2017年1月31日火曜日

「植民地としての日本」~『世界』五月号の宇沢弘文説

「植民地としての日本」~『世界』五月号の宇沢弘文説 2009/04/18
http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/e/379c0957f8cc9438b4b347326899234c

 “市場原理主義者”が跋扈するわが国で、長い間アウトサイダーの経済学者とされ、政界・経済界ばかりか学会からも彼らの貴重な警鐘は疎んじられてきたが、米国発の金融恐慌が、顧みられなかった警鐘に光を当てることになった。歴史は真実から決して目を逸らさない証拠だろう。月刊誌『世界』は四月号から二人のアウトサイダー・宇沢弘文氏と内橋克人氏の対談「新しい経済学は可能か~日本の危機はなぜこうも深いのか」と題し連載を始めたが、五月号では宇沢弘文氏のするどい指摘が目を引いた。中見出しの「植民地としての日本とパックス・アメリカーナ」からその論点を引いておく。


宇沢=日本の場合、占領政策のひずみが戦後60年以上残っている。アメリカの日本占領の基本政策は、日本を植民地化することだった。そのために、まず官僚を公職追放で徹底的に脅し、占領軍の意のままに動く官僚を育てる。同時に、二つの基本政策があって、戦争中に自らの利益を度外視して国のために協力したアメリカの自動車産業に、戦後、日本のマーケットを褒美として差し出すのが一つ。もう一つは農業で、日本の農村を、当時余剰農産物があったアメリカとは競争できない形にする。
 日米構造協議が開かれましたが、実はアメリカの商工業者の団体が原案を作成し、アメリカ政府がそれに基づいて日本政府に要求と交渉をするというとんでもないもので、一番の焦点は経常赤字と財政赤字が膨らみ、非常に混乱した時代のなかで、日本政府に対して10年間で430兆円の公共投資をしろという要求でした。しかもその公共投資は日本の経済の生産性を上げるために使ってはいけない。まったく無駄なことに使えという。信じられない要求でしたが、中曽根政権はその要求をそのまま、日本政府のコミットメントとするわけです。次の政権で実行に移されますが、国は財政節度を守るという理由の下に地方自治体に全部押し付けたわけです。地方自治体は地方独自で、レジャーランド建設のような形で、生産性を上げない全く無駄なことに計430兆円を使う。そのために地方債を発行し、その利息の返済は地方交付税でカバーするという。
 ところが、小泉政権になって地方交付税を大幅に削減してしまったために、地方自治体が第三セクターでつくったものは多く不良債権になって、それが自治体の負債となっていまだに残っているわけです。430兆円ですからものすごい負担です。そのときから、地方の、たとえば公立病院は非常に苦しくなっていくわけです。

内橋=押しつけられた地方財政の赤字、それを住民への行政サービスの削ぎ落としによって埋めさせる。「みせしめの夕張」が必要だったわけですね。

宇沢=そういう政策を見ていると、日本は完全に植民地というか……属国ならまだいいのです。属国なら一部ですから。植民地は完全に搾取するだけのものです。それがいま大きな負担になっていて、救いようのない状況に陥っているわけです。
 社会的共通資本のいろいろな分野、特に大気、教育、医療が徹底的に壊されていくことに対して、たとえば内橋さんがずっと正論を20年も主張されているときに、同僚の経済学者たちがそれを揶揄したり批判したりする流れがあるのは、私は経済学者の一人として許せない。
 経済財政諮問会議も制度的な問題があるのではないでしょうか。首相自らが諮問し、首相自らが議長の会議で議論して、自動的に決定され、政府の正式な政策となる。ヒトラーが首相になって権力を握ったときと全く同じ方法です。

内橋=官邸独裁ですね。世界で初めて「生存権」をうたい、もっとも民主的とされたワイマール憲法のもとでヒトラーが生れました。政治的独裁の危険に通じます。……
 歪んだ政策選択によって、日本は歴史的危機の淵にまでおびき寄せられてしまったと思います。深刻なテーマとして、四つの項目を挙げておきたいのですが、すでにご指摘のありましたように、第一は地方自治体財政です。
 竹中総務相時代、彼は「私的懇談会」と称する恣意的な機関を三つも立ち上げました。うちの一つが「地方分権21世紀ビジョン懇談会」でした。この懇談会で出された答申の主旨がいよいよ今年四月から効力を発揮します。地域にとってかけがえのない公立病院を、自治体財政の負担を理由に切りはなす、という措置が多くの地方都市で進められていますが、もとをただせば、その震源地はこの私的懇談会の提言に発している。まるで地下深く埋められた時限爆弾のように、小泉政権が去った後のいま、炸裂する時期を迎えました。
 二番目に再販問題です。公正取引委員会の「政府規制等と競争政策に関する研究会」(略称・政府規制研)の下に「再販制度問題検討小委員会」が設置されたのは1994年4月のことでした。翌95年7月にははやくも「現時点では再販を維持する必要はなく、弊害が生じている」として、強く廃止を示唆する中間報告がまとめられてしまった。新聞、雑誌、その他著作物一般について、「再販制度・即時撤廃」への流れがプログラム化されようとしていました。私が同委員会の拡大小委員会委員として要請され、参加するようになりましたのは97年2月からのことです。市場原理主義が怒涛のごとくに文化の領域を踏み荒らす、その勢いを肌身で感じ、危機感にさいなまれるという苦い経験を味わいました。
 そして第三に、日本型自営業、地域の中小零細企業を壊滅させるような剥き出しの競争政策。大規模小売店舗法(大店法)撤廃も大きな節目であったと思います。最後に、いうまでもないことですが、戦後、営々と築き上げた労働基本権をご破算にする「労働規制緩和」の完成です。……

宇沢=いまのご指摘は、民主主義以前の問題で、日本が果たして独立した一つの国であるかどうか、信じられないくらいの状況ですね。属国ならまだいいが、完全に植民地だと申し上げたけれども……。
 ケインズが最初に書いた経済学に関する本を思いだします。『Indian Currency and Finance(インドの通貨と金融)』というタイトルで、ケインズがインド省にいたときに書いた本です。金と銀の相対価値はどう決まるかというのがテーマで、当時、インドのルビーは銀本位制、イギリスのポンドは金本位制でしたが、イギリスの軍事費と国家公務員年金はインド政府が払っていたため、金と銀の交換比率は重要な問題だったのです。イギリスの国家公務員は任期中に必ず2~3年インドに赴任し、インドのために尽くしてきたという名目をつくって、年金をインド政府が負担する。イギリスの軍事費も、イギリスがインドを守っているという名目で、インド政府が負担する。当時、世界で一番豊かなイギリスの軍事費と国家公務員年金を一番貧しいインドが負担するという信じられないことが起こっていた。
 しかしケインズは、そこには一切触れていない。私は昔、この本を読んで、そこにケインズの限界を感じた。インドでは、イギリスの徹底的な搾取、社会破壊、人間破壊、そして自然破壊が今でも重い陰になって残っています。イギリスの植民地政策として、インドのエリートは徹底的にイギリス式の教育を受け、オックスフォード、ケンブリッジを出て、イギリス的な考え、生き方を持って国に帰って支配層となる。これがイギリスの植民地支配の典型です。
 いまの日本は、かつてのインドほどではないけれども、非常に似た形で、軍事費を負担しアメリカに守ってもらっている。さすがにアメリカの国家公務員の年金を日本が負担するところまではいっていませんが、基本的な考え方は非常に似ていると思う。まず、日本の官僚を徹底的に脅して、意のままに動かす。同時に、アメリカの自動車産業に日本を褒美として差し出すために道路をつくる目的で、徹底的に日本の街を空襲して燃やしてしまったのです。木造家屋が燃えやすいような焼夷弾をわざわざ開発して。

内橋=ナパーム製焼夷弾。あれは神戸大空襲が最初だったんです。私もその下を逃げ惑った少年の一人でした。

宇沢=そのあと自動車が普及するように広い道路をつくり、その自動車も、日本では生産できないように規制を設けたんですが、朝鮮戦争を契機に変わっていく。そして、まず日本人の考え方、生き方を、アメリカの製品・産業に順応する形につくり変えるという徹底的な教育をしたわけです。
 内橋さんも覚えていらっしゃると思いますが、日本人の体格が貧弱なのは魚を食うからだとか、米を食べると頭が悪くなるといった類の言説。パンを食べろというのは実はアメリカの余剰農産物を消化させる意図で、非常にきめ細かい占領政策を展開した。また、日本にはアメリカの農産物と競争できないようにする選択性農業を押しつける。それらが重なって、いまの日本の生き方というか、社会があって今度の大恐慌で日本はやはり一番大きな被害を受けていると思いますね。……


 この対談の共通の論点の基盤に「社会的共通資本」という概念がある。このことについては2008年5月29日の本ブログ『“ノールム・ノバルム”~ローマ法王の回勅と「ファンド資本主義』(http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20080529)をご参照ください。

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