2016年9月22日木曜日

151215 刻む2015(1)シールズを追って 絶望の先に見た希望

刻む2015(1)シールズを追って 絶望の先に見た希望
【記者の視点】デジタル編集部・田崎 基
公開:2015/12/15 09:51 更新:2016/09/16 23:54
神奈川新聞


http://www.kanaloco.jp/sp/article/140314/1/

2015年9月19日午前3時ごろの国会前。安保法制が成立した後も抗議の声は続いた

 一回り以上も年の離れた若者たちの言葉に、私はいつだって身につまされてきた。

 この夏、安全保障関連法案をめぐる反対運動のうねりの中心にいた学生団体「SEALDs」(シールズ、自由と民主主義のための緊急行動)。その言葉とは、例えば、法律が成立した9月19日未明、国会前でマイクを握り続けた中心メンバー、奥田愛基さん(23)=明治学院大4年=の叫びだ。

 「言いたいのは二つ。こんな憲法違反な法案は廃案しかないってこと。主権在民って言葉を信じられるなら、もう一度何かができる。諦めてねーぞ」

 冷たい雨が落ちていた。不思議と体は火照っていた。「諦めない」と小声で反芻(はんすう)しながら、胸の内奥でうずみ火がともり続けているのを私は感じていた。

2015年9月18日夜、国会前で声を上げる奥田愛基さん(中央右)。日付が変わり19日未明に安保法制は成立した=国会前


 それから3カ月。寒風吹く師走の休日、12月6日、日比谷野外音楽堂(東京都千代田区)で開かれた集会でも、同じだった。

 壇上で二十歳の女子大生がマイクを握っていた。横浜在住、明治学院大1年のくるみさん。聴衆を見渡し、語り掛けた。

 「本当の絶望は、私たちが声を上げなくなったときにやってきます。そうであるなら、ここから私が見ている光景は希望そのものでしょう」

「民主主義は止まらない。それを望む人たちがいる限り」と書かれた横断幕を手に東京・銀座の街を歩くデモ参加者=2015年12月6日、東京都中央区


 心が勇み立ち、ぶるっと体が震える。時になえそうになる気持ちをそうして奮い立たせるため、その場に足を運んでいるのかもしれない、と思った。そうしてこの日もパソコンから原稿と写真と動画を送った。

人 質

 ちょうど1年前の2014年12月14日、深夜の編集局で私は徒労感に深いため息をついていた。NHKテレビの開票速報が自民、公明両党の圧勝を伝えていた。与党で衆院の議席の3分の2超を獲得する勢いだという。

 唐突に、しかし、したたかな計算の上に仕掛けられた師走の解散総選挙。安倍政権が振った旗は「アベノミクス」だった。

 経済の入門書を手にエコノミストの講演会へ出かけた。知るほどにアベノミクスの怪しさが浮かび上がってきた。正面から安倍政権の経済政策に否定的な論陣を張るべきだと思った。記事では「アベノミクスに成果はない。これ以上できることもない。物価は上がり、賃金は上がらず、家計は圧迫され続ける」と書いた。

 選挙結果を目の当たりにし、政権の狡猾(こうかつ)さを思い知らされる。政治が経済を人質に取っている、と言ったのは、県内の1部上場企業の幹部だった。

 「まるで恫喝(どうかつ)だ。いま安倍政権を倒せば、カンフル剤のような『異次元の金融緩和』が遮断され、日本経済は一瞬にして崩れる。安倍政権は意図して後戻りのできない経済施策を打ち、大企業から選択肢を奪い、政権を維持している。『この道しかない』と」

 そして年が明けると、ほとんど経済施策が語られることはなかった。私たちがしつこく問い続けることもなかった。

連 敗

 再び「経済」の御(み)旗(はた)が持ち出されたのは安保関連法成立から5日後の9月24日だった。「アベノミクスの第2ステージ」だといい、「新三本の矢」だという。「1億総活躍」「GDP600兆円」と大仰な言葉も並び立てられた。

 言葉の軽薄さに憤り、嘆き、落胆した。それはアベノミクスに固執し、しかし、本質的で有効な批判を加え切れなかったことへのいら立ちの裏返しといえた。

 再び踊らされるのか。安保法案の審議中は低落傾向だった安倍内閣の支持率はすでに底を打ち、いま持ち直しに向かっている。またしても経済を人質にして。そうであるなら、景気が上向かない方が政権にとっては好都合ではないか、と暗然とした気持ちになる。消費増税の軽減税率をめぐる与党合意が来夏の参院選をにらんでのものであることは明らかだ。

 治安維持法になぞらえられる特定秘密保護法、憲法9条を骨抜きにする集団的自衛権の行使容認、米国の戦争に加わることへの道を開く安保関連法と、安倍政権は着実に歩を進める。神奈川新聞だけでなく、朝日新聞や毎日新聞、東京新聞と、リベラルを自認し、現政権に批判的なメディアは負け続けだ。

 いや、そもそも戦っているか、と自問する。結果次第で憲法改正が現実味を帯びてくる。それは権力の側が望む改正だ。その危機感がどれだけ私たちにあるだろうかと、わが胸のうちをのぞき込む。


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