し続けている。

中島 若狭さんは希望の党設立前、新党の一番のテーゼは一院制にすることだと言っていました。ですが、国家意思を決めるのに時間がかかる二院制を取っているのは、死者からの私たちに対する歯止めなんです。これを簡単に崩壊させることはあってはならないし、安倍さんが議会内の慣習などを平気で破り、閣議決定によって憲法の解釈を変えていくやり方も見すごせない。この姿勢は、死者の経験値をないがしろにすることで、死者に対する冒涜です。

大切なものを“守る”ための改革が必要


中島 そこで<図>の〈の軸、野党共闘について考えてみると、保守である私の考えと共産党の挙げる政策には一致点が非常に多い。最近、面白い論考が『中央公論』10月号に出ていて、世論調査をしたところ、共産党を保守の側だと位置づける若者が多いというんです。これは、国民の生活を守る、地方における零細企業の雇用を守る、グローバル資本主義経済の餌食にならないよう農家の所得を守るなど、共産党が「生活の地盤を守る」ということを非常に強く言っているからだと思います。それが若者にとっては大変保守的なものだとうつる。

私はこの若者の感覚はするどいと思っていて、私自身もここ5年ほど、保守を考えれば考えるほど共産党の主張と近くなっていくという現象を体験しています。「大切なものを守るためには変わらないといけない」というのが基本的に今の共産党の政策だとするならば、保守の哲学者エドマンド・バークが言ってきた「保守するための改革」ということとまったく同じなんです。

共産党はTPP反対であり、日豪EPA(経済連携協定)や日米FTA(自由貿易協定)についても非常に厳しい立場ですので、グローバル資本主義や新自由主義の暴走への対峙というその姿勢も私と一致します。さらに、大企業に課税し、引き下げられすぎた所得税の最高税率を元に戻すべきだとする共産党の姿勢も当然の話で、安倍さんの言う消費税増税より先に手をつけないといけない。内部留保を社会に還元して、最低賃金を上げるという共産党の政策もその通りだとしか言いようがなく、保守的な政策に見える。

山下 アベノミクスは開始から5年弱経つのに、恩恵の実感を持つ人が非常に限られている。これは失敗であったと位置づけられるべきものなのに、自民党は今回の選挙公約にアベノミクスの「加速」を挙げています。グローバル資本主義や新自由主義のもとで、安倍さんのやっている政治は、ごく一握りの富裕層と大企業の利益をさらに増やしているだけにすぎません。「大企業が豊かになれば、やがて富が国民全体にしたたり落ち(=トリクルダウン)、経済が成長する」という説明でしたが、大企業の利益は史上最高を更新し続けているのに、労働者の実質賃金はずっと減り続けている。中間層がやせ細り、貧困層が増大しています。

その最大の原因は、1990年代の雇用破壊だと思います。1999年の労働者派遣法改訂により雇用の規制が緩和され、派遣労働が基本的に自由化されました。2004年には製造業への派遣も解禁された。こうして、どんなに企業が利益をあげても、それが労働者にトリクルダウンしない仕組みが作られ、企業の内部留保が膨らみ続けている。

日本経済全体が健全に成長発展するには、労働者派遣法を抜本改正して規制を元に戻す、中小企業の支援とセットで最低賃金を引き上げるなど、内部留保を社会全体に還元する政策を進める必要があります。破壊された雇用のルールを再構築しなくてはいけない。

中島 その通りだと思います。私は保守の立場から派遣労働に反対してきました。福田恆存という戦後保守を支えてきた文芸批評家の著書『人間・この劇的なるもの』(56年、新潮社)が私の座右の書なのですが、ここでは人間は演劇的な動物であると述べられている。社会の中で人間は役割というものを演じ、その役割を味わいながら生きていると。自分がその場で必要とされ、役割が与えられているということが人間にとっては重要だと彼は言っている。

これはきわめて保守的な人間観だと思います。しかし、派遣労働あるいは非正規労働は、ここを破壊する。とくに派遣労働者は、現場で「派遣さん」と呼ばれ、代替可能性というものを常に突きつけられている。

アベノミクスには“未来”がない


中島 アベノミクスも保守としてどうおかしいのか考えると、企業の内部留保の問題に行きつきます。アベノミクスは一時的な現象であって、未来は不安定だと考えているから、企業は内部留保を貯める。数十年先の安定的なビジョンと政策があってこそ、思い切った投資や企業の活性化というものができるわけで、それがない以上、みんな内向きに縮小していく。中小の零細企業まで政治が支えていくという体制がなければ、経済の循環は生まれません。

アベノミクスは年金をさまざまなマーケットにつぎ込み、結果、そのお金はグローバル企業に流れていっており、これが日本の土台をどんどん潰していっています。こんなことをしている人間に保守を名乗ってほしくない。

山下 派遣労働者は90年には全国で50万人でした。しかし、2008年のリーマンショックの直前には400万人にまで増えていた。「若者が正社員になれないのは、働く意欲と能力が足らないからだ」という自己責任論も盛んに振りまかれましたが、個々の若者の「意欲と能力」の問題にしたのでは、派遣労働のこれほどの急増は説明がつきません。雇用のルールを変えた政治の責任なのは明らかです。

リーマンショック後、派遣切りの嵐が吹き荒れ、08年末から09年初めにかけて派遣切りされた人たちに食事や居場所を提供するために東京・日比谷公園に「年越し派遣村」が開設されました。非正規雇用というのは、単に不安定で低賃金な雇用というだけではなく、いざという時には使い捨てられ、住むところまでなくなるんだということが可視化された。

リーマンショック後、首都のど真ん中に派遣村が出現したのは、日本くらいじゃないでしょうか。それほど雇用と社会保障のセーフティーネットがない。全国各地で派遣切りされた労働者への支援、労働組合を結成するなど闘いに立ち上がった労働者への連帯が広がり、共産党は、「だれもが人間らしく働けるルールある経済社会」をキャッチフレーズに、国会論戦と政策活動に取り組みました。

中島 私は自民党ではなく共産党のほうが、正しい意味での「愛国者」だと思っているんですよね。愛国というものはもともと「民主」という概念とともに生まれてきたものなんですが、少なくとも困っている国民がいたら、ちゃんと助けましょうという連帯意識が含まれている。もちろん排外主義にならないようにリベラルな規制がなければいけないんですが、それがまっとうな愛国。日本共産党という名前の意味は、多分そこにあるんですよね。

山下 はい、「国民の苦難軽減」が立党の精神です。

中島 自己責任という観念についても、ちゃんと乗り越えていかなければいけない。社会的な弱者として位置づけられる人たちが自己責任論に魅了されてしまうケースもあります。維新の橋下さんが典型で、「自分はこんなに頑張って這い上がってきたんだから、この人生を認めてほしい」という承認欲求や実存的アピールが自己責任論になっている。この構造をうまくほぐさないといけない。

批評家の小林秀雄が面白いことを言っていて、伝統がどういう時に現れるかというと、大きな破壊の嵐に見舞われた時だというんです。これを現在に当てはめて考えると、自民党や維新、希望の党の人たちが破壊者であり、それに対して伝統を大切にせよと言うのが共産党と本来の保守ということになる。

山下 競争と分断を特徴とする新自由主義の政治の暴走に抗う中で、私たちと保守の方々との接点が広がり、地域での連帯がむしろ再生されてきたと感じます。

中島 おっしゃる通り、破壊者が出てきた時にようやく、共産党と保守の溝が埋まった。なんだ、同じこと考えていたんじゃないかって(笑)。

脱原発、対米従属からの脱却、安倍9条改悪反対というリアリズム


中島 原発についても同じで、保守の人間は原発なんてそう簡単に推進できない。少なくとも福島における伝統、慣習っていうものの総合体を失っているわけですよね。大量破壊兵器や原発は慎重に避けるべきであるというのが保守の叡智であると思うんです。つまり原発は廃止したほうがいいということになる。ここの考えも現在の共産党と一致していると思いますが、それは、ある種の科学万能主義っていうところから、共産党も変わってきているからだと思います。

山下 原発の焦点は今、再稼働の問題です。希望の党の小池さんは「原発ゼロ」を目指すと言う反面、原子力規制委員会が認めた原発は再稼働させるとも言っている。しかし、規制委員会の規制基準というものが、いかにいい加減なものか。そもそも福島第一原発事故の原因さえ究明されていないんですから。

共産党は、ただちに「原発ゼロ」の政治決断を行ない、再稼働させずに、すべての原発を廃炉のプロセスにのせるべきだと考えています。3・11をきっかけにして2013年から約2年間、国内の原発が一基も動かなくても電力は足りていたわけですから。原発なしでも日本社会はやっていける。本当に「原発ゼロ」を目指すなら、再稼働は必要ありません。

私は希望の党の「排除の論理」も気になっています。先ほど話した若狭さんと同席した討論番組の中で、彼は選別基準を二つ示した後に、「私は検察官出身。嘘を見抜くプロだ」とニタニタしながら言ったんです。ゾッとしました。かりにもこれから同じ党の同志になろうという人に対して発する言葉なのかと。一人ひとりを大事にして、包摂していく政治や社会を作ることができるとは思えません。

これが永住外国人の地方参政権反対という主張にもつながっている。永住外国人は納税もしているわけですから、地方参政権を付与されるのは住民自治の見地からも当たり前です。これに反対する小池さんが、東京オリンピック・パラリンピックを主催することの矛盾も感じます。

中島 そういった主張を聞いていると、どこが「寛容な保守」なのかと思いますよね。

山下 もうすでに「寛容」でないことは見透かされつつありますが。

中島 日米関係については、本来の保守は基本的に、米国の従属に対して主権を取り戻せという立場です。日本の国土の中に実質的な治外法権の場所があるというのは、半独立国であるということ。さらに現状のまま集団的自衛権を認めるとなると、日米安保は完全な不平等条約になります。日本は米国を守らなくていい代わりに、基地を提供し、思いやり予算を提供してきた。

しかし、集団的自衛権が双方向的なものであるということになると、バーターが成り立たなくなる。日本に米国の軍事基地が残るという不平等性が顕在化する。なんで保守派を称する人たちが、喜んで不平等条約を抱きしめているのか。

山下 対米従属の問題を考える時、その「米」の世界戦略が今どのような状況に陥っているのか、検証する必要があると思います。01年のイラク戦争、03年のアフガン戦争は、数十万人の市民の命を奪い、泥沼の内戦を作り出し、「テロ」を世界中に拡散させて、IS(「イスラム国」)のような過激な武装組織が出現する要因となった。世界にこうした状況をもたらした米国の軍事的覇権主義は大破綻しています。その破綻した米国のやり方に追随していくのが安保法制です。そこに未来はあるのでしょうか。

非現実的な自民、希望、維新の主張


中島 自民党や希望の党の人たちは、リアリズムというものが日米安保にあると言うんですけども、これはまったくリアリズムを欠いている。冷静にリアリズムという観点に立つのであれば、これから10年、20年のスパンで考えるべきで、そこを見据えると、日米安保こそヤバい。米国のトランプさんが大統領選の時に、「在日米軍の経済的負担を日本が担わなければ、米軍を撤退させる」と言っていたのは米国人の本音で、さらに今は米国で日本は核武装すべきだという議論やデカップリング論(引き離し論)が非常に強い形で出てきている。

これはなぜかというと、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が大陸間弾道ミサイル(ICBM)を完成させると、防衛構想がかなり変わるからです。ICBMが飛んでくるとなると、米国も大きな被害を受けるので、北朝鮮の日本への攻撃に対する報復に慎重になる。集団的自衛権は割に合わなくなる。日本をサポートすることによって、ワシントンやニューヨークが核攻撃の対象となり、火の海になるかもしれない。

米国ではどんどん日米の切り離し論が現実味を帯びているんです。そうした時に、日本の安全保障はどうするのかというと、アジア諸国のアライアンス(連携)を強化しながら、アジアの国々となんとか緊張緩和を図っていくいくしかない。これがリアリズムだと思うんです。

山下 北朝鮮の核ミサイル問題をリアリズムで見ると、米朝間で軍事的緊張がエスカレートする中、最も懸念されるのは、当事者たちの意図にも反して偶発的な事態や計算違いによって軍事衝突が起こることです。このことはペリー元米国防長官も、ジェフリー・フェルトマン国連事務次長も指摘しています。これを避けるには米朝が直接対話をするしかない。もし戦争が起こればその時は核戦争ですから。そうなれば、安倍さんが言っている「国民の命と安全を守る」なんてことはできるはずがない。本当に「守る」ということに責任を持つのだったら、米朝の軍事衝突の危険をなくすことです。それには対話しかないんです。

同時に、米国も核保有国なので、北朝鮮に核放棄を説得しようがありません。やはり北朝鮮の問題を根本的に解決しようと思ったら、7月7日に採択された核兵器禁止条約を米国や日本が率先して批准すべきです。

中島 完全に同意します。さらに北朝鮮問題を考える上でも、原発は廃炉に決まっていると思います。ミサイルを撃ち込まれたら終わりですから。なぜそのリアリズムを軽視するのか。「保守」を掲げる人たちは、共産党が最終的には自衛隊廃止と言っているので国防問題について無責任だと言いますが、私はこの議論は違うと思います。共産党は即時の自衛隊廃止は謳っておらず、当面自衛隊というものは必要であるとしている。しかし長期的な理想的ビジョンとしては、それを縮小しながら廃止に持っていくんだと。そういう二段構えなわけです。

これは基本的に保守と同じ発想です。福田恆存さんは、現実的な防衛論を説く自分の超越的な観念には、絶対平和という観念があると言っている。哲学者カントの言う統整的理念と構成的理念で考えるとわかりやすいのですが、前者は、絶対平和、まったく武器のない世界など、おそらく人間が不完全である以上そう簡単には実現しないような理念で、後者は、現実的な政治の場面におけるマニュフェストのような一個一個の理念です。理念というものは二重の存在でなければ成立しない。共産党の理念はこの構造になっている。

山下 安倍さんが変えたがっている憲法9条も、悲惨な戦争への反省から生まれてきた人類社会が進むべき理想ですから、統整的理念ですよね。

中島 9条には、自衛隊の縛りをどう考えるのかという構成的理念も含まれるべきだと私は考えていますが、これを具体化するのは安倍さんのもとでではない。

山下 「安倍政権のもとでの憲法9条改悪に反対する」というのが、野党の党首合意で、市民連合ともそういう一点で野党共闘が再生されているわけです。今は一致する点を大事にし、相手のことをよく知り、相手の立場に立って考える、これが共闘だと思っています。

中島 その姿勢が基本的な民主主義であり保守的態度だと思います。日本が〈ローマ数字2〉の方向に向かってほしいです。

10月6日、東京都・共産党本部にて
写真・まとめ/渡部睦美(編集部)
※『週刊金曜日』10月13日号に加筆修正しました。

(注1)「保守本流」の政治家。吉田茂氏以来の旧自由党の流れを継ぐ自民党派閥の原点・宏池会の会長に1971年に就任。72年に田中角栄首相の外相として日中国交正常化を実現させた。
(注2)現在の平成研究会。田中(角栄)派である竹下登元首相や金丸信元自民党副総裁らが旗揚げした自民党内の派閥。
(注3)国王の権限を制限する内容などが盛り込まれた、立憲主義の出発点となる憲章。1215年制定。
(注4)1689年、名誉革命直後に制定された、王権の制限、議会の権限などを定めた文書。

2017年8月24日木曜日

170824 昔ここで何があった?

アジア暮らし秘話

http://www.cssnet.co.jp/csl/hiwa.html

社長の私(前川利博)が、マレーシアに会社を興し、家族で移住するに至った動機や、暮らしのなかで感じたこと、面白いと思ったこと、不愉快でたまらないこと等々、 このコーナーでは取り留めもなく書いています。これを書き始めてからは、色々な方が当ホームページを見てくれるようになりました。 日本から励ましのメールを頂き感激することもあります。 そればかりか、新聞や雑誌に文章を書く依頼が舞い込んで来るなんて、夢にも思っていませんでした。 しかし、最近はアジアネタが少なくなってしまい“看板に偽り有り”状態ですね。 やはり約19年も当地に住んでいると、全てが日常に埋没してしまうのかも知れません。 もう少し、視点を変えて、ものごとを見る目を持たないといけないですね。

№53. 昔ここで何があった?

http://www.cssnet.co.jp/csl/csl_0553.html

去る2007年5月14日、自分が東京に出張しているときに国民投票法が参議院で可決され成立した。 既に日本国内では護憲/改憲論争が激しくなって来ていることと思う。 個人的には、実質違憲状態が継続している現状を、強引な解釈で取り繕うくらいなら、今の時代にあった第九条にした方が無理がないと思ったりもするが、 現在の第九条があるからこそ、この程度の状態(海外派兵等)に収まっているという意見も納得してしまう。 しかし、60年前にGHQが数週間で仕上げたという日本国憲法が現代社会に全てフィットするとは思わないし、占領国が日本を骨抜きにするための道具としたとも言われている“第九条”を 「絶対変更してはナラヌ!」といった意見も?マークだ。しかし、押し付けられた憲法とは云え“戦争はしない”という基本精神だけは大切にしたい。 難しい理論や解釈はともかく、普通に考えれば「独立国家として単独で自衛可能な戦力を維持しつつ、自衛の為には戦う権利を保持し、且つ、自分からは戦争を仕掛けたり、 ましてや侵略なんて絶対しません」というのが、国としての“当たり前”ではないかと思うが、違うのだろうか? 現代日本では、銃を持って外国を侵略することに賛成する人は殆ど居ないとは思う。 しかし、集団的自衛権の問題や、外国支援のための自衛隊派遣などは、議論が分かれるところだろう。 他国支援に関しては、それが真の国際貢献であり、且つ派遣先の国民から喜ばれているのであれば、日本の参加を求められることは光栄であり、先進国としての義務でもあると思う。 が、国際貢献の名を借りた超大国の侵略行為に加担させられ、おまけにカネ(戦費負担)まで無心される事態を、どうやって自分の子供達に説明したらよいか、私は分からない。 ましてアジア各国からは「また日本が侵略を始めるのでは?」と在らぬ嫌疑までかけられているのは、なんともやりきれないではないか。

平和(ボケ?)で、物質的にも恵まれた現代日本で暮らしている日本人は「日本が武力でもって他国に侵略するなんてことはあるワケない」と、当然のように考えている。 だが、先の大戦で直接被害を受けたアジア各国の高齢者達は「いつかまた日本人の侵略の遺伝子が表面化する筈だ!」と、警戒を怠れないのは不自然なことではない。 それは、彼らにとっては、あなたの家族を惨殺した犯罪者が刑務所から出て来て「私は更正しました。過去の忌まわしい記憶は忘れて、一緒に楽しく暮らしましょう」 と、言われているのと同等のことなのだ。 幸いにも、被害国の人が書いた本などでは「過去は過去として見つめつつも、発展的な友好関係を築くことが大切だ」と、我々に優しい。 しかし、彼らが優しいからと言って“過去”がキレイに清算されたワケではない。 国家間レベルでは、その“優しさ”の裏には、日本の経済力に対する“期待”が含まれていることは容易に想像がつく。 しかし、個人感情レベルでは「一部の狂人達(軍部)に、泥沼の戦争へと導かれた大多数の日本国民も被害者である」といった公式見解は納得出来ないが、 生きていくためには過去に目を瞑り、未来志向のスタンスを採らざるを得ない、といったところではないだろうか。 それが証拠に、首相の靖国神社参拝や、閣僚の不用意な発言等のセンシティブな問題に対する反応は極めて手厳しい。 「せっかく俺達が過去の犯罪に目を瞑ってやってるのに、お前達自らこの関係をぶち壊したいのか、戦争でナニをしてきたか忘れたのか?」 と、気持ちを逆撫でされた思いが爆発してしまうのだと思う。日本人は、これを“過剰反応”と簡単に片付けてはいけない。 (たとえ自国の都合で反日感情を政府が煽っている背景があったとしても、だ) なぜなら「欧米列強からのアジアを開放する」との大義名分はともかく、実際に日本兵によって辛い目に遭わされた民間の人々は被害者であり、 加害者が被害者の気持ちを全て理解するのは絶対的に困難だからだ。 被害者の気持ちを少しでも理解すること、それは、まず実際に何が行われたかを知ること抜きにはあり得ない。 何度「過去を反省しています」とエライ人が言葉で伝えたところで、我々自身が、何に対して反省しているのかも明確でないのでは、お話にならないではないか。 原爆の悲惨さや、東京大空襲の被害は、日本でもよく目にすることが出来るし、それを決定強行した米国は、過去も現在も許し難い。 ただ、広島や長崎に落された原爆を“日本人への天罰”と理解している人々も外国には存在するのだ。

私は現在マレーシアに暮らさせてもらっているが、この地(シンガポールも含む)も大日本帝国軍の蛮行による被害を受けた悲惨な過去がある。 日本では真珠湾攻撃のことはよく知られているが、その1時間前の1941年12月8日未明に、マレー半島東北部のコタバルに侵攻した日本軍のことは“真珠湾”ほど語られていないので、知らない若い世代の方も多いと思う。私自身、不勉強のまま当地に暮らし始め、うっすらとしか当地で行われた蛮行に関しての知識がなかったのだが、今現在は、関連する本や文書を読む機会も増えた。 一緒に働く従業員にマレー系イスラム教徒が加わり、以前から居た中国系従業員との歴史感のちょっとした違いなどもあり「いろいろ勉強してみようかな」と思っていた矢先、日本での改憲機運の盛り上がりで、今こそ、太平洋戦争(大東亜戦争)中に、当地で日本軍が行ったことについて見つめ直す時期ではないか、と、個人的にだが思いはじめたのだ。 もちろん、戦後生まれの私は事実をこの目で見ていないし、全ての情報は書籍やネットで調べただけだ。 言ってしまえば全て“引用”だ。そして、自分で経験したことではないので「全てが事実なのです!」などと断定する勇気は持ち合わせていない。 が、しかし、そんなことを言い出せば、古代史を語る学者などは皆、妄想家やイカサマ師になってしまう。 歴史認識に関しても、かなり重箱の隅を突っつき合う論争がメディアで行われているので、その辺に引っかかると面倒だが、 色々気にし過ぎてただ沈黙していては、過去は見えて来ない。 私自身、せっかく“現場”であるマレー半島に暮らしているのだし、日本人として、人間として二度と同じ過ちを犯さないためにも、これを機に “戦争中、当地で起こった、日本ではあまり積極的に語られない事実”を勉強してしまおうと思う。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

そもそも、日本が南方進出を決めた背景は、有名なABCD包囲網による国防資源(鉄くずや石油)の禁輸であったと言われている。その意味では安全保障上の決断と言えなくもない。 列強の兵糧攻めに対して南方に活路を見出したのだ。それは、重要国防資源の確保と軍の食料等の現地調達、そのための現地人の懐柔、抑圧を目的としていた。 それらは、日本の本来の意図とは別に、イギリスの植民地支配に苦しめられていたマレー人にとっては日本軍は歓迎すべき解放者であったかもしれない。 が、別の現地の人々にとっては、占領する国がイギリスにかわって日本が台頭してきたに過ぎない。 特に、1937年勃発した日華事変(中国人民抗日戦争,八年抗戦)を側面支援している華僑にとっては、“祖国の敵”にあたるため、日本軍の侵攻は、抵抗の対象でこそあれ、歓迎など到底出来るものではなかった。まして、目的を阻むと思われる現地人に対しては容赦ない弾圧を加える姿勢をとっていた日本軍は、彼等にとっては侵略者以外の何者でもなかった。

1941年12月8日、日本軍はマレー半島をタイ領シンゴラ、パタニ、そしてマラヤ領コタバルから大量の犠牲を払いながらも上陸した。 開戦と同時に“世界最強の不沈戦艦”プリンス・オブ・ウェールズと高速戦艦レパルスを撃沈し、チャーチルを失意のどん底へと叩き落した。 戦況把握が不十分なうえ、優柔不断なイギリス軍を尻目に、日本軍は破竹の勢いで英国軍アジア最大の要塞シンガポールを目指し南下した。 大量の自転車(MIYATA製らしい)による“銀輪部隊”での移動にもかかわらず、翌年1月31日には半島南端のジョホールバル、そして2月15日にはシンガポール(後に昭南島と命名)も陥落した。 その際、現在は観光名所として有名なセントーサ島の海に向けて構築された砲台は、陸地から攻め込んだ日本軍には“役立たず”だったらしい。 緒戦でのあざやかな勝利に日本国内では、旗行列や提灯行列でお祭り騒ぎだったらしいが、現地(現シンガポールとマレーシア)の中国系国民にとっては悲劇の始まりとなる。 陥落後に開始された“敵性華僑狩り”である。シンガポールで6,000人(4~5万人説有り)、マレーシアで7,500人(10万人以上説有り)の尊い命が“抗日分子”のレッテルを貼られ奪われたのだ。

【大検証(華僑粛清)】
シンガポール陥落の数日後に山下奉文司令官(やました ともゆき、「イエスかノーか?」と、英パーシバルに迫ったことで有名)の命令で、シンガポール在住の18歳から50歳(60歳と書かれた本もある)の男子が地域別に集められた。 住民達に目的は知らされていなかったが“敵性華僑狩り”である。集合場所は公園やゴム園、そして交差点やストリート、「食料と水持参で来い、従わない場合は厳重処罰(=死刑)だ」の命令に従い、中には3日間もストリートで大小便を通路の下水ですませて待った親子も居た。 この検証で“敵性でない”と判断されると服に“検”と印をつけられ開放され、“敵性華僑”と判定されると検挙され別の場所に集合することになる。 そこでトラックに乗せられ、海岸まで連行され、8~12人の群で電線で縛られ、海へ向かって歩かされる。 日本兵は海岸から機銃を掃射し、その後、海に入り致命傷を負っていない者を銃剣で止めを刺したそうだ。 奇跡的に生き残った人は「死体が散乱し、マーケットの屋台のうえの魚のような状態だった」と証言している。 また。ゴム園などでは、死体処理の手間を省くために、自ら墓を掘らせた後殺害したとのことだ。先日、仕事で面会した中国系の若い男性は「俺の爺さんは日本語がちょっと出来たので生きて帰って来れた」と言っていたが、“検”マークは、判定する日本兵の気分次第の部分もあったらしい。

【パリッティンギ(港尾:カンウェイ)、シンバ(新芭)の虐殺】
シンガポールにつづきマレーシアにも粛清の波はやってきた。 特にKLを囲むセランゴール州の隣、ネグリ・スンビラン州では、日本軍支配の及ばないマレー半島を縦貫する山脈の尾部であり、密林に潜む共産ゲリラや抗日分子とのつながりのある村も多く、日本軍の情報を流す村民も居たようだ。度重なる粛清(計6回も!)はその報復とも言われている。シンバ(新芭)では、1942年3月15日の午後、日本軍は自転車でやってきて7,8軒の住民を殺して家を焼き払った。それだけでも大変な戦争犯罪ではないかと思うが、これは翌日に行われる大虐殺の序章でしかなかった。 パリッティンギ(港尾)の虐殺は、生き残りの当事者が、日本に対して文章で補償を求めているので、それをそのまま引用したほうが分かりやすいだろう。 (別の本で読んだこの虐殺シーンは、粛々と村民を殺していく日本兵の行動がとても不気味だった)

孫建成(スン ジェン チェン氏)より海部俊樹首相宛の手紙(1989年10月3日付)
『拝啓 私、孫建成は日本占領下のマラヤの生き残りです。1942年3月16日日本皇軍によって私の家族9人が殺されたのを私は自分の目で見ました。祖母と私だけが幸いなことにその悲劇から逃れることができました。私はここにその悲劇の犠牲者として、私の家族に代わってこの問題についてのあなたの関心を喚起し、あなたが満足のいく回答をしていただくことを希望します。(中略)1942年3月16日朝7時、私はパリッティンギ村から出て、約40人の日本兵が自転車に乗って村に入っていくのを見ました。30分後、一人の日本兵が私の家に来て、彼について村の通りまで来るよう命令しました。私たちがそこに行ったとき、すでに数百人の村人が座っていました。そのとき村長は約80人の日本兵に食事を出してもてなしており、村人たちも心配なさそうに座っていました。村人は、食事がすんだら日本兵は我々に話をするのだろうと思っていました。しかし村人はだまされていたのです。まもなく大虐殺が始まりました。日本軍が村にやってきたのは村人たちと話し合うためではなく殺すためだったのです。私はその出来事の目撃者の一人です。私は9人の家族と600人の村人が殺されたことをはっきりと覚えています。(中略) 9人の私の家族が日本軍によって殺されたため、私の喜びの満ちた家庭が破壊されてしまったことは非常に残念です。私はその事件を忘れることができず、いつも記憶にあります。日本政府がこのことについて満足のいく返答をしていただくことを希望します。この虐殺事件で失われた生命と財産に対して、日本政府が補償をおこなうことを私は要求します。日本政府は1967年に2500万マレーシア・ドルの賠償をマレーシア政府におこないました。なぜ賠償がマレーシア政府には渡されたのに、虐殺の犠牲者の家族には渡されなかったのでしょうか。パリッティンギの人々は戦争をしていないのに日本軍によって殺されたのですから、私たちは補償を与えられるべきです。私の補償要求について、首相が満足のいく返答をしていただくよう心より希望します。ありがとうございます。敬具』 (林博史氏の『日本の現代史と戦争責任についてのホームページ』より引用)

【ペナン鍾霊中学教師・生徒虐殺】
今では、日本人駐在員が多く住み、日本からの旅行者も多い“東洋の真珠”ペナンにも悲惨な抗日の歴史がある。 ペナン観光は欠かせないペナンヒルの近くにある名門中の名門の鍾霊中学(含む高校)は、抗日運動の拠点として有名であった。 そのためシンガポール陥落後の1942年4月6日、日本軍は現地の協力者(密告者)の手引きで46人の教師と生徒を一斉検挙し、そして殺害した。 1947年に建てられた碑に書かれている内容が痛ましい。 『日中全面戦争が始まってから、その戦火はペナンにも飛び火し、残虐な事件があちこちで起こった。それに対し人々は怒った。自らは武器をもって戦えないが、金がある人は金を出し、力のある人は力を出すべきとして戦った。そして鍾霊の学生は愛国の情熱をもって終始一貫戦った。華人学校の中でも、とくに鍾霊の学生は最も抗日意識が強く、果敢に戦った。そのため南進を阻まれた日本側に敵視され、骨まで恨まれて手先により殺害された。また一網打尽のため、あらゆる残酷刑を施し、しかもその死骸が晒された。原爆投下により国の恥と家の仇は川の流れとともに東へ流れ去った。彼らは民族大儀のために犠牲になったので、ここ学校の中庭に記念碑を建て、彼らの功績を永遠にたたえて彼らの魂を慰め、その名を後世にとどめておこう』私はペナンヒルも極楽寺にも行ったが、鍾霊中学の存在は知らなかった。次回ペナンを訪れるときは絶対足を運んでみようと思う。

【拷問】
虐殺は逃れたが、共産ゲリラや、抗日活動をしていると疑われた人達に対して行われた拷問も悲惨だった。 電気ショックを与える。指先の爪や髪の毛を抜く。軍用犬に攻撃させる。 縛ったうえに水道のパイプを鼻や口や尻に差し込んで水を入れ、腹の上に乗って踏み付ける。 ある者は中国武術をやっていたがために、日本軍人の格闘技の相手にさせられ殺されたという。 更に惨い例では、抗日青年を匿っていたという“罪”で刑務所に連行されたある女性だ。裸にされ、逆さに吊られ長時間殴られ、タバコの火で失神させられた。 恐ろしいことに、女性の局部に数回も棒を差し込んだ後、オートバイの後ろに縛り付けて走り周り、結果死亡させたという。

【細菌戦部隊】
以前、森村誠一著の『悪魔の飽食』で読んだ旧満州731細菌部隊に似た組織が、マレー半島ジョホール州にも存在した。 精神病院を隠れ蓑として、極秘に培養されていたのはペストだと言われている。大量の蚤(ノミ)と鼠(ネズミ)を日本本国より空輸し、現地で飼育した後に、 ペストを媒介させ細菌兵器とする予定だったらしい。幸い、これらの“兵器”が実戦配備される前に終戦を向かえ、飼育されていた蚤や鼠は ペスト菌をうつされる前の状態で川に捨てられたため、被害はなかった。しかし、もし終戦が延びていたら現地人はもちろん、日本兵にも甚大な被害を与えたことであろう。

【慰安所】
“旧日本軍の展開するところ慰安所アリ”、マレーシアとシンガポールも例外ではない。 全土に点在し、未だ跡地の建物は残ってるものも多い。現地での性犯罪や性病抑止の為に設置運営された多くの慰安所は軍が関与したと考えられている。 この問題は非常にセンシティブな問題なので、あまり断定的な言い方は控えるが、「非常に多くの慰安所があった」そして「強制的に働かされている女性がいた」 と言われている。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

戦争中のこととは言え、マレー半島とシンガポールだけを見ても、随分沢山迷惑な行為を働いて来たものだと思う。いや、感心している場合ではない。 もし、逆の立場で私や私の家族が被害者であったなら、生涯加害者達を許すことは出来ないだろう。 平和に暮らしている家に土足で踏み込み、子供を殺し、妻を目の前で輪姦されておいて“過去の不幸な一時期”で済まされるわけがない。 まして補償(金銭)という最低限の償いも得られぬまま、寿命というタイムアウトで朽ち果てて行った人々の魂は、どこで眠れば鎮まるのだろうか。 日本兵に村民675人、子供も老人も殺された、というパリッティンギ(港尾村)の虐殺証言も、 死亡率9割以上の過酷な労働に、騙されて連れて行かれた、ビルマ国境テーモンタの泰緬鉄道建設のケースも 1967年9月21日の通称“血債協定”で清算済みとして、個人補償はされていないようだ。 矛盾するようだが、実は私は“日本は自虐史観を払拭すべし”という自由主義史観の意見はマクロでは賛成派だ。 500年に及ぶ欧米列強の残虐非道な非白人への略奪行為は、どんなに真実を隠蔽し、且つ歴史を美化しようとも被害者達の心まで騙せない。 そして、日本が太平洋戦争(大東亜戦争)へと突入せざるを得ない状態に追い込み、戦後日本人のアイデンティティまで矯正したGHQには深い憤りを感じる。 しかし待て。歴史のマクロはともかく「その昔、日本兵達によってワシの一族全員(皆非戦闘員だ!)が虐殺された」と主張する爺さん達が存在する限り、 「虐殺は無かった」などと一律に否定し、彼らの気持ちを逆撫ですべきではない。(自虐史観払拭派の重鎮達ですら、関東軍の暴走等を認め“反省すべき”と書いている) 犯した罪を罪として正視せず、従って反省もなく、それでも相手の理解を得られると思うのは傲慢でしかない。 以前、私は自分の息子への医療ミスに対して医者(病院)の不誠実な対応について憤慨するコラムを書いた。 書いたは書いたが、もし相手が誠実にこちらの話を聞く態度であり、且つ過失であることを認めていれば、慰謝料などはゼロでも良いとさえ思っていた。 怒っていたのは、医療ミスを無かったことにするその態度に、だった。 なにも甚大な戦争被害と指一本を比べているのではない。たかが指一本の医療ミスに対してでも「そんな事実は無い!」とトボケられると、殺意を感じる程 ムカつくものだと言いたいのだ。被害が指一本ではなく、愛する家族や多数の友人の命であった場合はどうであろう?・・・答えは明白だ。

色々なことに無関心になりがちな忙しい現代日本人だが、アジアの人々と“わだかまり”なく付き合うための第一歩として、我々がしないといけないことは、 そんなに難しいことではない。それは“昔何があったか?”を知ろうとすることだ。 事実を知らないままでは、反省する心はおろか、補償問題に関する行動などは生まれない。 そして、日本人が犯していない罪まで、作為的に背負わされているとしたら、こいつはタマラナイ。 事実を事実として受け止め、濡れ衣は濡れ衣として主張し、反省すべき点は反省し、補償すべき個々の対象には謝罪と補償を考慮する。 (急がないと生存している補償対象者は少なくなるばかりだろう) これらを、タイムアウト待ちでスキップするか、前向きに対処するかで、当地で生活する日本人に対するの評価も随分と違ったものになることは確実だ。

さて、冒頭の国民投票だが、18歳以上国民全体の投票で憲法改正の是非を問うことは良い。 が、投票までに国民が学ばないといけないことは山のようにあるのではないかと思う。 投票用紙は○か×だけで、意思が無くても意思表示できる単純な方法だと思うので、護憲/改憲両陣営の主張には注意深く耳を傾けておきたい。 自国のことなので、外圧や他国の内政干渉を排除した議論が大切であることは理解できるが、これは正に“戦争の扱い方”を決める議論だ。 謙虚な気持ちで考えると当たり前のことだと思うが、護憲/改憲論争(第九条)を左右する鍵は、日本国内より、むしろ日本の外側の人々の気持ちの中にあると私は思っている。

尚、このコラムの日本軍の蛮行の部分は、陸培春(ルー・ペイチュン)氏の著書、『もっと知ろうアジア』と『観光コースでないマレーシア、シンガポール』の“乱用”と言われても仕方ないほどフル活用させて頂いた。 (稚拙な文章で赤面モノだが・・・)こういった、あまり語られない歴史の恥部を、未だ知らない若い世代の日本人に伝えることは 「日本人が自らの過去を知り、そして反省しないことには未来が生まれない」と主張される氏の趣旨と合致すると、勝手に解釈しているのでお許し願いたい。 また、KL日本人会で偶然お話させて頂いた或る方に“(記者として日本暮らしの長かった)陸培春氏は現在KLにお住まい”と聞いたが、もし機会があれば、直接講演などで勉強させて頂きたいと切に願う次第である。

(№53. 昔ここで何があった? おわり)

2017年8月23日水曜日

170823 辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのか


辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのか――大田昌秀元沖縄県知事インタビュー

  • 堀潤(ジャーナリスト)
  • 2015年7月3日

  •  
  •  
  •  


私たちは「敗戦」を迎えたあの時代から続く一本のタイムラインの上をいまも変わらず歩き続けている。振り返れば戦前、戦中、戦後に隔たりはなく、かつての日常の連続の上に私たちの日々の暮らしがあるのだ。多くの犠牲と惨禍をもたらしたあの不条理な戦争の記憶は時の経過と共に薄れ、風化が進んでいる。しかし、ひとたび沖縄へ目を向けると、私たちが「風化」という言葉によって、いかに冷たい目線の投げかけに加担してしまっているか気づかされ、強い自戒の念を感じざるを得ない。なぜ、沖縄にあれだけの数の米軍基地が集中しているのか、私たちは知っているだろうか。報道で伝えられる「沖縄の怒り」という言葉の源流に想いを馳せることができているだろうか。  
私は米軍基地問題と向き合い続けてきた沖縄の歴史を知るために、先日、元沖縄県知事の大田昌秀氏をはじめ沖縄戦を体験した方々の元を訪ねた。
大田氏は1925年生まれの90歳。学徒兵として沖縄戦の戦場に駆り出され、およそ20万人もの人々が犠牲になったといわれる過酷な戦闘状況の中でなんとか生き残った。戦後は、研究者として、そして政治家として基地問題に関わり続けてきた。沖縄の米軍基地の歴史と内幕を一本のタイムラインで途切れることなく語ることができる、数少ない人物だ。
普天間基地辺野古移設の問題の本質は、戦前、戦中、戦後の歴史を紐解かなくてはなかなか見えてこない。読者の皆さんが歩むそれぞれのタイムラインとの接続をはかるため、まずは大田元県知事の証言をシェアしたい。

Photo by 堀潤

敵の米兵よりも日本軍の方が怖かった

――「戦後70年」というテーマで、米軍基地問題の源流を探る取材をしています。大田さんは1945年3月、沖縄戦の当時はどのような状況でいらしたのですか?
大田:当時、僕は19歳で、首里にある師範学校の生徒でした。戦争中、沖縄には12の男子中等学校と、10の女学校があったんです。それらすべての学校で、10代の生徒たちが戦場に出されました。普通は、そういう若い人たちを戦場に出すためには国会で法律をつくらなければいけません。ちょうど昭和20年6月23日――いまの慰霊の日ですね、日本本土で「義勇兵役法」という法律ができて、男性は15歳から60歳まで、女性は17歳から40歳までの人たちを戦闘員として戦場に出すことが初めて可能になりました。ところがそれは、沖縄戦での組織的抵抗が終わってからできた法律なんです。ですから、沖縄の若者は法的な根拠もないまま戦場に送り出されて、犠牲になりました。兵隊ですと「巻脚絆」といって、足を保護する布があるんですが、私たちは素肌で戦場に出なければならなかった。銃1丁と120発の銃弾と2個の手榴弾を持たされて、半袖半ズボンで戦場に出されたんですね。

Photo by USMC ArchivesCC BY 2.0
――大田さんは、手榴弾を抱えさせられて戦闘に投入されたと聞いています。そのときは、どんなお気持ちでいらっしゃいましたか?
大田:私たちは「皇民化教育」といって、天皇のために命を投げ出すのが人間として一番幸せなことだと叩き込まれていました。一方で、本土なら東京・神田とかに古本屋がいっぱいあって、自由主義、民主主義といった思想の本を密かに読めたんですが沖縄にはそういう本屋がなかった。県議会で「危険な思想の本は上陸させない」と決議されたので、船でも持ち込めなかったんです。ですから私たちは、皇国史観しか知りませんでした。「この戦争は欧米の帝国主義からアジアの人々を解放する神聖なる戦争だ」という言葉を鵜呑みにしていたんですね。試験管の中に入れて純粋培養するように、天皇制教育を徹底的に教わり、戦場に出たときもそのまま信用しておったわけです。

Photo by USMC ArchivesCC BY 2.0
ところが、戦争が日本軍にとって不利な状況になってきたときに、戦場で旧日本軍の沖縄住民に対する対応を否応なしに見せつけられました。
兵隊は、敵軍に気付かれてしまうから「子供を殺せ」と言う
例えば、住民がいたるところに壕を掘って家族で入っている。そこに本土からきた兵隊たちが来て、「俺たちは本土から沖縄を守るためにはるばるやってきたのだから、お前たちはここを出て行け」と言って、壕から家族を追い出して入っちゃうんですよね。一緒に住む場合でも、地下壕ですからそれこそ表現ができないほど鬱陶しい環境で、子供が泣くわけです。そのときに兵隊は、敵軍に気付かれてしまうから「子供を殺せ」と言う。母親は子供を殺せないもんだから、子供を抱いて豪の外に出ていき、砲弾が雨あられと降る中で母子は死んでしまう。それを見て今度は、別の母親が子供を抱いたまま豪の中に潜む。すると兵隊が近寄ってきて子供を奪い取り、銃剣で刺し殺してしまう……。そういうことを毎日のように見ているとね、沖縄の住民から「敵の米兵よりも日本軍の方が怖い」という声が出てくるわけです。

Photo by USMC ArchivesCC BY 2.0
――それは大田さんもご覧になった光景ですか?
大田:もちろん。こういう光景を見ていると、「一体この戦争とは何だ」と思わざるを得なくなって、旧日本軍に対する信頼感が一挙に失われたんですね。
私が戦争から生き延びて真っ先にやろうとしたのは、自分の中の疑問を明らかすることです。なぜこんな戦争に自分たちは巻き込まれたのか。なぜ僕らのクラスメートや同僚たちが、こんなにたくさん死ななくちゃいけなかったのか。彼らが家庭ももたないうちに死んでしまった理由を、どうしても明らかにしたいと思いました。それから20年間、アメリカの国立公文書館に通い続けて沖縄戦の記録や資料を手に入れ、分析した結果、日本がいかに間違ったことをしてきたか、なぜ沖縄が巻き込まれたのかがわかりました。

Photo by CliffCC BY 2.0
――戦後、沖縄の本土復帰の過程において、米軍基地が沖縄にどんどん移されていきますよね。時を経ていま、辺野古の問題が解決されないまま立ち往生しています。大田さんならこの問題をどう解決していきますか?
大田:いま、世論調査をしますと、沖縄住民の83%が普天間飛行場の辺野古移設に反対しているんです。本土でも辺野古基地移設に反対する人は少しずつ増えていますが、全国世論調査の結果を見るとまだまだ賛成反対両派が拮抗しています。私には本土の人たちが中身を知らずに賛成しているように見える。つまり、ただ辺野古へ基地を移設すればいいという話ばかりが言われて、どういう基地ができるかを知らないんですよ。

公文書が教えてくれた辺野古問題の原点

1995年5月に少女暴行事件が起きました。それを受けて沖縄県民8万5千人が抗議大会を開いたら、日米両政府が慌てました。「SACO=沖縄に関する特別行動委員会」というのを組織して、沖縄の基地を閉鎖する考えを発表したんです。そこで日米両政府が出した中間報告と最終報告を丹念にチェックしたら、日本政府の報告書に、普天間飛行場を5分の1に縮小して辺野古に移すと書いてあった。現在の普天間飛行場の滑走路の長さは約2600メートルですから、それを約1300メートルに縮めて前後に100メートルの緩衝地帯を設け、長くても1500メートル程度に縮小して移すと。建設期間は5~7年で、建設費用は5000億円以内というのが、日本政府の当初の方針だったのです。ところがアメリカ政府の最終報告では、MV22のオスプレイを24機配備し、これが安全に運行するために2年の演習期間が必要なので、建設期間は少なくとも12年。建設費用は1兆円、運用年数40年、耐用年数200年になるような基地をつくると、はっきり書いてあるんです。そんなものができたら、沖縄は未来永劫基地と共生しないといけなくなります。だからこれは絶対にダメだと言いたいわけです。

Photo by PIXTA
いまも吉田元首相の発言が生きている
本土では知られていませんが、吉田茂元首相が当時の外務省条約局長の西村熊雄に、サンフランシスコ平和条約の締結条件を早くアメリカ政府に出すよう指示した記録があるんです。その中に「琉球は将来日本に返して欲しいが、いまは米軍が軍事基地として使いたがっているから、99年間のバミューダ方式で貸す」という内容があるんです。私はそれを見たときに、アメリカとアメリカの意向を忖度する日本から「耐用年数200年」という発想が出てくるのは当然だと思いました。いまも吉田元首相の発言が生きているんでしょう。
普天間飛行場の移設先について、日本政府は最初、辺野古とは言わなかった
私は沖縄県知事になって、まず最初に沖縄県公文書館をつくりました。アメリカで修士号をとった沖縄出身の優秀な学生を県の職員に採用して、アメリカの国立公文書館に9年間みっちり通わせ、沖縄の関連で公開解禁になった資料を片っぱしから送ってもらって資料を集めました。普天間飛行場の移設先について、日本政府は最初、辺野古とは言わなかった。「沖縄本島の東側海岸」といってごまかしていたんですね。それが辺野古と決まったときに、当然疑問に思って公文書資料をチェックしてみたんです。そうしたら驚いたことに、意外な事実がわかった。
そもそも普天間飛行場の辺野古移設は、1996年に橋本総理と私との間で始まった話だと思っていました。同年4月の米クリントン大統領の来日前に、秩父セメントの諸井虔会長が、橋本総理の密使として私に会いに来られたんです。「2人きりで会いたい」という話だったので、会ってみたら、諸井さんは「友人の橋本が『沖縄が基地を引き受けてくれない』と言って、苦労している。なんとかならないか」と言ってきたんですね。それで私は「申し訳ないが、われわれは沖縄戦を体験している。200年も存在し続けるような基地を引き受けることは到底できません。基地を引き受けたら、次に戦争が起きたときに真っ先に沖縄が戦場になってしまう。総理が安請け合いして『沖縄が基地を受け入れる』と言ってしまったら、アメリカは契約社会だから、その約束を守れなければ信用が傷つきます。だから、あなたが本当の友人だったら、橋本総理に率直に、沖縄は基地を受け入れる気はまったくないと伝えて、総理を傷つけないようにしてください」と申し上げたんです。

Photo by PIXTA
ちょうど同じころ、1996年1月に沖縄は「基地返還アクションブログラム」という要望を日米両政府に出しました。2001年までに1番返しやすいところから10の基地、2010年までに14の基地、2015年には嘉手納飛行場を含めて17の基地すべてを返還してくれという要望です。そうすれば、沖縄は基地のない平和な社会を取り戻すことができる。これを日米両政府の正式な政策にしてくださいと提出したら、諸井さんが「2001年までに10の基地を返してくれとのことだが、最優先で返して欲しい基地はどこか?」と尋ねてきたので、「それは普天間です」と言いました。なぜなら普天間は周辺に16の学校があり、病院や市役所もあって、さらにクリアゾーンという本来建物をつくったり、人間が住んだりしてはいけない区域に普天間第二小学校ができていて、3000人が住んでいる。だから一番危険な普天間を真っ先に返してくださいと言ったら、2015年までに普天間を加えた11の基地を返すことで、日米両政府が合意したんです。すごく喜びました。ところが後になって、そのうちの7つについては沖縄県内に移設するというんですよ。移設するときにはコンクリートでつくるので、耐用年数が尽きるまで米軍が使えてしまう。だからわれわれとしては、「県内に7つも移設するのは到底納得できません」と返したわけです。
アメリカ政府は沖縄が日本に復帰して、日本国憲法が適用されると、沖縄県民の権利意識がますます強まって基地の運用が厳しくなると考えた
ところがですね。県の公文書館にある資料を読むと、別の事実が書いてあったんです。1953年から1958年まで、米軍が沖縄の農家の土地を強制的にとりあげて軍事基地に変えていった時代に、「島ぐるみの土地闘争」といわれる、沖縄の歴史始まって以来の大衆反米行動が起きました。そうした中で、沖縄の日本返還の話が1965年ごろに始まるわけです。アメリカ政府は沖縄が日本に復帰して、日本国憲法が適用されると、沖縄県民の権利意識がますます強まって基地の運用が厳しくなると考えた。アメリカにとって一番重要な基地は嘉手納以南の人口が一番多い地域に集中している。それをひとまとめにしてどこかに移そうと計画を立てて、アメリカのゼネコンまで入れて西表島から北部の方まで全部調査したんです。その結果、辺野古のある大浦湾が一番いいという結論になった。なぜかというと、水深の浅い那覇軍港は水深が浅くて航空母艦を入れられないんです。ところが辺野古のある大浦湾は水深が30メートルあるので航空母艦を横付けできる。そこで滑走路だけではなく、海軍の巨大な桟橋をつくって航空母艦や強襲揚陸艦を入れ、さらに反対側には核兵器を収容できる陸軍の弾薬庫をつくる計画を立てたわけです。

Photo by PIXTA
半世紀前に計画した基地が、全部日本の税金でできるようになった
2009年、民主党に政権交代が起きたことを機に沖縄返還交渉時に交わされた密約が明らかになりました。沖縄が日本に復帰して憲法を適用されても、アメリカの基地の自由使用は認め、いつでも核兵器を持ち込めると約束されて安心していたのです。しかし、密約が交わされた当時、アメリカはベトナム戦争で軍事費を使ってしまって金がなく、建設費も移設費用もすべて米軍の自己負担だったため、この計画は放置されたのです。そしていまになって――実に半世紀ぶりにこの計画が息を吹き返しているわけです。現在は移設費から建設費、維持費、思いやり予算まで、みんな日本の税金で賄っています。米軍としては、こんなにありがたい話はない。半世紀前に計画した基地が、全部日本の税金でできるようになったわけですから。米軍が辺野古を推すのにはそういう背景もあるんです。

辺野古移設は日本国民全員に関わる問題

大田:普天間の副司令官・トーマス・キングがNHKのインタビューに答えて、辺野古には軍事力を20%強化した基地をつくると言っています。いまの普天間飛行場は爆弾を積めないので、米軍のヘリ部隊がアフガン戦争やイラク戦争で出撃するときは嘉手納に行く必要があるからです。辺野古に移したら、陸からも海からも自由に爆弾を積める施設をつくるのだと。MV22オスプレイも、24機配備する。そうすると現在の普天間飛行場の年間の維持費は280万ドルだけれど、辺野古に移ったらこれが一気に2億ドルに跳ね上がる。これを日本の税金で賄ってもらおうと言っているわけですよ。つまり、辺野古に基地をつくったら、耐用年数200年で1兆5千億円という関西新空港並みの予算規模の基地になる。本土の皆さんはこういうこと――自分たちの頭の上にどれだけの財政負担がおっかぶさってくるかを知らないから、「賛成」と言っていられるんです。
――本土の皆さんには何を訴えたいですか?
辺野古基地移設の問題は、場所を移すかどうかだけではなく、どういう基地をつくるのかということも含めて真剣に議論していただきたいですね。1兆5千億円かかると言われている財政負担が「思いやり予算」という名目で、どれだけ自分にかかってくるのかも。そういうこともきちんと考えないと、とんでもないことになりかねないと心配しています。そんなに財政のゆとりがあるなら、福島県の復興を1日でも早く進めるべきですよ。
日本本土の国益の名において、沖縄は絶えずモノ扱いされ、政治的取引に利用され続けてきました
沖縄は本土復帰するまで、憲法が適用されていませんでした。それはつまり、憲法にうたわれている人間の基本的な権利が担保されていない――人間が人間らしく生きていけないということなんです。日本本土の国益の名において、沖縄は絶えずモノ扱いされ、政治的取引に利用され続けてきました。ですから、沖縄には怒りが満ち満ちているわけです。

Photo by 初沢亜利

私たちには考え続ける責任がある

大田元知事へのインタビューを終えた翌日、私は普天間基地を利用するアメリカ海兵隊の将校にインタビューするため、宜野湾市や沖縄市にまたがるキャンプ・フォスターを訪ねた。取材に応じてくれたルーク・クーパー中尉に「辺野古は唯一の選択肢だという日本政府の方針は本当か?」と尋ねた。かつて森本敏元防衛大臣が「軍事的には沖縄でなくても良いが、政治的に考えると沖縄が最適な地域だ」と語っており、つまり本土では受け入れの理解が得られないから沖縄にあるという趣旨の話をして話題になったことがある。
クーパー中尉はまず辺野古移設に関しては「日本政府が選択して決めたことです。私たちにとって大切なのは任務が適切に遂行できる場所であるということ。それが担保されればどこへでもいきます」と語った。その上で、「海兵隊は空陸任務部隊というのが基本になっており、航空部隊と地上部隊、兵站部隊の3つが一緒に活動しています。中心的部隊である航空部隊は岩国や普天間にあり、韓国、ハワイにも分散して配備されていますが、それぞれの地域から必要な任務を遂行できるようになっています。先日のネパール大地震の際には、フィリピンで訓練をしていた部隊が急遽ネパールの支援に向かいました。海兵隊というのは、状況に応じて臨機応変に迅速に対応する部隊です。そのための条件として、3つの部隊が常に緊密に活動する必要があります」と説明。辺野古移設は日米両政府の合意事項であり、日本政府の選択だと海兵隊は強調する。
私は今後も取材を継続することで沖縄との関わりを続けたい。日米安保反対、ベトナム戦争反対といった反戦・反米運動の作用から米軍基地の多くが本土から沖縄に移されていった。自分の庭からやっかいな問題が取り除かれればそれで良かったのか。私たちには考え続ける責任があるはずだ。

2017年8月14日月曜日

170812久米宏 ラジオなんですけど

大友 洋樹さんフェイスブックより

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1456182304468534&id=100002303361854

久米宏氏「8月9日水曜日、東京の気温が37度1分だった時、暑かったでしょう。3年後の8月9日は、オリンピックの閉会式なんです。イコール、男子マラソンがある日なんです。37度1分、思いだすのも嫌な位暑かったんです。あの日が3年後の閉会式なんですね。僕、2020年の東京オリンピック開催に関しては、ず〜〜〜と前から反対だと言い続けてて。こないだ日刊ゲンダイにですね、その話をしてあげたら思ったより大きく載りましてですね。オリンピック反対な理由は幾つもあるんですけど。今、日本が置かれた状況はオリンピック以外に、解決しなけりゃいけない事がたくさんあるんですよ。年金の問題にしても、保険の問題にしても、東日本大震災の後始末の問題にしても。それからもう1つ、これ以上東京に一極集中してどうするんだ?東京は間違いなく直下型地震、間もなくありますから。そん時のダメージを少なくする為に、東京に集中させちゃいけないんです。これ以上」
「だからもし、オリンピックをやるんだったら、東京以外でやるべきだっていうのが僕の考え方なんです。東京でオリンピックやって、もっと東京に一極集中して、日本に取って良い事ないって話を日刊ゲンダイに載せたんですけど。そうしたら、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会報道局広報部から手紙が来ました。つまりお叱りです。僕の言ってる事が如何に間違ってるかという。反論の中で例えばね。東京の一極集中を進めるから反対だと言ってるんですけど。そういう事に全く触れていない。主に、この反論は開催時期についての反論です。公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会報道局広報部が言っている、開催時期の主張というのを皆さんにご紹介したいと思います。僕は夏は反対だって言ってます」
「酷暑の東京でオリンピックをやるって事は、間違いだって僕は言ってるんですけど。それに関する反論です。『第32回オリンピック競技大会に於いては、招致の段階で開催時期は2020年7月15日から8月31日の期間から選択するものと定められていました。この期間外の開催日程を提案した招致都市はIOC理事会で、正式立候補としてすら認められていませんでした』と、分かります?言ってる事が。IOCの理事会で、もうこの時期だと決めていたんで、これ以外の事は考えられないという反論なんです。こういう反論を何と言うか知ってますか?語るに落ちるって言うんです。IOC理事会は夏の開催しか認めないとして、夏以外の期間を申し込んだ都市は立候補すら認められなかったと言ってるんで、やむを得ず夏の開催を認めてオリンピックを招致したと、オリンピック委員会は言ってるんです、日本の」
「如何に馬鹿かっていうの分かるでしょ?つまり、日本にオリンピックを招致した人達は、夏の開催だと承知して引き受けたんですよ。つまり、東京オリンピックに世界中から集まるアスリート達のコンディションの事を考えたんじゃないんです。オリンピックを招致する事が如何に大切かを考えたんです。つまりアスリートファーストっていうのは、噓八百なんですよ。オリンピックを招致する事が目的だという事を、もう言ってるんです、ここで。期間はIOCの理事会が決めてて、これ以外の開催時期は選べなかったんで、仕様がないじゃないかって言ってるんです。全ての責任をIOCの理事会に押し付けてるんです。ですからオリンピックを招致する事が、日本の人達の目的で、スポーツを愛するんじゃないんですね」
「僕は前から言ってるのは、日本にオリンピックを招致した人達は、スポーツを愛していない。オリンピックだけを愛してるんだ。だから馬鹿なんだと言ってる訳なんです。だから開催時期は、10月10日の53年前の東京オリンピックが開催した日の、あの日本に取ってレガシーである10月10日の開催に、何としてもしてくれと、IOCに直に頼め!と僕は言ってるんですよ!IOCの理事会は、何故夏の開催じゃなきゃ駄目かっていってかと言うと、アメリカの3大ネットワークが出す金です。基本的にIOCもFIFAも、ここだけの話ですけど、殆ど金で動いてます。オリンピックもゼネコンに行く金なんです。基本的にはお金の巣窟なんです。オリンピックっていうのはね。だから、夏じゃなきゃ駄目だって言ってるんだったら、東京は招致に立候補するのを辞めるべきだったんですよ」
「それを招致しといて、夏だけどやるんだって言ってるのは、スポーツマンを愛してるんじゃないんですね。オリンピックだけを愛してる。で、8月9日が閉会式だって事は、僕勘ぐる方ですから、8月9日って長崎に原爆が落ちた日なんですよ。当然広島に落ちた8月6日は、3年後はオリンピックの真っ最中なんです。広島の原爆慰霊の日も、長崎の原爆慰霊の日も、東京でオリンピックの馬鹿騒ぎをしてるんです。3年後は。そうすると、東京にオリンピックを夏に招致した人達は、原爆が落ちた日、長崎に落ちた日も、広島に落ちた日も、やがてはなかった事にしたい。その為に東京で真夏にオリンピックをやるんじゃないかと、僕は下衆の勘繰りをしてる。これは勘繰りし過ぎでしょうかね?公益財団法人のオリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の広報の方は、今日の放送をどうお聞きになったか?またご感想があったら送って下さい。またラジオの方でご紹介したいと思います」
久米宏 ラジオなんですけど 8月12日より
http://radiko.jp/#!/ts/TBS/20170812130000