2016年5月4日水曜日

160503毎日新聞 安倍首相の改憲論=須藤孝(政治部)

安倍首相の改憲論=須藤孝(政治部)




毎日新聞 
参院予算委員会で質問に答える安倍晋三首相。この日、改憲への強い意欲を見せた=3月2日、藤井太郎撮影
参院予算委員会で質問に答える安倍晋三首相。この日、改憲への強い意欲を見せた=3月2日、藤井太郎撮影

改正内容を示すべきだ

 安倍晋三首相は夏の参院選で憲法改正を争点とする考えをたびたび表明している。しかし、何を変えようとしているかははっきりしない。何を変えるかではなく、憲法を変えること自体を目標にしているようにも見える。民主主義の基盤を不安定にしかねない危険な状況だと思う。
 私は憲法を一字一句たりとも変えるべきではない、とは思わない。必要があれば時代の変化に合わせて憲法を変えていくのは当然のことだ。しかし、憲法には手続きを定めた規定と、国民主権や基本的人権といった基本原理を定めた規定の2種類がある。手続きを変えることと、基本原理を変えることは明確に区別して論じられるべきだ。しかし、首相の改憲論はその区別が必ずしも明確ではない。
 立憲主義の説明として「憲法は権力者を縛るもの」という説明がよくされる。そもそも誰にも侵すことのできない基本的人権を基礎として築いた社会があり、その基本原理を尊重するよう記したものが憲法の条文だ。憲法の本体は条文ではなく、基本原理にある。「憲法を変える」ということが基本原理の変更を意味するなら、それは現在の日本社会をひっくり返す革命を起こそうという革新の主張だ。

基本原理変更の疑念につながる

 戦前には革新は、左右を問わず、国の基本的な枠組みから外れて既存秩序を変えようとする集団を指した。首相の祖父の岸信介氏も革新官僚と呼ばれた。
 首相は最近は発言を封印しているが、日本国憲法を含め、連合国軍総司令部(GHQ)のもとで作られた戦後体制に否定的だ。そして「私たちの手で新しい憲法を作る」と言う。こうした言い方は、憲法を変えることで社会を変えようとしているように受け取られても仕方がない。現在の社会を守ることから出発する本来の保守のあり方からはほど遠い。たとえ首相にその意図がなくても、憲法の基本原理を変えようとしているのではないかという疑念を起こさせる。変えようとする内容を具体的に語らないことが、さらにその疑念を強める。
 内容を語るべきだ、と指摘されると首相は「自民党は憲法改正草案(2012年)を示している」とする。しかし、草案は基本的人権の行使を制約する原理として「公益及び公の秩序」を挙げるなど、憲法の基本原理に触れる内容を含む。
 首相が憲法について語る難しさは理解できる。国会で質問を受けた場合、首相の立場と自民党総裁としての立場があり、うまく使い分けながら答弁するのは難しい。首相自身がどう思っていようと、党が正式に決めた草案を、正面から否定することができない事情もよくわかる。
 草案は自民党が野党だった時に作成されたという事情があり、自民党内でもそのまま実現しようとしている議員は多くはない。首相自身も草案がそのまま実現するとは思っていないだろう。また行政の長である首相が改憲の内容を具体的に語れば、国会での議論をかえって阻害するという思いもあるのだろう。首相は「どの条項をどのように改正するかは、国会や国民的な議論と理解の深まりの中で定まってくる」(2月3日、衆院予算委員会)という考えも示している。

思惑ばかり先行、議論は深まらず

 しかし、「私の在任中に成し遂げたい」(3月2日、参院予算委)と、強い意欲を示しながら、どういう必要があって憲法を改正しなければならないのか、首相が十分に示しているとは言えない。そのことが、衆参両院で改憲発議に必要な3分の2以上の議席を確保するためにどうするか、といった政治的な思惑ばかりが先行し、内容についての議論が深まらない原因になっているのではないか。
 憲法尊重義務が課せられている行政府の長としては、そもそも改憲に言及することには慎重であるべきだ。それでも、選挙に臨む党総裁として有権者に問いたいというのであれば、きちんと議論の材料を提供しなければならない。
 憲法改正は、基本原理を変えないことを大前提としたうえで、必要性について十分議論を重ねて整備すべきだ。そのためには、改正すべき内容を個別具体的に掲げて国民に問わなければならない。環境権など、制定時には想定されていなかった新しい権利について議論するのも良いと思う。
 憲法を変えること自体に意味を見いだそうとするのは、変えないこと自体に意味を見いだそうとすることと同様に問題だ。何を改正しようとしているのかきちんと示すことで、本質的な原理の部分では憲法を変えないという姿勢を明示すべきだ。

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