【自主避難者から住まいを奪うな】追い詰められる原発避難者。「避難は権利。切り捨てるな!」。住宅の無償提供打ち切り撤回求め福島市内をデモ行進
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原発事故による〝自主避難者〟への住宅無償提供が来年3月末で打ち切られようとしている問題で、全国の避難者や支援者が4日、福島県福島市に集まり、打ち切り撤回を求めて福島駅周辺をデモ行進した。これまで何度も避難者が打ち切り撤回を求めて来たが、福島県の内堀雅雄知事は撤回どころか避難者との直接対話にすら応じていない。打ち切り強行まで3カ月余。ともすればくじけそうになりながら、避難者たちは拳を振り上げ、声をあげ続ける。原発事故さえ無ければ、避難の必要など無かったからだ。決してわがままでは無い。
【「全ての人に避難の権利ある」】
「避難者の住まいを奪うな!」
日曜日午後の福島市内に、原発事故で〝自主避難〟した人々のシュプレヒコールが響いた。
パンクバンド「切腹ピストルズ」の和楽器やコールに導かれるように、参加した〝自主避難者〟たちは拳を振り上げた。
阿武隈川沿いの福島県教育会館を出発し、福島テルサや福島稲荷神社の前を通って福島駅方面へ。大きな太鼓の音やシュプレヒコールに、店舗の従業員が顔を出し、民家の住人が何事かと窓からデモ行進を見守った。車の中から笑いながら指をさす人もいた。中合デパートから福島県庁まで歩いて解散。冷めた反応が目立つ中、当事者と支援者たちは「被害者を切り捨てるな」などと約1時間にわたって訴えた。
「すべての人に避難の権利がある」
デモ行進に先立ち、県教育会館で開かれた集会で、中手聖一さん(福島市から北海道)は話した。
福島市渡利地区で暮らしていた中手さんには当時、小学3年生と保育園児の2人の息子がいた。2011年3月末には妻子を西日本に逃がしたが「当然、福島市にも避難指示が出るだろうと思っていた。いや、出ないとおかしいと考えていた。しかし、政府が住民を避難させないからやむを得ず避難した。そして、年20mSvで線引きをされ〝自主避難者〟と呼ばれるようになった」と怒りを込めて振り返る。「2011年の6月には、皆で〝自主避難〟をしようと呼びかける運動を展開した。多くの人が泣きながら相談の電話をかけてきた」。
国と福島県による打ち切り強行まで4カ月を切った。「避難者をじわりじわりと追い込んで、ついに打ち切りが目の前まで来た。不本意ながら福島に戻る事を決めた友人もいる。本当に悔しい」と語った中手さん。「一口に〝自主避難者〟と言っても、福島県以外からの避難者もいる。初めから住宅支援すら受けられていない人もいる。何の抵抗もせずに見過ごしてしまっては、避難の権利が無いものにされてしまう。これは皆の問題です」と呼びかけた。
(上)福島市内で行われた〝自主避難者〟たちのデモ行進。来年3月末に迫った住宅の無償提供打ち切りに抗議し、「住まいを奪うな」などと訴えた
(下)拳を振り上げて訴える〝自主避難者〟たち。当事者がここまでしても、内堀知事は耳を貸さない
【自民県議の一喝「勝手に逃げた」】
松本徳子さん(郡山市から神奈川県)は11月28日から5日間、冷たい風雨の中、午前7時すぎから福島県庁前に仲間と共に立った。出勤してくる県庁職員に「住宅の無償提供延長を」、「内堀知事は避難者の声をきけ」などと訴えた。生活拠点課などの県庁職員から〝監視〟や〝抵抗〟を受けながら庁舎内で内堀雅雄知事宛ての直訴状を代読した。今月6日から始まる福島県議会に打ち切り撤回を求める請願を提出するため会派めぐりをした時には、第一会派「自由民主党福島県議会議員会」(58人中30人)の幹部から「勝手に逃げた者が何を言うか。請願には賛成出来ない」、「名刺を渡すのももったいない」など酷い仕打ちを受けたという。
「わが子を守るための避難は当然の権利だと思っていたが、わがままで勝手に避難したとしか思われていない」と涙ながらに語った。「勝手に逃げた私たちは、福島にとっては邪魔なのでしょう。私だって本当は帰りたいですよ。でも帰れる状況に無いんです」。一方で「私は自分の選択を間違っているとは思っていないけれど、住宅支援すら受けられていない人も多い。避難したくても出来ず、被曝リスクへの不安を口も出来ずに福島で暮らしている人もいる。そう考えると切なくなる」と複雑な心情も吐露した。政府の線引きが、要らぬ葛藤を生んだ。
南相馬市から京都府に避難している福島敦子さんは「臆せず進みましょう。私は退去しません。出て行かない。私たちがすごすごと福島県に戻ってしまったら、子どもたちの保養の権利すらないがしろにされてしまう」と訴えた。鴨下祐也さん(いわき市から東京都)も「最大の危機。長期無償提供の要求は無視され、打ち切られようとしている。打ち切りは避難生活の破壊だ。内堀知事には打ち切り撤回を要求し続ける」と語気を強めた。
(上)「すべての人に避難の権利がある」と語った中手さん。避難先の札幌市内で仲間たちの窮状を目の当たりにしてきた
(下)多くの支援者も駆け付けた集会。打ち切り撤回を求める集会アピールを採択した=福島県教育会館
【米沢市長の要望も拒否】
〝自主避難者〟に対する住宅無償提供の打ち切りは、福島県の内堀雅雄知事が決定し、安倍晋三首相が同意して決まった。当の内堀知事は、戸別訪問でどれだけ避難者が無償提供継続を訴えても、今回のように県庁に避難者が詰めかけても、頑として決定を覆していない。11月28日の定例会見では、廊下から避難者たちの怒声が聞こえていたが面会を否定。直訴状を振りかざす避難者たちを一瞥もせずに足早に去った。地元紙もほとんど報じない。松本さんが「私たち避難者は邪魔なのだろう」と考えてしまうのも無理も無い。
11月30日には、山形県米沢市の中川勝市長が住宅の無償提供延長を求めて福島県を訪れたが、内堀知事は対応せず、避難地域復興局の成田良洋局長が打ち切りに「理解」を求めた。8月の三県知事会議では山形県の吉村美栄子知事が「特段の配慮」を内堀知事に求めたが、回答すら無かった。避難者を受け入れている自治体の首長が頭を下げても、打ち切りを強行しようとしている。
福島市から米沢市に避難している武田徹さんは「福島県知事の態度は失礼千万だ」と怒る。「自ら福島県に出向いて住宅の無償提供延長を求めた首長は、全国にも中川市長しかいない。内堀知事が全国を行脚して首長に礼を言い、避難者を励ますのが本来の姿だ」と語った。山形県内の複数の議会から打ち切り反対の意見書が福島県に提出されているが、これも無視しようとしている。
内堀知事が再三、口にしている避難者への戸別訪問に関しては、避難の協同センター事務局長の瀬戸大作さんが集会で「東京都住宅供給公社の担当者が、避難者に対し『都営住宅は避難者の住宅では無い。甘えるんじゃない。民間賃貸住宅でも借りれば良いんだ。退去しなければ告訴するぞ』などと暴力的な訪問をしている」と実態報告した。避難者との直接対話を徹底して避ける内堀知事は、このような〝避難者いじめ〟はご存じあるまい。だからこそ、避難者たちは冷たい視線を浴びながらデモ行進をしなければならないのだ。
(了)
【「全ての人に避難の権利ある」】
「避難者の住まいを奪うな!」
日曜日午後の福島市内に、原発事故で〝自主避難〟した人々のシュプレヒコールが響いた。
パンクバンド「切腹ピストルズ」の和楽器やコールに導かれるように、参加した〝自主避難者〟たちは拳を振り上げた。
阿武隈川沿いの福島県教育会館を出発し、福島テルサや福島稲荷神社の前を通って福島駅方面へ。大きな太鼓の音やシュプレヒコールに、店舗の従業員が顔を出し、民家の住人が何事かと窓からデモ行進を見守った。車の中から笑いながら指をさす人もいた。中合デパートから福島県庁まで歩いて解散。冷めた反応が目立つ中、当事者と支援者たちは「被害者を切り捨てるな」などと約1時間にわたって訴えた。
「すべての人に避難の権利がある」
デモ行進に先立ち、県教育会館で開かれた集会で、中手聖一さん(福島市から北海道)は話した。
福島市渡利地区で暮らしていた中手さんには当時、小学3年生と保育園児の2人の息子がいた。2011年3月末には妻子を西日本に逃がしたが「当然、福島市にも避難指示が出るだろうと思っていた。いや、出ないとおかしいと考えていた。しかし、政府が住民を避難させないからやむを得ず避難した。そして、年20mSvで線引きをされ〝自主避難者〟と呼ばれるようになった」と怒りを込めて振り返る。「2011年の6月には、皆で〝自主避難〟をしようと呼びかける運動を展開した。多くの人が泣きながら相談の電話をかけてきた」。
国と福島県による打ち切り強行まで4カ月を切った。「避難者をじわりじわりと追い込んで、ついに打ち切りが目の前まで来た。不本意ながら福島に戻る事を決めた友人もいる。本当に悔しい」と語った中手さん。「一口に〝自主避難者〟と言っても、福島県以外からの避難者もいる。初めから住宅支援すら受けられていない人もいる。何の抵抗もせずに見過ごしてしまっては、避難の権利が無いものにされてしまう。これは皆の問題です」と呼びかけた。
(上)福島市内で行われた〝自主避難者〟たちのデモ行進。来年3月末に迫った住宅の無償提供打ち切りに抗議し、「住まいを奪うな」などと訴えた
(下)拳を振り上げて訴える〝自主避難者〟たち。当事者がここまでしても、内堀知事は耳を貸さない
【自民県議の一喝「勝手に逃げた」】
松本徳子さん(郡山市から神奈川県)は11月28日から5日間、冷たい風雨の中、午前7時すぎから福島県庁前に仲間と共に立った。出勤してくる県庁職員に「住宅の無償提供延長を」、「内堀知事は避難者の声をきけ」などと訴えた。生活拠点課などの県庁職員から〝監視〟や〝抵抗〟を受けながら庁舎内で内堀雅雄知事宛ての直訴状を代読した。今月6日から始まる福島県議会に打ち切り撤回を求める請願を提出するため会派めぐりをした時には、第一会派「自由民主党福島県議会議員会」(58人中30人)の幹部から「勝手に逃げた者が何を言うか。請願には賛成出来ない」、「名刺を渡すのももったいない」など酷い仕打ちを受けたという。
「わが子を守るための避難は当然の権利だと思っていたが、わがままで勝手に避難したとしか思われていない」と涙ながらに語った。「勝手に逃げた私たちは、福島にとっては邪魔なのでしょう。私だって本当は帰りたいですよ。でも帰れる状況に無いんです」。一方で「私は自分の選択を間違っているとは思っていないけれど、住宅支援すら受けられていない人も多い。避難したくても出来ず、被曝リスクへの不安を口も出来ずに福島で暮らしている人もいる。そう考えると切なくなる」と複雑な心情も吐露した。政府の線引きが、要らぬ葛藤を生んだ。
南相馬市から京都府に避難している福島敦子さんは「臆せず進みましょう。私は退去しません。出て行かない。私たちがすごすごと福島県に戻ってしまったら、子どもたちの保養の権利すらないがしろにされてしまう」と訴えた。鴨下祐也さん(いわき市から東京都)も「最大の危機。長期無償提供の要求は無視され、打ち切られようとしている。打ち切りは避難生活の破壊だ。内堀知事には打ち切り撤回を要求し続ける」と語気を強めた。
(上)「すべての人に避難の権利がある」と語った中手さん。避難先の札幌市内で仲間たちの窮状を目の当たりにしてきた
(下)多くの支援者も駆け付けた集会。打ち切り撤回を求める集会アピールを採択した=福島県教育会館
【米沢市長の要望も拒否】
〝自主避難者〟に対する住宅無償提供の打ち切りは、福島県の内堀雅雄知事が決定し、安倍晋三首相が同意して決まった。当の内堀知事は、戸別訪問でどれだけ避難者が無償提供継続を訴えても、今回のように県庁に避難者が詰めかけても、頑として決定を覆していない。11月28日の定例会見では、廊下から避難者たちの怒声が聞こえていたが面会を否定。直訴状を振りかざす避難者たちを一瞥もせずに足早に去った。地元紙もほとんど報じない。松本さんが「私たち避難者は邪魔なのだろう」と考えてしまうのも無理も無い。
11月30日には、山形県米沢市の中川勝市長が住宅の無償提供延長を求めて福島県を訪れたが、内堀知事は対応せず、避難地域復興局の成田良洋局長が打ち切りに「理解」を求めた。8月の三県知事会議では山形県の吉村美栄子知事が「特段の配慮」を内堀知事に求めたが、回答すら無かった。避難者を受け入れている自治体の首長が頭を下げても、打ち切りを強行しようとしている。
福島市から米沢市に避難している武田徹さんは「福島県知事の態度は失礼千万だ」と怒る。「自ら福島県に出向いて住宅の無償提供延長を求めた首長は、全国にも中川市長しかいない。内堀知事が全国を行脚して首長に礼を言い、避難者を励ますのが本来の姿だ」と語った。山形県内の複数の議会から打ち切り反対の意見書が福島県に提出されているが、これも無視しようとしている。
内堀知事が再三、口にしている避難者への戸別訪問に関しては、避難の協同センター事務局長の瀬戸大作さんが集会で「東京都住宅供給公社の担当者が、避難者に対し『都営住宅は避難者の住宅では無い。甘えるんじゃない。民間賃貸住宅でも借りれば良いんだ。退去しなければ告訴するぞ』などと暴力的な訪問をしている」と実態報告した。避難者との直接対話を徹底して避ける内堀知事は、このような〝避難者いじめ〟はご存じあるまい。だからこそ、避難者たちは冷たい視線を浴びながらデモ行進をしなければならないのだ。
(了)
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