2016年5月5日木曜日

160503神奈川新聞「なめんなよ」精神を 主権われわれにあり

「なめんなよ」精神を 主権われわれにあり
【憲法特集】樋口陽一氏(東大名誉教授)
公開:2016/05/03 02:00 更新:2016/05/03 02:00
神奈川新聞


http://www.kanaloco.jp/sp/article/170015





 憲法学の権威、東大名誉教授の樋口陽一さん(81)は言う。「なめんなよ」。齢(よわい)八十を超え、集会や講演会を巡り、安保法制や憲法改正に反対の声を上げる。自民党が目指す憲法改正への危機感は、それほどに強い。

 -現在の憲法改正論議をどう考えていますか。

 安倍晋三首相は、日本国憲法を「みっともない憲法」と評し、憲法とその背後にある戦後日本そのものを大きく変えようとしています。憲法改正については「私の在任中に成し遂げたい」と表明しています。

 憲法改正を議論するには、まず議論の前提を考える必要があります。憲法改正を言いだしている自民党議員たちは何を目指しているのかを、理解しなければなりません。自民党が2012年に発表した憲法改正草案と、その内容を説明した「憲法改正草案Q&A」を見ると、背景にある考えが見えてきます。

 近代憲法には、国民が憲法によって権力を縛る立憲主義という考え方が基本にあります。ですが、自民党が目指しているのは、権力が国民に注文を付ける憲法への転換です。立憲主義が破壊され、国の根幹が壊されようとしています。

 改憲草案Q&Aの記述では「天賦人権説に基づく規定ぶりを全面的に見直」すとしています。天賦人権説は、一人一人が生まれながらの権利を持っているという普遍的な考えですが、「それは西洋風で、日本には合わない」と考えているのでしょう。「すべての人の権利を保障するのはやめた」と、近代憲法の考え方を否定しているように見えます。

 明治憲法への逆戻りだと批判する人がいますが、そうではありません。明治憲法は、日本の近代化のために立憲政治を導入することが必要だという立場に立って作られました。改憲草案はそれよりはるかにひどいものです。私の信頼する法史家は、江戸時代に高札を立てて「民よ、こういうことをしてはいけない」と示すようなものと言っています。改憲草案は近代法からの逸脱であり、前近代への回帰、近代国家の否定になります。日本国憲法13条の「個人として尊重される」という記述を、改憲草案では「人として尊重される」と変えているのが端的な表れです。

 -他に気になる記述はありますか。

 経済活動の自由を定めた記述です。憲法22条1項には「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」と書かれています。

 改憲草案には、日本国憲法の条文にあった「公共の福祉に反しない限り」という言葉が消えています。経済活動の自由だけは、制限を加える言葉がないのです。表現の自由には、これまでなかった制限の根拠として「公益及び公の秩序」という語句が加えられており、それと比べて22条1項の突出ぶりは特別です。

 経済成長第一主義ともいえる新自由主義の考え方が背景にあるのでしょう。確かに、世界は新自由主義の方向に向かって動いてきました。ですが、その結果生じてくる社会の亀裂、伝統の破壊などに抵抗する動きが世界中で現れています。日本だけは憲法改正してまで、憲法の中に、その思想を書き込もうとしています。

 改憲草案の前文には、新自由主義とは両立しないはずの郷土、家族など、古き良き日本を表す言葉が散りばめられています。経済活動によるゆがみを観念の世界で癒やそうとしています。

 これが、自民党の目指す憲法改正です。議論の座標をはっきりさせることが必要です。安倍首相は、自身が目指す憲法改正の内容について、明言していませんが、白紙から憲法を考えるのではありません。自民党の改憲草案が、議論の土台になります。

 -夏には参院選があります。

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