56歳の誕生日の会見全文
毎日新聞
皇太子さまが56歳の誕生日に合わせて行った記者会見の全文は次の通り。
<記者>この1年を振り返り、印象に残った公務や社会、皇室の出来事についてお聞かせください。
皇太子さま この1年を振り返ると、5月の口永良部島新岳での噴火や、9月の台風18号等による茨城県、栃木県、宮城県での豪雨など、引き続き数多くの自然災害が発生しました。海外に目を向けても、史上最大規模と言われたエル・ニーニョ現象の影響もあり、世界各地で多くの洪水や干ばつが発生したほか、ネパールや台湾では大地震が起こるなど、人々に甚大な被害を及ぼしました。このような自然災害によって被害に遭われた方々のご苦労はいかばかりかと思うと、大変心が痛みます。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。
今年の3月には、東日本大震災が発生して5年になります。昨年10月、雅子とともに、福島県を2年ぶりに訪問し、復興の進ちょく状況を見る機会を得ましたが、復興の道のりはまだ長く続いていると改めて実感いたしました。一方で、風評に負けず質の高い野菜を生産し販売網を拡大しているいわき市の農産品会社の方や、震災発生後、故郷を離れ、住む場所を転々とするなど苦労した若い人たちを中心に、震災前よりも一層輝く福島県を創り出そうとしている人々の姿を実際にこの目で見て、大変うれしく、そして心強く思いました。引き続き、雅子とともに、被災者お一人一人の悲しみやご苦労に思いを寄せ、厳しい環境の下で暮らす被災者の健康とお幸せを祈りながら、被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思っております。
また、昨年は先の大戦終結後70年という節目の年でした。1年を通して、国内外で先の大戦に関する様々な事業が催され、戦争を経験した人も、そうでない人も、改めて戦争の悲惨さと平和の尊さを考える機会になったものと思います。
天皇皇后両陛下には、昨年4月のパラオ共和国ご訪問に引き続き、先月はフィリピン共和国をご訪問になり、先の戦争で命を落とされた方々を、心を込めて慰霊なさいました。そうしたお姿を、雅子と愛子とともに拝見し、両陛下の平和を思うお気持ちの深さに改めて感銘を受けるとともに、そのお心を私たち次の世代がしっかり受け継いでいかなければならないということについての心構えを新たに致しました。
私自身も、雅子と愛子と一緒に、7月そして8月に、戦後70年に関連した特別企画展などを訪れました。そこでは、戦争の記憶を風化させることなく、次の世代、さらにその次の世代に語り継いでいくべく、様々な展示や講演などが行われておりましたが、改めて過去の歴史を学び、戦争に至った背景や、戦時中の惨禍、戦後の荒廃から立ち直る上での人々の並々ならぬ努力についての理解を深め、そして平和の意義について真摯(しんし)に考えるよい機会となりました。
そのほか、この1年の国内外の動きの中で印象に残ったことをお話しいたしますと、国内では、少子高齢化など社会の構造変化が進む中で、様々な社会問題が報じられるのを見るたびに、心が痛みます。他方で、昨年8月に、山口県で開催された第23回世界スカウトジャンボリーに参加し、155か国・地域から集まった3万4000名余りの若者たちが国籍や信仰を越えて交流する姿を見て、心強く思いました。こうした未来を担う青少年をはじめ、すべての人々が安心して暮らせる社会を、一人一人が協力して作っていくことが、とても重要な時代になっていると思います。
また、海外の出来事に関しては、テロや貧困、難民の増加などの問題が大きな影を落としており、このような問題の解決に向けて、国際社会が協力していくことが求められていると思います。そうした中で、昨年9月に国連で2030年を見据えた「持続可能な開発目標」が、また、12月には、テロに見舞われた後のパリにおいて、2020年以降の地球温暖化対策の枠組みをまとめた「パリ協定」が採択されたことを喜ばしく思います。気候変動対策や環境保全、貧困の問題などは、引き続き人類が一致して取り組むべき課題であり、今後、持続可能な社会の実現に向けて、各国が協力していくことが求められていると思います。
一方で、うれしい出来事もございました。学術関係では、大村智博士が生理学・医学部門で、また、梶田隆章博士が物理学部門で、それぞれノーベル賞を受賞されました。また、それに先立つ11月には、国産初のジェット旅客機が初飛行を遂げました。ちなみに、私自身、小学校6年生の時に、生まれて初めて乗った飛行機が戦後初の国産のYS11機でした。12月には、理化学研究所のチームが、113番目となる新たな元素を発見したことが、国際学会によって認定されました。これらは、日本の科学技術が、基礎研究から応用に至るまで、引き続き世界の第一線にあるということの証であり、これから学術の道に進もうと考えている若い人たちにとって大きな励みになったと思います。
また、スポーツの分野で、日本の男子ラグビーチームのワールドカップでの活躍や女子のラグビーも見事にオリンピックの出場権を獲得したことも本当によかったと思いますし、今後の活躍を楽しみにしています。
皇室の出来事では、昨年は三笠宮殿下が百寿を、また、常陸宮殿下が傘寿を、ともにお健やかにお迎えになられましたことを、心よりお喜び申し上げております。これからも末永いご健康を心からお祈りいたします。
最後に、私が、近年かかわっている水問題について、一言触れておきたいと思います。
私は、ご縁があって、2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁を務めており、同諮問委員会の会合をはじめ世界水フォーラムなどの国際会議に出席し講演するなどの活動をしてまいりました。昨年末、同諮問委員会が、その最終報告書を国連事務総長に提出する機会に、私もニューヨークを訪れ、国連本部で開かれた第2回国連水と災害特別会合において基調講演を行うとともに、同諮問委員会の最終会合に出席し、名誉総裁としての任期を終えました。昨年、国連は新たな開発目標、「持続可能な開発目標」を採択しましたが、この目標に従って、国際社会が協調して、すべての人々の安全な水と衛生施設へのアクセスが実現されるよう、取組が進められることを期待しておりますし、私自身、そのために可能な貢献を引き続き行ってまいりたいと思います。
あわせて、近年頻発している、異常気象に伴う豪雨災害や将来も起こりうる地震津波災害に備える意味でも、防災の観点から、水災害の問題へも引き続き取り組んでいきたいと思っております。
<記者>ご家族についてお伺いします。雅子さまはこの1年、トンガでの戴冠式出席や月に2度の地方訪問、12年ぶりの園遊会へのご出席など、着実に活動の幅を広げられました。殿下が感じられた雅子さまの変化や現在のご体調についてお聞かせください。4月に学習院女子中等科3年生となる愛子さまは今何に関心を持ち、高校進学やその先の将来に向けてご家族でどのような話をされていますでしょうか。成長を実感するエピソードや女性皇族としての今後に寄せられる思いについてもお聞かせください。
皇太子さま 雅子は、治療を続ける中で、体調に気を付けながら、公私にわたってできる限りの務めを果たそうと努力を続けてきております。かねてより公的活動に対して強い責任感を持っておりましたが、少しずつ活動の幅を広げていく中で、依然波はあるものの、体調についても、それに見合う形で少しずつ回復してきているように感じております。そして、その結果、トンガ国への訪問、福島県と鹿児島県への続けての地方訪問、秋の園遊会への出席など、活動の幅を一歩一歩広げられてきているものと受け止めております。また、東宮御所内での公的な行事にも可能な限り出席し、公私ともに、私を支えてくれるのと同時に、愛子の日々の生活やその成長に心を配ってくれていることをうれしく思っております。
このように、雅子は確かに快方に向かっておりますが、引き続き焦らず慎重に、少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思っております。国民の皆様には、これまで温かいお気持ちを寄せていただいておりますことに改めて心より感謝の気持ちをお伝えいたしますとともに、引き続き雅子の回復を温かく見守っていただければ有り難く思います。
愛子については、中学2年生になって、交友関係も更に広がり、日々充実した学校生活を楽しんでおります。学業の方では、学年が進むにつれ、質的にも量的にも難しさを増しているようで、こちらの面でも忙しくしているように見受けられます。戦後70年に関しての様々な企画には、自ら大きな関心を持ち、関連の展示などを一緒に見学した後には、新聞記事やテレビの特集番組などを色々調べるなどして学校の課題にも熱心に取り組む姿を見て、中学生としての自覚がいっそう高まってきたように思います。また、沼津の臨海学校では、約3キロの遠泳を泳ぎ切るなど、水泳は目覚ましく上達したようです。少しずつではありますが、公的な場に出ることも増えてきていると思います。自分自身を振り返ってみても、その一回一回の機会を大切にして、自身の幅を広げていってほしいと思います。
高校進学を含め将来のことについては、愛子本人の希望をなるべく尊重してまいりたいと思っておりますが、今後周りの皆様から色々と教えていただきながら、様々な経験を積み、自分の望む道をしっかり歩んでいってほしいと思います。そして、その過程で皇族の務めについても理解を深めてくれればと願っております。
<記者>天皇陛下は82歳の誕生日の記者会見で「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました」と率直に明かされました。このご発言をどのように受け止められましたか。皇后さまは強いストレスが原因とみられる心筋虚血の症状が認められ、経過観察が続いています。こどもの日と敬老の日にちなんだ訪問はお子さま方が引き継がれましたが、お忙しい毎日を送られる両陛下の現在のご体調や今後のご活動のあり方についてのお考えをお聞かせください。
皇太子さま 両陛下におかれては、長きにわたり、国民の幸せを願い、国民と苦楽をともにされながら、様々なお務めを果たされ、毎日とてもお忙しく過ごしておられます。両陛下のご健康をご案じしつつ、どうかご無理をなさらず、末永くお元気でいらっしゃることを心から願っております。私としては、両陛下のお気持ちを十分踏まえながら、少しでもお役に立つことがあれば喜んでお力になりたいと思います。昨年から、こどもの日と敬老の日にちなんでの施設訪問を秋篠宮とともに受け継がせていただきましたが、両陛下は、こうしたお仕事の一つ一つを心から大切にされて取り組まれてきましたので、そうした両陛下のお気持ちに思いを致しながら、できる限りお手伝いをしてまいりたいと思います。
<記者>東日本大震災から間もなく5年となります。殿下はこれまで雅子さまと共に何度も被災地に足を運び、昨年も福島県を訪問されました。被災者との触れ合いで感じられたことや復興の現状への思い、また今後どのような形で被災地と関わり続けていかれたいか、お聞かせください。
皇太子さま 東日本大震災から、今年の3月で5年になります。改めて震災で亡くなられた方々に深く哀悼の意を表しますとともに、被災された多くの方々に心からお見舞いを申し上げます。私も雅子とともに、これまで被災地を度々訪問しておりますが、多くの方々が依然として厳しい環境の中で暮らしておられることに心が痛みます。いまだ復興の道は半ばであり、一日も早く被災された方々の生活が改善し、安心できる暮らしを取り戻されることを願っております。
それと同時に、訪問するたびに、少しずつではありますが、復興が着実に進んでいるのを目の当たりにするのも事実です。特に、昨年も福島県広野町にあるふたば未来学園で高校生とお話をいたしましたが、若い世代の方々のお話を聞くたびに、自分たちが地域の復興とさらなる発展にどのように貢献できるかということについて、しっかりとした将来を見据えた考えを持ち、前向きに取り組んでいる姿が印象深く、とても心強く思いました。
私としても、雅子とともに、被災者一人一人の悲しみやご苦労に思いを寄せ、厳しい環境の下で暮らす被災者の健康と幸せを祈りながら、被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思っておりますし、また折を見ながら被災地への訪問を続けてまいりたいと思っております。
<記者>昨年は戦後70年の節目の年でした。両陛下は国内外で慰霊の旅を重ねられ、殿下は雅子さまや愛子さまとともに戦争に関する展示に足を運び、戦争体験者の話に耳を傾けられました。これらのことを通じて、改めて感じられたことをお聞かせください。ご家族で戦争についてどのような話をされ、両陛下の平和への思いをどのように引き継いでいきたいとお考えでしょうか。ご覧になった御文庫附属庫やお聞きになった玉音放送の原盤の感想も併せてお聞かせください。
皇太子さま 戦後70年という節目の年に、先の大戦に関する様々な展示やお話を見聞きし、戦争によって日本を含む世界の各国で多くの尊い人命が失われ、さらに多くの方々が大変つらく悲しい思いをされたことを再認識し、大変痛ましく思うとともに、改めて戦争の悲惨さと平和の尊さに深く思いを致しました。そして、歴史の教訓に学び、このような痛ましい戦争が二度と起こらないようにしなければならないとの思いを強く致しました。
天皇皇后両陛下には、昨年4月には、ご訪問になったパラオ共和国で、また、先月はフィリピン共和国において、国籍を問わず先の戦争で命を落とされた方々に対して、心を込めて慰霊をなさるとともに、平和への強い思いをそのお姿で世界にお示しになりました。私たちも、そうした両陛下の平和を思うお気持ちをしっかりと受け継いでまいりたいと思っておりますし、また、私たちのみならず、多くの方々が両陛下のご訪問を通じて、先の戦争についての理解を深められたのではないかと思います。私自身、昭和40年以降、毎年のように、夏の軽井沢で、両陛下とご一緒に沖縄豆記者の皆さんにお会いしたり、戦後引き揚げてきた方々が入植した軽井沢にほど近い大日向の開拓地を両陛下とご一緒に何度か訪れるなど、戦争の歴史を学び、そして、両陛下のお気持ちに直接触れてきております。また、両陛下からは折に触れて、私たち家族そろって、疎開のお話など、戦時中のことについてうかがう機会があり、愛子にとってもとても有り難いことと思っております。
御文庫附属庫や玉音放送録音原盤の話については、その場所を実際に拝見したり、玉音放送録音原盤で昭和天皇の肉声をはっきりうかがうことが出来、深い感慨を覚えました。戦争を知らずに、平和の恩恵を生まれたときから享受してきた私たちの世代としては、各種の展示や講演、書物、映像など、過去の経験に少しでも触れる機会を通じて、戦争の悲惨さ、非人道性を常に記憶にとどめ、戦争で亡くなられた方々への慰霊に努めるとともに、戦争の惨禍を再び繰り返すことなく、平和を愛する心を育んでいくことが大切だと思います。そして、そうした努力を次世代にも受け継いでいくことが重要だと思います。
同時に、世界では、いまだに紛争が続いている地域がいくつもあります。そのような紛争の惨禍が終結し、いつの日か世界全体に平和が訪れることを願っております。
<記者>先ほどのお話の中で御文庫附属庫の中に入られたときのこと、また、玉音放送をお聞きになったときのことについて触れられていました。実際に御文庫附属庫に入られたときのですね、第一印象、どのようなものをご覧になって、どうお感じになったのかという点と、あと昭和天皇のお声をお聞きになったときのですね、実際にどのようなお気持ちになったのか、その点についてお尋ねしたいと思います。
皇太子さま 私は御文庫附属庫に入ったのは初めての機会で、本当に貴重な機会を与えていただいたと、感謝しております。まず入りまして、ここが非常に重要な役割を果たした場所であるということを改めて実感し、そしていろいろ絵などに描かれ、頭の脳裏にあるその情景と、今自分が見ている情景とを重ね合わせて、その当時は一体どのような感じであったのだろうかと、あれこれ想像を巡らせました。昭和天皇がここに座っておられたことなどを伺って、その当時にタイムスリップしたような深い感慨を覚えました。録音原盤については、例えばニュースなどでは度々うかがっておりますけれども、今回本当に原盤を実際に拝見して、そしてその原盤からの音を、昭和天皇の声をうかがうことができたということに本当に深い感慨を覚えた次第です。
<記者>愛子さまのことでお尋ねします。先ほど愛子さまに関連して、ご自身の幅を広げていってほしいということを聞きました。殿下は、今の愛子さまと同じ14歳だった昭和49年にオーストラリアにホームステイをされました。ご自身の体験を踏まえながら、愛子さまの海外体験についてのお考えをお聞かせ願えればと思います。
皇太子さま 私自身、愛子と同い年に、オーストラリアを訪問し、そこでホームステイなども経験し、オーストラリア人の家族の方とご一緒にしばらく過ごすことができたことは、私自身にとっても大変貴重な財産となっております。やはり中学生の頃に海外に行くことができたということは、私自身も大変有り難いことであったと思っておりますし、また短期間ではありますけれども、海外から日本という国を見る機会にもなったのではないかと思います。愛子については、小さいときにオランダに行ってはおりますけれども、今後も何らかの形で海外に行く機会があれば、自分自身の視野を広めることにもなりますし、やはり若いときにそういったことを体験しておくことはとても大切なのではないかと思っております。今、具体的にいつという計画は特にございませんけれども。
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