2016年2月9日火曜日

160209毎日新聞 ノーモア核被害/1 張本勲さん(その1) 一時も「油断するな」

’16冬 ノーモア核被害/1 張本勲さん(その1) 一時も「油断するな」

毎日新聞 

「油断するな」。その言葉が、被爆者として生きる張本勲さんの信条になった=東京都内で、内藤絵美撮影
「油断するな」。その言葉が、被爆者として生きる張本勲さんの信条になった=東京都内で、内藤絵美撮影
 <documentary report 195>

「最後のメッセンジャー」覚悟 張本勲さん(75)


 被爆71年の幕開け、北朝鮮が強行した4回目の核実験とミサイル発射は、核廃絶への道のりの険しさを世界に突きつけた。それでも広島、長崎の被爆者たちは決して諦めない。新しい核被害者を生まないため、発信と行動を続けることが自分たちの責任と信じるからだ。記録報道「’16冬ヒバクシャ」は、5人のメッセージを紹介する。

 寒風の下、正月返上でバットを握った現役時代は、もちろんそうであった。引退後、なじみの店でくつろいで焼酎のグラスを傾ける夜さえ、その言葉は脳裏から消えない。「油断するな」。プロ野球評論家、張本勲さん(75)が原爆に負けじと歩いてきた人生を映し出している。
 「その瞬間にどんな喜びがあっても、片時だって頭から離れない。おそらく、死ぬまで油断できないんだ」
 71年前の夏、5歳だった。爆心地から2・3キロ、広島市内の平屋建ての長屋で米軍が投下した原爆の閃光(せんこう)を浴びた。勤労動員先で被爆した長姉は全身が赤く焼けただれ、数日後に息を引き取った。戦後、原因不明の大病を発した知人は苦悶(くもん)の果てに亡くなった。「自然と身につけてしまった習性だろうね」。取材に出向いた東京都内の自宅で、寂しい笑顔を浮かべた。「他の人と同じことをしても、いつ後遺症が出るか分からないのだから」
 選手の頃は、バッティングフォームに疑念が浮かべばコーチ宅に押しかけ、気の済むまで素振りをした。現役を離れても、酔いを悟れば席を立った。打撃タイトルを争う好敵手にも、どんなささいな病の芽にも、わが身につけいる隙(すき)を与えなかった。
 「油断するな」。胸に刻んだ戒めは、いつしか被爆者として生きる信条になっていた。歯切れの良いコメントで知られるようになっても、自らを「臆病、怖がり屋」と評し、準備と自制を怠らなかった。還暦を過ぎて被爆体験を語り出したのも、戦争を絵空事のように思っている若者に気付かされたからだ。油断すれば、きっと繰り返される。そんな危機感が張本さんに長い沈黙を破らせた。メディアを通じて被爆体験を伝え、次世代にバトンを渡す「最後のメッセンジャー」になる。その覚悟を確かにさせた。
 北朝鮮の核実験とミサイル発射が新年、世界を揺るがせた。「核兵器の廃絶に向け、世界は動いているのか」と自問する。過去10年で4回目の核実験強行に、張勲(チャンフン)の本名を持つ在日韓国人2世は「核兵器さえあれば、攻められない。そんな理屈が国際社会にまかり通ると考えているなら、あまりにも愚かだ」と憤る。広島の戦後復興にどれだけの時間が費やされたかを思い、市井に生きる同胞(はらから)の無事を願う。油断は許されないのである。<文・平川哲也/写真・内藤絵美>=27面につづく(次回から社会面に掲載)

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