2016年4月4日月曜日

160404 朝日新聞連載 新聞と9条

【連載】新聞と9条

 日本は戦後、戦争放棄の憲法9条を柱に平和主義の道を歩んできました。しかし、決して穏やかな道のりではありませんでした。新聞は9条の歩みをどう書いてきたのでしょうか。朝日新聞を中心に敗戦から近年までの報道や論評を連載で振り返ります。

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  • 自衛隊の移駐に反対を訴える女性ら=1972年12月27日、立川基地正門前
  • 自衛隊の移駐に反対し、基地の門前まで押しかけて抗議する立川市の阿部行蔵市長=1972年12月27日、東京都立川市
  • 厳重な警備のなか再開された戦車の輸送=1972年11月9日午前0時50分、横浜市神奈川区
  • 国会で車両制限令の改正を説明する二階堂進官房長官=1972年10月17日、参議院委員会室
  • 排除され、機動隊員の盾でたたき伏せられる女性=1972年9月19日未明、神奈川県相模原市の米陸軍相模補給廠正門前、梅林宏道さん提供
  • 学生の投石を避けるためにうずくまり、機動隊の排除に抵抗する市民ら=1972年9月19日未明、神奈川県相模原市の米陸軍相模補給廠正門前
  • 座り込みに加わる飛鳥田一雄横浜市長(右手前)。後に妥協を迫られる=1972年8月5日、横浜市神奈川区
  • 綿矢りささん
  • 米陸軍相模補給廠前にできたテント村を見物しに来た、浴衣姿の子どもたち=1972年8月16日、神奈川県相模原市
  • 相模補給廠へ引き返す、米軍M48戦車を積んだトレーラー=1972年8月6日、横浜市神奈川区の国道15号
  • 戦車を積んだトレーラーの前に座り込む学生や労働組合員ら=1972年8月5日午前7時30分、横浜市神奈川区
  • M48戦車を積んだトレーラーを誘導する米軍のMP(憲兵)=1972年5月27日午後11時過ぎ、米陸軍相模補給廠前
  • 修理を終えベトナム行きを待つ兵員輸送車。星印の米軍車両に「カラス」と呼ばれる車体がまじる=1972年5月8日、神奈川県相模原市の米軍相模補給廠
  • デパートの屋上から、立川基地へ抜き打ち移駐した自衛隊を見つめる阿部行蔵市長=1972年3月8日、東京都立川市曙町
  • 自衛隊の「抜き打ち移駐」に抗議し、立川基地へ押しかけた人々=1972年3月8日午前7時45分、東京都立川市
  • 立川市長として初登庁し、あいさつをする阿部行蔵氏=1971年9月8日
  • 立川市長選で当選を決め、選挙事務所で支援者らと握手をする阿部行蔵氏=1971年、東京都立川市高松町
  • 米軍機の姿が消えた立川基地=1971年6月9日
  • 米軍立川基地滑走路の北側。ベトナムへの軍需物資輸送に反対する旗が林立していた=1968年3月、東京都立川市砂川町
  • 「新聞と憲法9条 『自衛』という難題」
  • 都知事選最後の街頭演説で、新宿駅前広場を埋めた大群衆=1971年4月10日、東京・新宿駅東口

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