2016年5月29日日曜日

160529なぜ慰霊碑の向こうに原爆ドームが見えるのか?

なぜ慰霊碑の向こうに原爆ドームが見えるのか? 世界的巨匠が託した思い
オバマが見る光景を作った男・建築家丹下健三

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2016年5月28日土曜日

160528安倍首相の演説全文「日米が希望を生み出すともしびになる」


 昨年、戦後70年の節目にあたり、私は米国を訪問し、米国の上下両院の合同会議において日本の内閣総理大臣としてスピーチを行いました。この戦争によって多くの米国の若者たちの夢が失われ、未来が失われました。その苛烈な歴史に改めて思いをいたし、先の戦争で倒れた米国の全ての人々の魂にとこしえの哀悼をささげました。
 そして、この70年間、和解のために力を尽くしてくれた日米両国全ての人々に感謝と尊敬の念を表しました。熾烈に戦いあった敵は70年の時を経て心の紐帯を結ぶ友となり、深い信頼と友情によって結ばれる同盟国となりました。そうして生まれた日米同盟は世界に希望を生み出す同盟でなければならない。私はスピーチでそう訴えました。
 あれから1年。今度はオバマ大統領が米国のリーダーとして初めて、この被爆地・広島を訪問してくれました。米国の大統領が被爆の実相に触れ、核兵器のない世界への決意を新たにする。核なき世界を信じてやまない世界中の人々に大きな希望を与えてくれました。
 広島の人々のみならず、全ての日本国民が待ち望んだこの歴史的な訪問を心から歓迎したいと思います。
 日米両国の和解、そして信頼と友情の歴史に新たなページを刻むオバマ大統領の決断と勇気に対して、心から皆さまとともに敬意を表したいと思います。
 先ほど私とオバマ大統領は、先の大戦において、そして原爆投下によって犠牲になった全ての人々に対し哀悼の誠をささげました。
 71年前、広島そして長崎ではたった1発の原子爆弾によって何の罪もないたくさんの市井の人々が、そして子供たちが、無残にも犠牲となりました。一人一人にそれぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。その当然の事実をかみしめるとき、ただただ断腸の念を禁じ得ません。いまなお被爆によって大変な苦痛を受けておられる方々もいらっしゃいます。
 71年前、まさにこの地にあって想像を絶するような悲惨な経験をした方々の思い。それは筆舌に尽くしがたいものであります。さまざまな思いが去来したであろう、その胸の中にあって、ただこのことだけは間違いありません。

 世界中のどこであろうとも、再びこのような悲惨な経験を決して繰り返させてはならない。この痛切な思いをしっかりと受け継いでいくことが今を生きる私たちの責任であります。
 核兵器のない世界を必ず実現する。その道のりがいかに長く、いかに困難な者であろうとも、絶え間なく努力を積み重ねていくことが今を生きる私たちの責任であります。

そして、あの忘れえぬ日に生まれた子供たちが恒久平和を願ってともしたあの灯火に誓って、世界の平和と繁栄に力を尽くす。それが今を生きる私たちの責任であります。
 必ずやその責任を果たしていく。日本と米国が力を合わせて、世界の人々に希望を生み出すともしびとなる。この地に立ち、オバマ大統領とともに改めて固く決意しています。そのことが、広島、長崎の原子爆弾の犠牲となった数多の御霊の思いに応える唯一の道である。私はそう確信しています。


160527オバマ所感

http://mainichi.jp/english/articles/20160527/p2a/00m/0na/037000c

http://shantipapa.hatenablog.com/entry/2016/05/28/オバマ大統領の広島演説で英語の勉強(英文・和
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オバマ大統領の広島演説で英語の勉強(英文・和訳対比)

平成28年5月27日(金)、オバマ大統領がアメリカの大統領としてはじめて被爆地広島を訪問しました。この歴史的な日におこなわれた素晴らしいスピーチを、英語の勉強に活かしたいと思い、記録として残しておくことにしました。
当日の様子は、以下の動画で見られます。スピーチは3分40秒あたりからはじまります。

オバマ大統領 広島スピーチ全文

Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
 71年前のよく晴れた雲のない朝、空から死が降ってきて世界は変わった。閃光(せんこう)と火の壁が町を破壊し、人類が自らを滅ぼす手段を手にしたことを示した。
Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in the not so distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans and a dozen Americans held prisoner.
 我々はなぜここ広島を訪れるのか。それほど遠くない過去に解き放たれた、恐ろしい力について思いを致すためだ。亡くなった10万人を超える日本の男性、女性、子供たち、数千人の朝鮮半島出身の人々、そして捕虜になった十数人の米国人を追悼するためだ。
Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.
 彼らの魂は我々に内面を見つめ、我々が何者であるか、これからどのようになっていくのかを考えるように語りかけている。
It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind.
 広島を際立たせているのは戦争という事実ではない。歴史的な遺物をみれば、暴力による争いが初期の人類からあったことが分かる。我々の初期の祖先は石から刃物を作り、木からヤリを作る方法を学んだ。こうした道具を狩りだけでなく、同じ人類に対しても用いるようになった。
On every continent the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen, peoples have been subjugated and liberated, and at each juncture innocents have suffered -- a countless toll, their names forgotten by time.
 世界の文明の歴史は穀物不足や黄金への欲望、民族主義や宗教的熱意といった理由で、戦争で満ちている。帝国は台頭し、衰退した。人々は支配されたり解放されたりしてきた。節目節目で苦しんできたのは罪の無い人々であり、数え切れない彼らの名前は時とともに忘れ去られてきた。
The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth, and yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.
 広島と長崎で残虐な終わりを迎えた世界大戦は、最も豊かで強大な国の間で起きた。彼らの文明は世界に偉大な都市、素晴らしい芸術をもたらしてきた。思想家は正義と調和、真実という概念を発展させてきた。しかし戦争は初期の部族間であった支配や征服と同じような本能から生まれてきた。新たな能力が、支配欲や征服欲が争いを呼ぶという古くからの構造を増幅させた。
In the span of a few years some 60 million people would die: men, women, children -- no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death.
 数年の間におよそ6千万人の命が奪われた。我々と変わらない男性や女性、子供たちが銃撃され、打たれ、連行され、爆弾に巻き込まれた。投獄されたり、飢えたり、ガス室に送り込まれたりした。
There are many sites around the world that chronicle this war -- memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity.
 世界各地には勇敢で英雄的な行動を伝える記念碑や、言葉には言い表せないような邪悪な出来事を反映する墓や空っぽの収容所など、戦争を記録する場所が数多く存在している。
Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity's core contradiction -- how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will -- those very things also give us the capacity for unmatched destruction.
 しかし、この空に上がったキノコ雲の姿は、人類が持つ矛盾を強く思い起こさせる。我々を人類たらしめる思考、想像力、言語、道具を作る能力、我々を自然と区別し、自然を自らの意志に従わせる能力は、大きな破壊的な力も生み出した。
How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily do we learn to justify violence in the name of some higher cause?
 いかにして物質的な進歩や革新がこうした事実から目をくらましてきただろうか。崇高な理由のために暴力をどれだけたやすく正当化してきただろうか。
Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill.
 すべての偉大な宗教は愛や平和、正義への道を約束している。しかし、どの宗教も信条のもとで殺人が許されると主張する信者を抱えてきた。
Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different. Science allows us to communicate across the seas, fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.
 国の台頭は人々の犠牲と協力を結びつける物語として語られてきたが、人類を抑圧し、人間性を奪う理由にも使われてきた。科学の力で、我々は海を越えて対話し、雲の上の空を飛び、病気を治し、宇宙の真理を知ることができるようになった。しかし同じ科学の発見が、効率的な殺人の機械を生み出すこともある。
The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.
 近代の戦争や広島(での原爆被害)はこの真実を告げている。科学の進歩に見合うだけ人間社会に進歩がなければ破滅が訪れる。原子核の分裂を可能にした科学の進化と同様、道徳の進化も求められている。
That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see.
 だから我々はこの場所を訪れる。広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いをはせる。目の前の光景に子どもたちが味わった恐怖を感じる。
We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.
 声なき悲鳴に耳を傾ける。あのひどい戦争やそれまでの戦争、そして未来の戦争の罪なき犠牲者全員に思いを寄せる。
Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.
 言葉だけではそのような苦しみに声を与えることはできない。歴史を真っすぐに見つめ、再び苦しみを生まないために何を変えなければいけないのかを問う共通の責任がある。
Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination, it allows us to change.
 いつか、証言をしてくれる被爆者の声を聞くことができなくなる日が来る。しかし1945年8月6日朝の記憶は絶対に消えてはならない。この記憶によって我々は独りよがりではいられなくなる。道徳的な想像力がかき立てられ、変わることができるようになる。
And since that fateful day we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people that we can ever claim through war.
 そしてあの運命の日から、我々は希望ある選択をしてきた。日米は同盟だけでなく友情を鍛え、戦争で得られるよりもはるかに大きな利益を勝ち取った。
The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war and aspired to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.
 欧州の国々は連合体を築き、戦場を商業と民主主義の連帯(の地)に変えた。抑圧された人々や国々は自由を得た。国際社会は戦争を回避し、核兵器を制限、削減、ついには廃絶するための機構や条約を作った。
Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man's capacity to do evil, so nations and the alliances that we formed must possess the means to defend ourselves.
 それでも、国家間の紛争やテロ、腐敗、残虐性、抑圧が世界中にあり、道のりが遠いことを思い知る。人間が悪を働く力をなくすことは難しく、国家や同盟は自分自身を守る手段を保持しなければならない。
Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.
 しかし我が米国をはじめとする核保有国は、恐怖の理論から逃れ核兵器のない世界を目指す勇気を持たなければならない。私の生きているうちには、この目標を達成することはできないかもしれない。しかしたゆまぬ努力により惨劇の可能性を後退させることはできる。
We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles, we can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics. And yet that is not enough, for we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale.
 新たな国や狂信者たちに恐ろしい兵器が拡散するのを止めることもできる。しかし、それだけでは十分ではない。世界をみれば、非常に原始的なライフルや樽(たる)爆弾がどれだけ大きな破壊力を持つか分かる。
We must change our mindset about war itself -- to prevent conflicts through diplomacy and strive to end conflicts after they've begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy but by what we build. And perhaps above all we must reimagine our connection to one another as members of one human race -- for this too is what makes our species unique.
 我々は戦争そのものへの考え方を変えなければならない。外交の力で紛争を防ぎ、紛争が起きたら終わらせようと努力をすべきだ。国と国が相互依存関係を深めるのは、平和的な協力のためで、暴力的な競争のためではない。軍事力によってではなく、何を築き上げるかで国家を評価すべきだ。そして何にも増して、同じ人類として、互いのつながりを再び考えるべきだ。それが、人間が人間たるゆえんだ。
We're not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.
 遺伝情報のせいで、同じ過ちを繰り返してしまうと考えるべきではない。我々は過去から学び、選択できる。過去の過ちとは異なる物語を子どもたちに語ることができる。我々は同じ人間であると伝え、戦争を今よりも起きにくくし、残虐さが簡単には受け入れられなくなるような物語だ。
We see these stories in the Hibakusha: the woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.
 我々はこうした物語を被爆者から学ぶ。原爆を落としたパイロットを許した(被爆者の)女性は、憎むべきはパイロット個人ではなく戦争そのものだと理解していた。日本で殺された米兵の家族を探し当てた(日本人)男性は、米国人も自分と同じように家族を亡くした喪失感を抱えていると感じた。
My own nation's story began with simple words: "All men are created equal, and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness."
 私の国の物語はシンプルな言葉で始まる。「すべての人は平等で、神によって生命や自由に加え、幸福を追求する譲歩不可能な権利を与えられている」
Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans.
 この理想を実現することは米国内の米国市民であっても、決して簡単なことではない。しかし、この物語を実現することは、努力に値する。それは努力して、世界中に広められるべき理想の物語だ。
The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell.
 我々全員は、すべての人間が持つ豊かな価値やあらゆる生命が貴重であるという主張、我々が人類という一つの家族の一員だという、極端だが必要な観念を語っていかなければならない。
That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent.
 我々は、その物語を語るために広島に来る。そして愛する人のことを考える。朝起きてすぐの子どもたちの笑顔、夫や妻とのテーブル越しの温かなふれあい、そして親からの温かな抱擁。
We can think of those things and know that those same precious moments took place here 71 years ago. Those who died, they are like us.
 こうしたことに思いをはせ、そしてそんな素晴らしい瞬間が、71年前この広島にもあったことを知る。亡くなった人は、我々となんら変わらない人たちだった。
Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it.
 普通の人ならこうしたことが分かるだろう。彼らは、これ以上戦争が起きることは望まない。彼らは科学は、生命を奪うためではなく、生活をより良くするために使われるべきだと考えている。
When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.
 国家や指導者がこうした単純な知恵を使って(国の方向を)選択するならば、広島の教訓が生かされたことになる。
The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting and then extending to every child.
 ここ広島で、世界は永遠に姿を変えてしまった。しかし今日、この町の子どもたちは平和の中に生きている。なんと貴重なことか。それは守られるべきことで、世界中の子どもたちが同じように平和に過ごせるようになるべきだ。
That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.
 それが我々が選びうる未来だ。そして、その未来の中で広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、我々の道義的な目覚めの始まりとして記憶されるだろう。
(英文:共同 / 和訳:日本経済新聞社)

160527オバマ広島スピーチ

2016年5月28日() 晴れ 31 ℃ / - ℃
ニュース

オバマ米大統領・広島訪問 スピーチ全文(英語)

71 years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in the not so distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans and a dozen Americans held prisoner.
Their souls speak to us. They ask us to look inward to take stock of who we are and what we might become.
It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first men. Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind.
On every continent the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen, peoples have been subjugated and liberated, and at each juncture innocents have suffered -- a countless toll, their names forgotten by time.
The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth, and yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.
In the span of a few years some 60 million people would die; men, women, children -- no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed starved, gassed to death.
There are many sites around the world that chronicle this war -- memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps, the echo of unspeakable depravity.
Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity's core contradiction -- how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will -- those very things also give us the capacity for unmatched destruction.
How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily do we learn to justify violence in the name of some higher cause?
Every great religion promises a path to love and peace and righteousness. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill.
Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different. Science allows us to communicate across the seas, fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.
The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.
That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see.
We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.
Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.
Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination, it allows us to change.
And since that fateful day we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people that we can ever claim through war.
The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war and aspired to restrict and roll
back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.
Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man's capacity to do evil, so nations and the alliances that we formed must possess the means to protect ourselves.
Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.
We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles, we can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics. And yet that is not enough, for we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale.
We must change our mindset about war itself -- to prevent conflicts through diplomacy and strive to end conflicts after they've begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy but by what we build; and perhaps above all reimagine our connection to one another as members of one human race -- for this too, is what makes our species unique.
We're not bound by genetic codes to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.
We see these stories in the Hibakusha: the woman who forgave the pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.
My own nation's story began with simple words. All men are created equal and endowed with certain inalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness.
Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans.
The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell.
That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent.
We can think of those things and know that those same precious moments took place here 71 years ago. Those who died, they are like us.
Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it.
When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.
The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting and then extending to every child.
That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.

160527思わず産経かと思った朝日新聞塩野七生氏インタビュー

オバマ氏に謝罪求めぬ日本、塩野七生さんは「大変良い」

聞き手 編集委員・刀祢館正明
2016年5月25日


http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ5R3T1VJ5RULZU00Q.html

塩野七生氏インタビュー「安倍首相にやりたいだけ、10年はやらせろ」に欠ける近代立憲主義。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/a587478cc548362a62d8464580b701d2

acacia @freie_Herz

私は別に塩野氏に何の思い入れもないが、この時期のこの空気の中でこんなインタビューをわざわざ載せた朝日新聞には、いつも以上に強烈な憤りを感じている。先の「謝罪を求める被爆者は何%」というアンケートもだが、想像を絶する体験に対する共感に著しく欠けているから。あまりにも傲慢。

acacia @freie_Herz

昨日のオバマ演説は一つの歴史にはなったと思うし、人として心動かされるものであった。それはそれとして、被害者の当然の怒りや恨みを「不寛容なもの」のごとく扱う姿勢は明確な誤りだ。慰安婦問題もそう。日韓合意を受け入れない人たちがたとえ少数でも、その気持ちは尊重されるべきだ。

[コラム]塩野七生、あるいは全体主義の誘惑

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/24250.html

25日、朝日新聞に載った塩野氏のインタビューを読んだ。インタビューで彼女が注目したのは、被爆者の「低い声」ではなく、日本という「国家の品格」だった。学生時代に小遣いを節約して購入した多くの本に対する記憶と、インタビューのおぞましい主張が同時に私の心に迫り、“文字通り”机の上に吐き出したいと思った。

 「謝罪を求めず、無言で静かに(オバマ大統領を)迎える方が、謝罪を声高に求めるより、断じて品位の高さを強く印象づけることになるのです」、 「(韓国と中国は)ヨーロッパを歴訪して『日本は悪いことをしていながら謝罪もしない』と訴え、効果があると考えたのでしょうか。私には、外交感覚の救いようのない欠如にしか見えませんが」、 「日本が原爆投下への謝罪を求めないとしたことの意味は大きいのです。欧米諸国から見れば、同じアジア人なのに、と。国の品位の差を感じ取るかもしれません」、「デモや集会などはいっさいやめて、静かに大人のやり方で迎えてほしい」。

160527オバマ大統領の広島スピーチ全文

オバマ大統領の広島スピーチ全文 「核保有国は、恐怖の論理から逃れるべきだ」

http://m.huffpost.com/jp/entry/10160172

アメリカのオバマ大統領は5月27日、広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に献花した。

オバマ氏は現職のアメリカ大統領として初めて被爆地・広島を訪問。原爆投下国として、広島と長崎を含む第二次世界大戦のすべての犠牲者らに哀悼の意を示すスピーチをした。その中で「核なき世界」を主導する責任についても言及した。

献花には安倍晋三首相が同席した。オバマ大統領のスピーチは以下のとおり。

■オバマ大統領「広島と長崎が教えてくれたのです」

71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と火の玉がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。

なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?

私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。

私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、10人ほどのアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。

彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、本質を見るように求めています。

広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった私たちの初期の祖先は、それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たちの同類に対して使ったのです。

どの大陸でも、文明の歴史は戦争で満ちています。戦争は食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、民族主義者の熱狂や宗教的な熱意でやむなく起きてしまいます。

多くの帝国が勃興と衰退を繰り返しました。多くの人間が隷属と解放を繰り返しました。そして、それぞれの歴史の節目で、罪のない多くの人たちが、数えきれないほどの犠牲者を生んだこと、そして時が経つに連れて自分たちの名前が忘れ去られたことに苦しめられました。

第二次世界大戦は、広島と長崎で、とても残虐な終わりを迎えました。これまで人類の文明は、素晴らしい芸術を生み出してきました。そして偉大な思想や、正義、調和、真実の考えを生み出してきました。しかし、同じところから戦争も出てきました。征服をしたいという思いも出てきました。古いパターンが、新しい能力によってさらに増幅されました。そこには制約が働きませんでした。

ほんの数年の間に6000万もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供達。私たちと全く変わらない人たちです。撃たれ、殴られ、あるいは行進させられ、飢えさせられ、拘束され、またはガス室に送られて亡くなりました。

世界中には、この戦争の歴史を刻む場所が沢山あります。慰霊碑が、英雄的な行いなども含めて、色々なことを示しています。空っぽな収容所などが、そういうことを物語っています。

しかし、空に上がったキノコ雲の中で、私たちは人類の非常に大きな矛盾を強く突きつけられます。私たちの考え、想像、言語、道具の製作、私たちが自然とは違うということを示す能力、そういったものが大きな破壊の力を生み出しました。

いかにして物質的な進歩が、こういったことから目をくらませるのでしょうか。どれだけ容易く私たちの暴力を、より高邁な理由のために正当化してきたでしょうか。

私たちの偉大な宗教は、愛や慈しみを説いています。しかし、それが決して人を殺す理由になってはいけません。国が台頭し、色々な犠牲が生まれます。様々な偉業が行われましたが、そういったことが人類を抑圧する理由に使われてきました。

科学によって私たちはいろいろなコミュニケーションをとります。空を飛び、病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとします。そのような科学が、効率的な殺人の道具となってしまうこともあります。

現代の社会は、私たちに真理を教えています。広島は私たちにこの真理を伝えています。技術の進歩が、人類の制度と一緒に発展しなければならないということを。科学的な革命によって色々な文明が生まれ、そして消えてゆきました。だからこそいま、私たちはここに立っているのです。

私たちは今、この広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いを馳せています。子供たちの苦しみを思い起こします。子供たちが目にしたこと、そして声なき叫び声に耳を傾けます。私たちたちは罪のない人々が、むごい戦争によって殺されたことを記憶します。これまでの戦争、そしてこれからの戦争の犠牲者に思いを馳せます。

言葉だけで、そのような苦しみに声を与えるものではありません。しかし私たちには共有の責任があります。私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。そして、尋ねるのです。我々は、一体これから何を変えなければならないのか。そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。

いつの日か、被爆者の声も消えていくことになるでしょう。しかし「1945年8月6日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。そして、私たちに変化を促すものとなります。

あの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をしてきました。

アメリカ合衆国そして日本は、同盟を作っただけではなく友情も育んできました。欧州では連合(EU)ができました。国々は、商業や民主主義で結ばれています。

国、または国民が解放を求めています。そして戦争を避けるための様々な制度や条約もできました。

制約をかけ、交代させ、ひいては核兵器を廃絶へと導くためのものであります。それにもかかわらず、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、テロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示しています。

私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれません。私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからです。しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。

私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。

それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。

平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。

私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。

人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています

アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。

しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。

亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。

国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。

世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。

2016年5月26日木曜日

160526笑顔がなかった安倍首相 日米首脳会談で何が語られたのか

笑顔がなかった安倍首相 日米首脳会談で何が語られたのか 

Daisuke Furuta

Jim Watson / AFP / Getty Images

会見は「沖縄」から始まった

G7伊勢志摩サミット前夜の5月25日、現地で日米首脳会談が開かれた。安倍晋三首相とバラク・オバマ大統領は、何を語り合ったのか。直後の共同記者会見で、安倍首相が真っ先に口にしたのは「沖縄」だった。
BuzzFeed Japanはホワイトハウスの記者団に登録し、現地で取材した。
会見場に入ってきた安倍首相とオバマ大統領は左右に並び、まず、安倍首相から会談について説明をした。安倍首相は、いきなり切り出した。
「まず冒頭、先般、沖縄で発生した事件について、私からオバマ大統領に対し、日本の総理大臣として断固抗議をいたしました。そして少人数の会談では、全ての時間を割いて、この問題についてお話をいたしました」
安倍首相の表情は硬い。一言一言に力を込めて話す。
Carlos Barria / Reuters

事件がもたらした衝撃

事件は4月28日夜に発生。うるま市の20歳の女性がウォーキング中に行方不明となり、遺体が発見された。5月19日に逮捕されたのは、元米兵で今も軍属として沖縄に住む32歳のシンザト・ケネフ・フランクリン容疑者だった。
容疑者は性的暴行と殺害を自供した。沖縄で再び発生した凶悪な事件に、世論は強く反発した。沖縄では来月、事件に抗議する数万人規模の県民大会が計画されている。
オバマ大統領が現職のアメリカ大統領として、初めて広島を訪問することが発表された間も無く明るみに出た衝撃的な事件。
共に過去を直視した上で、未来志向の日米関係を築くという友好的な雰囲気がかき消され、安倍首相は強い口調で抗議せざるをえなかった。
「身勝手で卑劣極まりない犯行に、非常に強い憤りを覚えます。沖縄だけでなく日本全体に大きな衝撃を与えており、こうした日本国民の感情を、オバマ大統領にはしっかりと受け止めてもらいたい、と申し上げました。その上で、実効的な再発防止策の徹底など、厳正な対応を求めました」
オバマ大統領は安倍首相の厳しい発言を、口を真一文字に結んで神妙に聞いていた。
Jim Watson / AFP / Getty Images

日米地位協定の改定は

安倍首相に続き、オバマ大統領も会談について発言。日米同盟の重要性を強調した上で、事件についても言及した。
「心の底からの哀悼の気持ちと深い遺憾の意を表明しました。日本の司法制度のもとで捜査がなされるよう、米国は継続的に協力します」
会場では、日米の記者それぞれ一人ずつが指名され、質問の時間が与えられた。
最初に指名を受けたのは、NHKの記者。1995年に沖縄で発生した小学生女児に対する米兵による暴行事件に言及し、繰り返される米軍関係者の犯罪への対策を問うた。質問の中心は「安倍首相は日米地位協定の見直しを求めたのか」だった。
在日米軍について、日本での活動や日米間での対応について定め、1960年に締結された日米地位協定。米軍人・軍属らが犯罪を起こした場合、米側に刑事事件の裁判権が優先されることなどが含まれており、沖縄を中心に見直しを求める声は大きい。
しかし、首相は「地位協定のあるべき姿を不断に追求していく」と述べるにとどめた。
続いて、米側から指名された記者は3つの質問をした。パキスタンでの対タリバン作戦について、中国との関係について、そして、広島訪問について。沖縄に関する質問は出なかった。
オバマ大統領は記者からの質問にはなかった沖縄について、まず話した。その中で日米地位協定について、改定に否定的な見解を自ら口にした。
「日米地位協定は、日本の司法体系での完全な捜査や司法に必要な措置を妨げていないことは指摘しておくことは重要だろう」
会見の最後、二人は握手をした。安倍首相はその瞬間、少しだけ表情を緩めた。しかし、カメラに笑顔を向けることはなく、会場を後にした。
Jim Watson / AFP / Getty Images
安倍首相の発言は首相官邸が公開している。オバマ大統領の発言や記者との質疑応答も含めた全文はホワイトハウスが公開している(英語)。
バズフィード・ジャパン 創刊編集長
お問い合わせ Daisuke Furuta atdaisuke.furuta@buzzfeed.com.

160526安倍オバマ会見報道3紙

打越 さく良さんのFBより



書評や調査報道他やはり充実の朝日新聞、ん?と国際政治面は疑問を抱く記事が目につくものの秘密保護法他の関係では充実の毎日新聞、2紙でいいかな、3紙も読み切れないし、そろそろ東京新聞をとるのは止めてもいいかなーと思いつつ、やはり止められないと思うのは、こうした歴然とした視点の違い。
毎日、朝日はトップにオバマ&安倍の握手シーンの写真のみ。東京新聞はそれより大きく、それより上に、嘉手納基地前の緊急集会で黙祷を捧げる市民たちの写真。さらにサミット前に作業が原則休止となり作業員の姿が消えた福島第一原発3号機の写真も、示唆に富む。
見出しも、毎日、朝日はオバマ大統領の著しくボンヤリした「遺憾」との言葉をデカデカと。東京新聞のみ「地位協定改定求めず」とずばり。
翁長知事の言葉も「県民は理解できない」と大きく扱う東京に比べ、毎日、朝日は一面に載せるも小さな扱い。

https://m.facebook.com/photo.php?fbid=10206809913231023&id=1371675952&set=a.4454305320370.2152198.1371675952&source=57

160526ヘイトスピーチ対策法が成立 「表現の自由」「罰則」国会議員も悩んだ

ヘイトスピーチ対策法が成立 「表現の自由」「罰則」国会議員も悩んだ

http://m.huffpost.com/jp/entry/10117236?

民族差別などを街頭であおるヘイトスピーチの対策法(ヘイトスピーチ解消法)案が、5月24日の衆院本会議で、自民、民進などの賛成多数で可決、成立した。

「不当な差別的言動は許されないことを宣言」し、人権教育や啓発活動を通じて解消に取り組むと定めた理念法で、罰則はない。差別的言動の解消に向け、国や地域社会が、教育や啓発広報、相談窓口の設置など「地域の実情に応じた施策を講ずる」よう定めている。



記者会見した(左から)仁比聡平氏、有田芳生氏、西田昌司氏、矢倉克夫氏

2015年5月に野党が参院に提出した「人種差別撤廃施策推進法案」から、2016年4月の与党対案まで、在日コリアンが多く住む川崎市桜本地区の視察などを通じ、約1年にわたって議論を続けてきた参院法務委員会の与野党の国会議員4人が24日、法案成立を受けて揃って記者会見した。

西田昌司議員(自民)は、「ご不満の方もおありと思うが、日本国憲法下で、表現の自由という最大の守るべき人権の価値をしっかり担保した上で、ヘイトスピーチを根絶させるというバランスを考えると、最善の法案ができた」と評価し、「ヘイトスピーチをする方は、ただちに国会が許さない(という意志を示した)。ヘイトスピーチするなどという考えは、直ちに捨てて頂きたい」と述べた。矢倉克夫議員(公明)も「まずはヘイトスピーチ、恐怖にかられている方々にしっかり国の意志を示すことを早急にやらなければいけない」と評価した。

有田芳生議員(民進)は、「適法に居住する」「本邦外出身者」という定義が含まれたという与党案を受け入れ賛成した経緯について「現場で体を張って戦ってきた人たちと被害者、長年にわたって取り組んできた研究者の判断が基本に置かれなければならない。もっとできなかったのかという思いもあるが、現場で戦った人たち、研究者やNGO、そして当事者の思い、それを魂として今回の法に入れていくことだ」と課題を示した。

「ヘイトスピーチ根絶に向かう立法府の意志が示された」と述べたのは仁比聡平議員(共産)。「在日一世の、戦前戦後ずっと苦労を重ねてきたハルモニ(おばあさん)に『日本から出て行け』というヘイトは、人生まるごとの否定。そうした皆さんに罵詈雑言を浴びせて日本社会から排除しようとする。ニタニタ笑うのを警察が守っている。そうした事態が、これまで多くの痛みと戦いともに積み重ねてきた共生そのものを否定することが明らか。その根絶に私たちが何が出来るかが焦点だった」と、法案に賛成した背景を述べた。

■今後何が変わるのか?



記者会見では、法律に禁止規定や罰則がないことで、どう実効性を持たせるのか、何が変わるのかといった質問も相次いだ。

西田氏は、自治体や警察などが法の趣旨を踏まえた上で、ヘイトデモに「厳正に対処して、事実上封じ込める。そういう行政権を行使して頂きたい。訴訟になることも考えられるが、裁判の場で、ヘイトスピーチは許さないという趣旨のもとに、正しい判断をして頂ければ、行政がヘイトスピーチを封じ込める行為が違法とはならず、その結果ヘイトスピーチは事実上日本からはできなくなる」と期待した。

具体的には「たとえば道路でヘイトスピーチの集会をしようとして警察の指示に従わなかったら道交法違反、抗議をしたら公務執行妨害。大きな音が騒音防止条例。そうして現実に押さえ込んでいけるのではないか」と述べた。

有田氏は「公園管理部署も困っている。本当は(ヘイトデモを)認めたくないが、決まりだから認めざるをえない。この法律ができて、そういう集会やデモはだめなんだと毅然と対応できればいいが、もしヘイトスピーチをやったら次はもう貸さないという条件をつけることはできる。あるいはデモが桜本(川崎市の在日コリアンが多く住む地区)の近くを通ろうとするなら、そのコースを認めないという指針となる」「裁判になっても、法律に基づいて受けて立つという覚悟を各自治体にとっていただくための精神的よりどころとして、大いに使って頂ける」

また各地でヘイトスピーチ対策条例の制定が議論されていることを指摘し「デモの現場で、警察が差別主義者を守っているという警備のあり方ではいけない。警察庁は近く通達を出す。法務省は、ネットの差別言動の削除がYouTubeがなかなか難しいといった問題に、強い態度で出て行く準備もしている」と紹介した。

■悩んだ「表現の自由」との兼ね合い


2013年5月19日、東京・新大久保のデモ

禁止規定を盛り込まなかった理由について、与党側の議員からは、表現の自由との兼ね合いを指摘する発言もあった。

西田氏は「もしも禁止すると、禁止すべきものを定義した段階で、定義から外れる境界線を求めるようなヘイトスピーチが予想される。理念法にすることで全体の文脈の中でヘイトスピーチをとらえ、ダメだという形に持って行く。また、禁止規定を設けると、行政が何もしないことは違法状態の放置になるため、罰則をつけるべきかという議論になりかねない。それが逆に表現の自由を制約することになっていく」「禁止規定は、他の法律で同じようなことが作れるということになりかねない。それが戦前の治安維持法ではないけれど、そういうことに道を開くことになってもいけない」と懸念を示した。

矢倉氏も「表現内容というものが禁止されるかどうかの力を公権力が持つかどうかは、HSといえないようなものまで将来的な規制がかかりうる余地がある」とした上で「ある一定の行為を公権力で押さえつけることで解決できる話ではない。ヘイトスピーチを許さない社会を国民全般の不断の努力で作っていくという、長い長い戦いがさらに必要だ。むしろ理念法として、あらゆる施策を使っていこうと訴えることが実効性としてはいい」と説明した。


2016年5月22日日曜日

160522カーチス・ルメイが世界に誇る<日本焦土化作戦>


カーチス・ルメイが世界に誇る<日本焦土化作戦>


http://kabukachan.exblog.jp/22478581/

1942年
●4月18日:【初の本土空襲(ドーリットル空襲)】(死者50人 )米軍が、東京の約800km東に停泊した空母から発艦のジミー・ドーリットル中佐率いるB25爆撃機16機が東京市、川崎市、横須賀市、名古屋市、四日市市、神戸市を奇襲攻撃。被害家屋262戸。 初の日本本土空襲。
1944年
●6月15日:【八幡空襲】 米軍のB-29爆撃機が初めて北九州を空襲。中国・成都基地から北九州の八幡製鉄所へ飛来・爆撃した。
●8月:疎開船「対馬丸」が撃沈された(死者1500名)。8月22日は、昭和19(1944)年に、沖縄からの疎開船「対馬丸」が、悪石島付近で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて学童700名を含む1500名が海没した日です。

●10月10日:【十・十空襲(那覇空襲)】(死傷者約800人) 米海軍機のべ900機(日本側発表500機)が沖縄県全域に対しての空襲。米軍が焼夷弾を初めて戦闘に使用した。那覇市では市街地の9割が焼失して市は壊滅した。本土初の本格的都市空襲。
●10月25日:【大村大空襲】(死者約500人) 東亜最大規模と言われた第21海軍航空廠があった長崎県大村市を空襲。
●11月24日:【東京空襲】 東京・武蔵野町(現=武蔵野市)の中島飛行機工場に対する空襲が行われた。
1945年
●1月27日:【東京空襲】(死者449人) 米軍のB29爆撃機72機が東京・有楽町、銀座地区を空襲。 




●3月10日:【東京大空襲】(死者約10万人) カーチス・ルメイの指揮する米軍のB29爆撃機325機が東京を空襲。 午前0時7分東京湾上すれすれの低空から江東地域の爆撃が開始され、午前0時20分には浅草地区でも爆撃が開始された。まず人口密集地帯の周囲を火の壁で包囲し、逃げ道を失った人びとの頭上に、連続波状攻撃をかけた。 投下された爆弾は高性能焼夷弾など約38万発、総計約1,700トンであった。 5、6時間で26万戸の家屋が焼失し、死者約10万人、重軽傷者約11万人、罹災者の数は89万人にのぼりその多くが非戦闘員だった。
世界戦史上、わずか数時間で10万人が戦死したという記録は他にない。

これ☟ 何の表彰状かわかりますか?

https://www.youtube.com/watch?v=tXzyusfuFTo

https://www.youtube.com/watch?v=MKIeqsdWC1U&ebc=ANyPxKp2oUIPQ5KhGOza-1ItWJBJJdbwLMfN6GWhJ_9J55dV0xkvskJIi2iAniHAe4frzuhtnfo50aNHIirrSo0LUPyYzFV8Ug

https://www.youtube.com/watch?v=v4MIxvFU654

https://www.youtube.com/watch?v=M-vresuzSgU

https://www.youtube.com/watch?v=WQGfKlciL0o

https://www.youtube.com/watch?v=fY29PFmb_Dk

https://www.youtube.com/watch?v=lKnnVF3h6sE

★東京大空襲(日時1945年3月10日)・世界史上最大の日本人大虐殺

http://kabukachan.exblog.jp/19630838/


焼け野原の東京


●3月12日:【名古屋大空襲】(死者約602人) 米軍のB29爆撃機288機が名古屋を空襲。全焼約3万戸。
●3月13日~14日:【大阪大空襲】(死者約4,000人) 米軍のB29爆撃機274機が大阪を空襲。 焼失約13万戸。
●3月17日:【神戸大空襲】(死者約2600人) 米軍のB29爆撃機309機が神戸を空襲。 全焼6万5千戸、罹災者23万6千人。
●3月19日:【名古屋空襲】(死者1037人) 午前2時頃、米軍の爆撃機230機が名古屋市の市街地を空襲。 家屋約4万棟が焼失し、中区、中村区、東区などの市中心部は焼け野原となった。 罹災者約15万人。
4月8日 玉野空襲
4月12日 郡山空襲

●4月13日:【城北大空襲】 (死者2459人) 米軍のB29爆撃機330機が東京の主として豊島・渋谷・向島・深川方面を空襲。、焼失20万戸。
●4月15日:【東京空襲】(死者841人) 米軍のB29爆撃機202機が東京の主として大森・荏原方面を空襲。 焼失6万8400戸。
●4月15日:【川崎大空襲】(死者約1000人) 夜半から16日未明にかけ米軍のB29爆撃機約200機が川崎を空襲。 川崎駅周辺や臨海部の工業地帯、川崎大師などに大きな被害が出で川崎区の大半が焼失した。
●5月10日 【徳山大空襲】(死者500人以上) 第三海軍燃料廠を狙った空襲。B29・117機。負傷者約1000人。  

●5月11日:【神戸空襲】(死者1093人)
米軍のB29爆撃機92機が神戸を空襲。
●5月14日:【名古屋空襲】 米軍のB29爆撃機480機が名古屋を空襲。名古屋城が焼失した。  
●5月24日:【東京空襲】(死者762名) 米軍のB29爆撃機525機が東京の主として麹町・麻布・牛込・本郷方面を空襲。 。焼失6万5000戸。
●5月25日:【東京空襲】 (死者3651人) 米軍のB29爆撃機470機が東京の主として中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・世田谷方面を空襲。焼失16万6千戸。
●5月29日:【横浜大空襲】(死者約1万人) 米軍のB29爆撃機約500機、P51約500機が横浜市中心地域に2,570トンの爆弾を投下し、ほぼ全域が焼失した。特に被害が甚大だったのは、現在の神奈川区反町、保土ヶ谷区星川町、南区真金町地区一帯。 、罹災者32万3,000人、全焼家屋約3万戸。
原爆投下目標だったため空襲をまぬがれていたが、28日に除外された。
●5月31日:【台北大空襲】(死者約3,000人) 台北市を空襲。
●6月1日【大阪大空襲】(死者3150名) B29・474機。焼失6万戸
●6月1日 【尼崎空襲 】(死者231人)【奈良空襲】
●6月5日:【神戸空襲】(死者3184人) 米軍のB29爆撃機481機が神戸を空襲。 、全焼5万5千戸、罹災人口21万3000人。

●6月7日:【大阪空襲】(死者1594人) 米空軍のB29爆撃機250機が大阪を空襲。 焼失5万6千戸。
●6月9日:【熱田空襲】(死者約2068人) 米軍のB29爆撃機47機が愛知県の熱田を空襲。
●6月10日 【日立空襲】 (死者1200人)
●6月10日:【千葉空襲】(死者152人) 米軍のB29爆撃機約100機が千葉を空襲。
●6月15日:【大阪空襲】(死者418人) 米軍のB29爆撃機469機がを空襲。 、焼失4万9千戸。
●6月17日 【鹿児島大空襲】(死者2,316人) B29・117機、焼夷弾810トン。負傷者5,000人以上、家屋被災約11,600戸。
●6月18日:【浜松空襲】(死者1720人)焼失家屋15,400戸。
●6月18日 【四日市空襲】(死者736人) B29・89機。負傷者1500名、行方不明63人、被災者47,153名、焼失家屋11,390戸。
●6月19日:【福岡大空襲】(死者約902人) 米軍のB29爆撃機239機が福岡を空襲。 罹災者約6万人。

●6月19-20日 【豊橋空襲】(死者624人) B29・136機。
●6月20日【静岡大空襲】(死者1,952人) 深夜から20日未明にかけて米軍のB29爆撃機137機が旧静岡市街地を空襲。 負傷者5,000人、焼失家屋26,891戸。
●6月21日:【名古屋空襲】( 死者426人 )米軍のB29爆撃機120機が名古屋を空襲。
●6月22日 【姫路空襲】(死者341人)川西航空機姫路製作所とその周辺。 B29・約60機、罹災者10220人。
●6月22日 【水島(現倉敷市)空襲】( 死者11人)重軽傷者46人。
●6月22日 【各務原空襲】(死者169人)現航空自衛隊岐阜基地付近。B29・44機。

●6月22日 【呉空襲】(死者1600人) 工廠への爆撃。
●6月26日 【奈良空襲】
●6月26日:【大阪空襲】(死者592人) 米軍のB29爆撃機約100機が大阪を空襲。 焼失約9千戸。
●6月28日 【呉大空襲】
●6月29日:【佐世保大空襲】(死者約1,300人) 米軍のB29爆撃機141機が佐世保を空襲。雨の深夜に不意を突かれた。 罹災者約6万5,000人。
●6月29日:【岡山空襲】( 死者1737人) 米軍のB29爆撃機約70機が岡山を空襲。岡山城や後楽園などの文化財も焼失。罹災者12万人。罹災家屋2万5,000戸。
●7月1-2日 【熊本大空襲】( 死者数469人)午後11時以降の深夜から空襲、B29 154機(米軍資料):60機(日本軍部発表)市街地の約20%を焼失。、負傷者数552人、罹災家屋総数11,000戸、罹災者数43,000人。
●7月1日-2日 【呉市空襲】(死者3,700人) B29・150機。
●7月2日 【下関空襲】 (死者324人)B29・143機。。罹災人口38,700人。罹災家屋8,600戸。6月29日に続く2度目の空襲。

●7月3日:【姫路大空襲】(死者173人) 深夜から4日未明にかけ、米軍のB29爆撃機107機が野里方面を除く姫路全市を空襲。市街地の大半が焼け野原に。姫路城は焼失を免れた。
●7月4日:【高松空襲】( 死者1359人) 米軍のB29爆撃機90機が高松を空襲。罹災家屋18,913戸、罹災者8万6400人。
●7月4日 【徳島大空襲】(死者約1,000人) B29・129機。けが人は約2,000人、被災者約70,000人。徳島市(当時)の62%が焦土と化した。
●7月4日 【高知大空襲】(死者401人) B29・120機。罹災家屋約12,000戸。
●7月6日:【千葉空襲】(死傷者1679人) 米軍のB29爆撃機124機が千葉を空襲。
●7月6日:【甲府空襲】(死者1027人) 米軍のB29爆撃機131機が甲府を空襲。 全焼1万7920戸。
●7月7日 【清水大空襲】(現在の静岡市清水区) 
●7月9日:【和歌山大空襲】(死者約1200人)
夜から10日未明にかけて米軍のB29約100機が和歌山の紀ノ川北岸から和歌山市中心部にかけてを空襲。 和歌山城が炎上、国宝の天守閣をはじめとする多数の国宝や建築物が焼失した。

●7月9日:【堺空襲】(死者1860人) 米軍のB29爆撃機約100機が堺を空襲。 焼失1万8000戸。
●7月9日:【岐阜空襲】(死者約900人)
米軍のB29爆撃機約130機が岐阜を空襲。
●7月10日:【仙台空襲】(死者約1,000人) 米軍のB29爆撃機124機が午前0時3分より約2時間にわたって仙台を空襲し、約11万個の焼夷弾を投下した。 市街地の17%にあたる5平方キロメートルで約1万2000戸が被災し中心部は焦土と化した。 被災者約6万人。  
●7月12日:【宇都宮大空襲】(死者628人) 午後11時12分、米軍のB29爆撃機133機が宇都宮市を空襲、市街地の大半が焼失した。隣接の鹿沼市にも空襲。 罹災者約4万8000人。  
●7月12日:【敦賀空襲】(死者109人)
●7月14日 釜石艦砲射撃。一回目。(少なくとも死者515人)
7月14-15日 北海道空襲 米機動部隊艦載機約2,000機による空襲。被害は北海道全土と青森県に及んだ。青函連絡船全12隻も被害に遭い、青函航路が途絶した。
●7月15日 室蘭艦砲射撃。(死者436人)室蘭は前日にも空襲を受けたばかりだった。

●7月16日:【大分空襲】 夜半から17日にかけて米軍のB29爆撃機30数機が大分市の中心部を空襲。 2358戸が焼失。
●7月16日:【平塚大空襲】(死者343名)
米軍のB29爆撃機136機が平塚を空襲。市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失。
●7月17日:【沼津空襲】 (死者274人)
●7月17日:【桑名空襲】(死者416人、行方不明者51人) 未明、米軍のB29爆撃機が三重県・桑名を空襲。市内の約80%が焼失。
24日、午前10時頃からの攻撃で市内西北部一帯が粉砕された。
●7月17日 日立艦砲射撃。(死者317人)アメリカの戦艦5隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦9隻とイギリスの戦艦3隻によるもの。

●7月19日:【福井空襲】(死者1576人)
米軍のB29爆撃機128機が福井を空襲。
●7月19日:【日立空襲】(死傷者2199人)
米軍のB29爆撃機127機が日立を空襲。
●7月19日:【銚子空襲】(死傷者1181人)
米軍のB29爆撃機91機が銚子を空襲。
●7月19-20日 【岡崎空襲】(死者203人) B29・126機。
●7月24日 【半田空襲】(死者269人) B29・78機。中島飛行機半田製作所を標的とした攻撃。
●7月24日、28日 【津大空襲】 (死者1,239人)旧市街の全域、及び、橋北地区の工場地帯が焼失。
●7月24日、28日 【呉軍港空襲】(死者780人) 米艦載機950機、B29・110機。航空母艦3 巡洋艦5が大破沈没 。
●7月24日:【大阪空襲】(死者187人)
米軍のB29爆撃機約400機を含む大小2,000機が大阪を空襲。 焼失554戸。 

●7月25日【保戸島空襲】(児童125人、教師2人が即死)
米軍グラマン戦闘機が大分県津久見市保戸島を空襲。 3発のうちの1発が授業中だった保戸島国民学校(現=津久見市立保戸島小学校)を直撃し、児童125人、教師2人が即死。
●7月26日 【松山大空襲 】(死者301人)B29・128機による午後11時から2時間10分に及ぶ夜間空襲。死者・行方不明259人、負傷者把握不可の大惨事となった。全戸数の55%である14,300戸を焼失。全人口の53%の62,200人が罹災し、市のシンボルである松山城へも焼夷弾攻撃を受けたが、大天守は焼失を免れる。米軍機の損失はなかった(「アメリカ軍松山爆撃報告書」による)。なお、松山地方裁判所検事正からの7月30日付の報告書には、死者301名、重軽傷者520名、行方不明12名、罹災民約82,000名と記されている。
7月26日 平空襲

●7月26日 【徳山空襲】(死者482人) B29・約100機。負傷者469人。市街地の90%を焼失。5月10日の空襲と合わせて旧徳山市街地は壊滅した。
7月27日 2度目の鹿児島空襲。昼12時45分頃、3梯団からなるB29の爆撃を受けた。

●7月28日:【青森大空襲】(死傷者1767人) 米軍のB29爆撃機61機が青森を空襲。午後10時37分に焼夷弾の投下を始め午後11時48分まで8万3000本の焼夷弾が降り注いだ。従来型に黄燐を入れ威力を高めた新型焼夷弾の実験場にされた。 市街地の88%の1万8,000戸が焼失。 東北地方では最大の被害。
●7月28日-29日。2回目の【 一宮空襲】(死者727人)午後10時頃、B29約260機が愛知県 一宮市上空に侵入し、油脂焼夷弾の波状攻撃を行った。2回に及ぶ空襲で市街地面積の80%が灰燼に帰し、罹災戸数は全市戸数の83%にあたる10,468戸、罹災者は全市人口の71%にあたる41,027名、内死者727名、負傷者4,187名に達した。

●7月29日 【浜松艦砲射撃】(死者177人)周辺の被害も含む。
●7月29日:【大垣空襲】(死者50人) 米軍のB29爆撃機が岐阜県大垣市を空襲。罹災者約30,000人 市街地の大半は焼失し、国宝大垣城、開闡寺(大垣別院)なども焼失した。 全半壊家屋約4,900戸。
大垣市は工場が多かった計6回空襲を受けた。
●8月1日:【水戸空襲】(死傷者1535人)
米軍のB29爆撃機99機が水戸を空襲。
●8月1日:【八王子空襲】(死者400人余り) 2日未明にかけて米軍のB29爆撃機169機が八王子を空襲。落とされた焼夷弾は数十万発、1600tにも及んだという。市街地の80%が焼失。  
●8月1日:【長岡空襲】(死者1470人余り) 米軍のB29爆撃機125機が長岡を空襲。 焼失11,986戸。
●8月2日:【富山大空襲】(死者2737人) 米軍のB29爆撃機170機が富山を空襲。市街地のほとんどの約2万5000戸が焼失。 罹災者約11万人。
原爆以外では地方都市として最大の被害。
なお、8月1日から翌2日未明にかけて行われた水戸・八王子・長岡・富山に対する一斉空襲は、司令官カーチス・ルメイが自身の昇進と陸軍航空隊発足記念日を祝う目的で一斉に行われた戦略上特に意味のない作戦で、1日の弾薬使用量がノルマンディー上陸作戦を上回るように計算されていた。
●8月5日:【前橋・高崎空襲】(死傷者1323人) 米軍のB29爆撃機92機が前橋・高崎を空襲。
●8月6日:【広島原爆】 (死者14万人)ウラン型原子爆弾投下。 

★ユダヤ米国 の <三大日本人虐殺>

●8月7日:【豊川海軍工廠空襲】(死者2477人)
●8月8日:【福山大空襲】( 死者354人)米軍のB29爆撃機91機が福山を空襲。 市民の82%にあたる約4万7000人が被災した。 焼失家屋数約1万戸。
●8月8日 【八幡大空襲】(死者2952人)B29・127機。焼失家屋数14,380戸。 
●8月9日:【長崎原爆】 (死者7万人)プルトニウム型原子爆弾投下。 

原子爆弾(ウラン型とプルトニウム型)製造競争

●8月10日:【花巻空襲】【熊本空襲】
●8月11日:【久留米空襲】 (死者212人)焼失家屋4506戸。
●8月14日~15日:【最後の空襲】 無条件降伏を決定した8月14日から翌15日未明にかけて米軍は日本の都市に対して「最後の空爆」を敢行した。7市にわたり、少なくとも2,300人が死亡した。
●【大阪大空襲】(死者は500人から600人)
:14日早朝、米軍のB29爆撃機145機が大阪市を空襲。
●【土崎空襲】(死者250人以上):米軍のB-29爆撃機100機以上が秋田市土崎を空襲。 日本で唯一無傷の石油精製工場であった土崎港〔つちざきみなと〕の日本石油秋田製油所(現=新日本石油加工秋田事業所)の破壊を目的としたもの。
●【小田原空襲】(死者約50人):米軍のB-29爆撃機が神奈川県小田原市を空襲。高梨町、青物町、宮小路、一丁田など、焼失家屋約400戸、罹災者1500人以上。  
●【熊谷空襲】(死者266人):14日深夜、米軍のB29爆撃機約80機が埼玉県熊谷市を空襲、市街地の7割を焼失した。。

●【伊勢崎空襲】(死者29人):米軍のB29爆撃機84機が群馬県伊勢崎〔いせさき〕市とその周辺地域を空襲。市街地の約40%が焼失。焼失家屋約2000戸。
●【岩国大空襲】
●【山口県光市光海軍工廠空襲】 

https://www.youtube.com/watch?v=7QQzmAQ7wEc&list=PL9EWxmPflX-pfl7CGtvZ-aUiXBfe1PcOp

https://www.youtube.com/watch?v=a6R1so_HmFQ