2017年1月21日土曜日

170120森本あんり トランプが心酔した「自己啓発の元祖」そのあまりに単純な思想

トランプが心酔した「自己啓発の元祖」そのあまりに単純な思想
森本 あんり 2017.01.20
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50698

昨年11月の大統領選挙の直後、所用でマンハッタンにいたわたしは、ある教会を訪ねて五番街へと向かった。
折しも「反トランプ」のデモが通りを埋め尽くした日で、「トランプタワー」の前には分厚いコンクリートのバリケードが置かれ、防弾着とライフルで重装備をした警官が立ち並んでいた。目的の教会は、そこからまっすぐ南へ歩いて30分ほどの距離にある。


同じ五番街に面したその「マーブル教会」は、北米に現存する最古の教会の一つである。創立は1628年。アメリカ独立のはるか前、ニューヨークがまだオランダ統治下で「ニューアムステルダム」と呼ばれており、住民が全部で300人足らずだった頃に始まった、由緒ある教会である。

「積極的思考」の元祖

だが、今日この教会が歴史に名を残しているのは、「17世紀の史跡」としてではなく、「20世紀の軌跡」としてである。
同教会の牧師を半世紀以上にわたって務めたノーマン・ヴィンセント・ピールは、カウンセリングをアメリカの一大ビジネスへと成長させ、ラジオや雑誌などのメディアを通して全米に知られた人物である。
1952年に彼が出版した『積極的考え方の力』は、3年以上にわたって「ニューヨークタイムズ」のベストセラーに入り続け、全世界で2千万部を売り上げた。日本でもすぐに翻訳が出たが、半世紀以上経った今でも新訳が刊行されるほど、根強い人気がある。
この本の何がそんなに魅力的なのか。
一言で言えば、「自信をもちなさい」ということである。そうすれば、万事がうまくゆく。自分が成功するイメージをもち、ネガティヴな考えを追い払い、現実を楽観的に見なさい。それがあなたに力を与え、成功と幸福を約束してくれる──。これがピールのメッセージである。
キリスト教の牧師であった彼は、その方法を聖書に求めている。たとえば、これから一世一代の大事業を始めようとしている人に、彼はこう諭すのである。
「わたしを強くしてくださるかたによって、何事でもすることができる」(「ピリピ人への手紙」4:13)という言葉を紙に書いて、仕事に出かける前に三回読みなさい。
あるいは、販売成績に悩むセールスマンには、「もし神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」(「ローマ人への手紙」8:31)という言葉を何度も唱えて覚えるように勧めている。
「積極的考え方の力」とは、今日でも聞かれるこうした自己啓発的なセラピーの元祖のことである。

青年トランプが心酔

このピール牧師に心酔したのが、ドナルド・トランプである。60年代の終わり頃からこの教会に出席するようになったトランプ青年は、まさに「積極的思考」の生ける伝道者となった。
ピールの方でも、青年実業家として少しずつ知られるようになったトランプのことを「自分の最高の弟子だ」と褒めていたという。1983年に「トランプタワー」が完成すると、ピールはトランプが「全米一の建設家」になるだろう、と言ってその開業を祝福した。
明らかに、トランプは師が教えたことすべてに忠実、というわけではなさそうである。ピールは他にも「謙遜であること」、「怒りに身を任せないこと」、「口を慎むこと」、「人を憎まないこと」などを教えたが、これらはトランプの耳には届かなかったらしい。
女性関係もそのひとつである。最初の妻イヴァナとは、この教会でピール自身の司式により結婚式を挙げたが、トランプはその同じ教会で2番目の妻となるマーラと深い仲となり、不倫騒動の挙げ句にイヴァナと離婚して1993年に再婚している。
ちなみに、このことが報道されると、同教会の礼拝には億万長者との新しい出会いを求めて若い女性の出席者が急増したという。

土着化したキリスト教

しばしば誤解されるところだが、聖書には、死後や来世のことよりも、此岸的で実践的な教えが多く書かれている。

ムの倫理と資本主義の精神』をひもといたことのある人は、同書がイギリスよりアメリカのピューリタンを好んで引用していることに気づかれるだろう。
神学や宗教学では、これを「土着化」と呼ぶ。宗教は、例えば日本の仏教がそうであるように、ある土地や文化に根を下ろせば下ろすほど、その性格や焦点を変えてゆく。
それはちょうど、ウィルス感染のようなものである。ウィルスが感染して増殖すると、宿主である身体にさまざまな影響を及ぼすが、同時にそのウィルス自体も宿主に適応して変化し、「亜種」が生まれるのである。
日本ではキリスト教の「本場」であるかのように思われているアメリカだが、そのキリスト教は大きく様変わりした亜種の一つである。
その変容ぶりを示すのが、この世の成功に対する考え方である。アメリカでは、成功は神の祝福の徴(しるし)と考えられている。神が幸運を与えてくれなければ、どんなに努力しても、成功することはない。逆に、成功していれば、それは神が祝福してくれたことの証である。
日本では「成り上がり者」や「にわか成金」にはどこか冷たい眼差しが向けられるが、アメリカではそれこそが正しい成功である。世襲のカネやコネによらず、裸一貫で出発し、自分の能力と才覚だけで成功をつかむ。これが"self-made man"の理念である。

け離れた言動を続ける人物を、何と白人福音派の8割が支持したという。なぜか。彼らはこう考えるのである。
「たしかに彼は人間的に見て困ったところもある。だが、神の目はどこか違うところを見ているに違いない。彼には、人の知らないよいところがあって、それを神が是認しているのだ。だから彼はあんなに成功しているのだ」
トランプ氏本人も、彼の支持者も、大観衆の声を通して聞いているのは、神の是認の声なのである。

「負け」を納得できない人びと

ただし、明らかなことだが、これはあくまでも「勝ち組」の論理である。成功が神の祝福の徴なら、失敗は神に見放された結果、ということになる。
だが、そんな結論を正面から受け止められる人は少ない。「自分はまっとうに生きてきた。人並みに働いて、普通の暮らしを願ってきた。なのに食えない」とすれば、原因はどこか別のところにあるに違いない、ということになろう。
選挙戦前半で民主党のサンダース候補があれほど支持されたのも、この基本感情によるものである。若者たちが感じているフラストレーションを、中国の脅威や格差の拡大といった政治経済の言語で説明することもできるだろう。
だが、なぜ彼らにあれほどの不満が鬱積しているのかを理解するには、彼らの心の内にわだかまる「行き場のなさ」や「説明のできなさ」を理解する必要がある。そして、その若者たちと同じように、アメリカという国自体も衰退し、脅かされ、沈みかかっている。だから人びとは、「アメリカを再び偉大な国にする」と豪語する成功者のトランプ氏になびいたのである。
実は、宗教こそこうした「負け」を説明する論理を提供するはずのものである。キリスト教に限らず、宗教には現世の不幸を説明するための論理が備えられている。
「神義論」と呼ばれる論理だが、幸か不幸か、アメリカはこの論理を発展させるだけの猶予がないほど成功を続けてきた。だから彼らは、今になって自分たちの負けを納得することができないのである。

目的を見失ったアメリカの行方

もう一つ、この論理が説明できないことがある。それは、成功によって得たその富を「何のために」使うか、という目的である。ビジネスでの成功は、成功自体が目的となる。しかし、ひとたび成功してしまったら、その次は何をするのであろうか。
ヴェーバーの資本主義論では、成功によって得た富は、遊楽や放蕩に費やされることなく、禁欲的に生産活動へと再投資され、ますます資本が蓄積されてゆく。この無限回転の論理こそが「資本主義の精神」の要であった。
だが、そこに「目的」という概念はない。富の追求は、非合理的ですらある。
絶えざる前進が神の栄光を表す、という信仰があるうちはよいが、その信仰が消失したら、この論理は理由もなくただ稼働し続けるだけの巨大なマシンと化す。それが生み出す富を用いて、どのような善を社会に実現すべきか、という目的意識や価値観は、そこからは出てこない。
トランプ氏は、大統領になって何をしたかったのだろうか。
もしかすると、何かをしたくて大統領になったのではなく、大統領選に勝って自分が世界最強の男であることを証明したかっただけなのではないか。だから彼の掲げた政策は曖昧で具体性がなく、人々を引きつけて得票に結びつくものではあっても、実現可能性や実効性に乏しいのではないか。
移民国家アメリカは、目的をもつことで統一を作り出してきた国である。アメリカを動かしてきたのは、自分で自分に課した使命である。目的や使命を見失ったアメリカは、どのような国になるのだろうか。
***
「反トランプ」のデモをかきわけるようにして辿り着いたマーブル教会には、自信たっぷりに明るく語りかけるピール牧師の銅像が立っていた。あたかも、「ポスト真実」(post-truth)に翻弄される今日のわれわれに、「何も心配することはありません」と言っているかのように。


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