2016年2月29日月曜日

160206半藤保阪青木対談

寺内徹乗 > 風刺・思想・反戦会館
このサンデー毎日の記事は面白いです。昭和史、戦争史研究のツートップが、安倍政権に鋭くメスを入れています。

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安保法制後のニッポンを撃つ!

半藤一利×保阪正康×青木理 熱闘座談会(上) 安倍政権は「戦後70年の良識」を踏みにじった(サンデー毎日 2016年2月6日より)

 昨夏、本誌「戦後70年特集号」(8月23日号)で半藤一利、保阪正康、青木理の3氏が安倍政権を痛烈に批判した「熱闘座談会」は大きな反響を呼んだ。あれから半年、安保法案が強行採決された後の日本社会のさらなる危機を、歴史の教訓を踏まえて徹底的に論じる。

青木 昨年お二人に、昭和史を振り返りつつ安保法制、そして安倍政権の危うさについてお話をうかがい、本誌の戦後70年特集号に掲載されました。読者の反響も大きかったと聞いています。しかし安倍政権はあれからまもなく、安保法制を強行成立させてしまいました。

半藤 まだ終わりませんよ。ここで絶望するわけにはいかない。各条項の議論がなされないまま、まとめて可決に走った法です。今から一つずつ批判的に再検討しなければいけない。そして今、SEALDs(シールズ)や高校生の団体など、全国的に生まれた新しい運動がある。彼らは戦争を知らない世代で、昭和史や戦史を必ずしも深く勉強したわけではない。しかしそんな彼らが、新しい民主主義とは何かを自ら考え始めている。これはイデオロギーで集結し抵抗した60年安保や、主に政治党派が担った70年安保とは違う。私たちがやらなければいけないことは終わっていないと思います。私は年を取っているので運動そのものには加われないが、まだいくらでもペ
ンを握り、紙の上で闘おうと思っています。

保阪 これで終わったとは僕もまったく思わない。法案の真っ当な審議過程、個々の議員の法案への対峙(たいじ)、憲法に抵触する条項の検討、国民意識の涵養(かんよう)、そういったもの一切なしに、法案だけが通ってしまった。ここまで傲慢な政権は見たことがない。逆に言えばこれは、日本の世論や歴史、つまり我々に対する挑戦です。いや、侮辱と言っていい。まず戦争体験者に対して。そして右であれ左であれ、戦後70年の良識に対して。自民党の梶山静六は自分の目が黒いうちは海外派兵なんて絶対にさせないと言っていた。安倍首相はそういった保守の良識すら破って、恬(てん)として恥じない。これは侮辱です。侮辱されたからには異議申し立てをしな
ければならない。このままでは、私たちは次の世代に指弾(しだん)されるでしょう。「あのとき、あなたがたは何をやっていたんだ?」と。今抗議しなければ、私たちは歴史のなかで恥を持つことになる。

「日本からヒトラーが出ると予言した」

青木 歴代の自民党政党と現政権を比べ、差異はどこにあるとお考えですか。

半藤 安倍政権は法を無視している。憲法だけではない。たとえば沖縄の問題です。名護市辺野古沖の新基地移設工事作業について、沖縄県が県規則に基づいて作業停止を指示した。すると国は沖縄県に対して行政不服審査法を持ち出し、審査請求と指示の執行停止を申し立てた。そもそも行政不服審査法は国民を守るための法律ですよ。それを国家権力の側が強権を押し通すために使う。かつての自民党政権にも、これほど独裁的に法を踏みにじる人はいなかった。これまでは政治家個人の横暴を抑止する党のシステムもあった。

青木 慣例もそうですね。あらゆる組織で人事は肝ですが、日銀総裁、内閣法制局長官の首を平気ですげ替えた。これと同列に扱えるかは別として、NHKの会長、経営委員に質の悪い“お友達”を並べた。これほど強引な横紙破りも戦後初でしょう。

保阪 占領期と戦後の総理大臣は、基本的な資質としてバランス感覚を持っていた。自分の主義主張はあっても、それが全体のなかでどのような位置にあり、どう自制すべきかをわきまえる知恵があった。もう一つ、二度と戦争をくり返すまいという共通認識があったと思う。中曽根時代に多少ぶれるけれども、歴代自民党政権といえども基本的に戦争への反省のもとに成り立っていた。戦争に傾いていく首相、たとえば東條英機などには歴史的に共通点がある。自制心が利かない。だから議論ができない。反対されると、我一人それを突き破っていくのが信念だと思い込む。そういう錯誤のもとに、国益に対して軍事によって解決しようとする。
 そもそも軍事とは何か。政治が失敗するから軍事が発動してしまうんです。安倍政権はそこが転倒している。まず軍事ありきという態度です。戦後の首相たちは、たしかにアメリカに追随していたともいえるが、しかし一応は政治で解決しようとする姿勢があった。ところが小泉政権以降、空気が変わってきた。政治が微温的なことをやっていると軍事が強権を振りかざし始めるという教訓を継承しない人たちが出てきた。さらに安倍首相は教訓の考慮以前に、はなから軍事を前面に出す。「私が責任者ですから」とは東條英機もよく言ったことです。昭和10年代にできた軍事独裁は行政独裁に始まっている。行政、立法、司法の三権分立が崩れ、行政が上に立つ。
図式として今とまったく同じです。

半藤 戦前の内閣総理大臣は万能ではなかった。全体の責任は内閣総理大臣にあるにせよ、天皇の名のもとに各大臣は同格の権限しかなかったわけです。戦後の総理大臣は万能になった。ただしその万能性を発揮できないように、日本の選挙制度が調整していた。しかし小選挙区制を採用してから、内閣総理大臣は恣意(しい)的に大臣の任命も罷免もできる。公認問題で脅かす。強権を与えてしまったんです。小選挙区制度について私は猛反対しました。ナチスドイツの台頭は小選挙区制を皮切りにしていましたから。少数政党を潰すには小選挙区制が持ってこいだった。その歴史がまさになぞられてしまいました。

青木 あのときは右から左まで、それこそ文春から朝日まで、政治改革の掛け声のもと、小選挙区制度を支持しましたね。

半藤 これでは日本からヒトラーが出てきてしまうと私は予言した。幸いにもこれまでヒトラー的な政治家は出てこなかった。自民党にも歴史と教育と苦労があったからでしょう。ところが今や不勉強なお坊ちゃんが総理大臣になって権力を乱用している。これを合法とさせているのが小選挙区制です。

「そのうちに指揮権発動をやるのでは」

保阪 小選挙区制には狂熱的な空気がありましたね。後藤田正晴ですら、日本では議会政治が根づいたから、議員も政党も国民も、2大政党が持つ政権交代の枠組みを了解する知的な高まりがあるだろうと楽観していた。僕はまったく違うと思った。あのときの錯誤は熱病のようでした。時代潮流とは怖いものだと思います。一つの方向に走り始めたら暴走が止まらない。その最悪の影響が今出ている。そのうちに安倍首相は指揮権発動なんかをやるのではないかと、僕は危ぶんでいます。
 昭和18年1月1日、首相官邸で東條は『朝日新聞』朝刊で中野正剛の「戦時宰相論」を読んだ。戦時の宰相は強くあれと、東條を煽(あお)るようなことが書かれていた。東條は激高する。そして司法大臣に電話をかけ、中野の逮捕を命じる。しかし法的に該当する罪科がないため、中野は釈放される。すると東條お抱えの憲兵隊長である四方(しかた)諒二が中野を脅す。中野は自殺してしまった。僕が許せないのは、内閣総理大臣が不愉快だからといって、司法大臣に逮捕を命じるというやり口です。資料によっては、命じたのは逮捕ではなく事情聴取だと書かれているものもあるが、いずれにせよ、いかに戦時下であれ、内閣総理大臣が司法大臣にそんなことを命じ
る権利などありはしない。行政が立法、司法と直結してしまったんです。さらに東條は、中野を釈放した判事たちまで懲罰召集した。こんなことが許されるものか。しかし安倍首相はやりかねない人物です。

青木 当時は毎日新聞の記者らも東條に睨(にら)まれました。

保阪 竹槍(やり)事件ですね。1944年2月23日の『東京日日新聞』(現・『毎日新聞』)に、新名(しんみよう)丈夫が「勝利か滅亡か 戦局はここまできた」「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」と書き、日本の窮状と大本営作戦の内情について東條を批判した。

半藤 新名さんは懲罰召集されるわけですが、当時38歳でした。徴兵するには高齢です。その彼をたった一人徴兵するのはどういうわけかと海軍が抗議した。すると東條は何をしたか。30代後半の人たちを250人召集して、つじつまを合わせた。そのなかには松本清張もいたようです。その老兵の3分の2は硫黄島で戦死した。僕にとって、この事実は個人的にもつらい。(旧府立)七中時代に軍事教練を受けた、ダルマという愛称で親しまれた人がいたんですが、彼がこのときの徴兵で戦死した犠牲者なんです。

保阪 対米戦争に懐疑的だった逓信省工務局長の松前重義も同様です。40代の松前を徴兵するために、1000人ほどが召集され、ほとんどが輸送船で死んだ。松前は戦後に『二等兵記』を書き、自分のために死んだ人がいるとして、罪の意識を吐露している。

半藤 軍隊とはどういうものであるか。私や保阪さんには、その実像を伝え啓蒙(けいもう)する役割があると思っています。

保阪 軍というのは基本的には、国民の生命と財産を守るためのものです。政治がそれを守りきれなくなると、戦争という手段に訴える。ところが日本ははじめから国民の生命と財産をつぎ込んで、国益拡大のために戦争をした。するとどうなるか。勝つまでやろうとするんです。現政権はこの過去への反省もなしに、何が軍隊ですか。

青木 さきほどの後藤田さんの話で思い出したことがあります。少し前、翁長(おなが)(雄志(たけし)・沖縄県)知事にインタビューしたときに聞いたのですが、後藤田さんは「俺は申し訳なさすぎて沖縄に行けない。沖縄の人に会わせる顔がない」と漏らしていたそうです。沖縄戦や米軍基地の押しつけへの強い贖罪(しよくざい)意識があった。ところが安倍政権にはそれすらない。3年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約発効の日を「主権回復の日」と銘打って記念式典をやった。集団自決における旧日本軍の強制性を否定し、側近連中が沖縄の新聞を潰せとまで言い放つ。まさに保阪さんの言う自制心のなさ、半藤さんの言う勉強不足、この両方が見えます。

「過半のメディアは既に政権と一体化」

半藤 4月28日は沖縄の人にとって「屈辱の日」です。それを日本独立の日として本土で祝うとは何事か。沖縄について少しでも勉強すればわかることを、歯牙にもかけない。まるで琉球処分の再来にも見える。

保阪 式典をやったのはあの1回きりです。さすがに身内からも外国からも批判が噴出したんでしょう。あのとき、天皇の出席をめぐって内閣と宮内庁の確執があった。天皇の発言と行動は内閣の助言と承認によって行われるという定めがある。しかし天皇は沖縄に対する自身の心情と相いれないから、出席を辞そうとした。しかし結局は「内閣の助言と承認」によって天皇は出席した。嫌々だったのではないでしょうか。あいさつが終わって天皇が会場を後にするとき、政権の面々は万歳をやった。そのときの天皇の顔をよく覚えていますよ。満面に怒りを浮かべていた。「私をこんなかたちで政治的に利用するのか」という怒りだと僕には見えた。

半藤 沖縄への侮辱を考えない政権。そこで行われた天皇の政治利用。それを国民のなかでもなんとなく共有している無神経さ。現政権は戦争に向けて、既成事実を一つ一つ積み上げている。

青木 冒頭、半藤さんが「まだ終わりませんよ」とおっしゃった。その通りだと思う一方、政権はさらに先へと暴走しようとしています。改憲です。そこで出てきた緊急事態条項。前回の座談会で半藤さんは、麻生太郎が「ナチスの手口を学んだらどうかね」と言い放ったとき、この政権の危険性にもっと注意を払うべきだったとおっしゃった。緊急事態条項はまさに「ナチスの手口」です。

半藤 同時に日本にも戦前の教訓がある。昭和13年の国家総動員体制です。昭和12年7月に日中戦争が始まり、翌年の1月には国家総動員法が提出される。先読みのしすぎではと思われるかもしれませんが、実は第一次世界大戦後の大正7年、永田鉄山を中心とするグループがすでに人事刷新などとともに、国家総動員法を具体的に練り始めていた。おそらく現政権はすでに準備を始めていると考えたほうがいい。
 またメディアの問題もある。国家総動員法の一項目に「政府は国家総動員の必要があるときは、新聞記事の制限、または禁止をすることができる」とある。当時の記者は「制限」にはある程度の理解を示しつつ、「禁止」すなわち発行禁止処分条項に反対する。ところが時遅し、新聞社のトップはすでに内閣と協力関係にあった。記者たちの抗議に譲歩するかたちで発行禁止処分条項だけは外され、記者の抵抗も止まり国家総動員法は通された。途端に言論の自由が死滅してしまうことが、記者たちはわからなかったのか。これは今と極めてよく似た状況です。

青木 過半のメディアは既に政権と一体化しています。そうでないメディアにも自粛や萎縮のムードが蔓延(まんえん)している。

保阪 私たちは緊急事態条項の内容を理解しきれていない。そこでやはり国家総動員法を参照したいんです。我々の私有権、生存権、思想・信条の自由が否定される、それが国家総動員法の骨子です。記者個人には能力や人権意識、自由に対する希求があっても、国家総動員法という枠の中で全体が萎縮していった。国家の戦争という目的のために、社会の仕組みが整理される。戦争に貢献しないものは切り捨てられる。たとえば大学の文学部が廃止される。これは今まさに同じ動きがあります。また人の命が序列化される。陸海軍合わせて特攻隊で亡くなった人3800人余のうち、7割が学徒や少年飛行兵でした。なぜ彼らが特攻に出されたのか、訓練を積んだパ
イロットがいたじゃないかと、僕は昭和50年代に軍の元指導者に聞いたことがある。「君は戦争を知らないな。パイロットを育てるのにどれだけ金がかかるか」と言われた。「学徒や少年飛行兵は金がかかってないから死んでいいということですか?」と問う僕に、「まぁ、そういうことになる」と彼は認めた。あるいは8月6日に広島に原爆が落とされた。すると近在の旧制中学や高等女学校の学生が死体処理のために広島に行かされ、2次被害を受けた。江田島には海軍兵学校のエリート学生たちがたくさんいたはずです。なぜ彼らは広島に入らなかったのか。「エリートたちが無用の戦力ダウンに陥ったら国家的損失である」という元海軍幹部の証言が残っている。

半藤 東京裁判でA級戦犯とされた佐藤賢了さんに、昭和36年ごろインタビューしたことがあります。国家総動員法の是非を問うた若造の私に向かって、彼は怒鳴りました。「何を言うか、貴様! 国防の任にある者がどうして無抵抗でいられるか。国防を負う者は強靱(きようじん)なる備えがあってこそ、その任を全うできる。そのためには国家総動員法が絶対に必要だ。今だって同じだ!」。現政権も同じ考え方といえると思います。
(一部敬称略、以下次号)(構成/本誌・向井徹、五所純子)

■人物略歴

半藤一利(はんどう・かずとし)

 1930年生まれ。作家。日本近現代史を検証しつつ、人物論、史論を執筆。著書に『日本のいちばん長い日』『漱石先生ぞな、もし』『昭和史』『あの戦争と日本人』ほか多数

保阪正康(ほさか・まさやす)

 1939年生まれ。ノンフィクション作家。昭和史の実証的研究を続けてきた。著書に、シリーズ『昭和史の大河を往く』『昭和天皇実録 その表と裏(1)(2)』『安倍首相の「歴史観」を問う』ほか多数

青木理(あおき・おさむ)

 1966年生まれ。ノンフィクション作家。時代状況に迫るアクティブな作品を発表。著書に『日本の公安警察』『誘蛾灯』『抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦報道」の核心』ほか多数

(サンデー毎日2016年2月14日号)

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