衆院補選 野党共闘に課題残す
中日新聞 2016年4月25日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016042502000119.html
与野党一騎打ちとなった衆院北海道5区補選は自民党候補の勝利に終わった。民進、共産など野党四党は候補者を一本化して臨んだが及ばず、夏の参院選に向けた野党共闘に課題を残す形となった。
夏の参院選を控え、安倍政権はほっと胸をなで下ろしているに違いない。二選挙区で投開票が行われた衆院補選。町村信孝前衆院議長の死去に伴う北海道5区は、自民党公認の和田義明氏(44)が野党統一候補の池田真紀氏(43)を破り、補選全敗を回避した。
二〇一四年の第三次安倍内閣発足後初の国政選挙である。安全保障関連法や経済・子育て政策などが争点だったが、政権が積極的に信任されたというよりも、町村氏の地盤を娘婿である和田氏が守り抜いたといった方がいいだろう。
通例なら、自民党候補が有利に戦いを進める「弔い合戦」だが、安全保障関連法廃止と立憲主義回復を掲げて共闘し、激しい選挙戦に持ち込んだのが民進、共産、社民、生活の野党四党である。
敗北したとはいえ、野党共闘の有効性が確認された選挙戦ではなかったか。野党の力が分散しては安倍自民党の「一強」に対抗することは、とてもできまい。
野党四党が候補者を統一して推薦し合う共闘の形は、参院選でも一つのモデルとなるはずだ。
参院選では三十二ある改選一人区が勝敗の行方を左右する。すでに半数以上で野党統一候補の擁立で合意しているが、残る選挙区でも共闘を模索してほしい。
課題も浮き彫りになった。
与党陣営は野党共闘を「理念も政策もバラバラ」と執拗(しつよう)に攻撃した。今回の補選にとどまらず、参院選でも同様の批判を展開するだろう。それにどう対抗するのか。
政権批判を糾合することは一強多弱の政治状況を転換し、政治の誤りを正すには当然だが、有権者に浸透しなければ意味がない。
現政権の問題点を粘り強く訴えると同時に、安倍政治に代わるビジョンを示すことも重要だ。四党間に理念・政策の違いがあるのは当然だが、共通政策づくりに向けた協議も急ぐべきである。
一方、不倫が発覚した宮崎謙介元自民党衆院議員の辞職に伴う京都3区では、民進党公認の前衆院議員、泉健太氏(41)が勝った。
今年三月に発足した民進党初の議席だが、敵失での議席獲得でもある。勝利に浮かれてばかりもいられまい。野党勢力結集に指導力を発揮できるのか、民進党にとっては、これからが正念場である。
2016年4月25日月曜日
2016年4月11日月曜日
160410 自由なラジオ
自由なラジオ
http://jiyunaradio.jp/
https://m.facebook.com/jiyunaradio/
◆2016.4.1 祝第1回!
小出裕章さんとともにLight Up!
3.11から6年目の日本
第1回放送はMC木内みどり、ゲストに小出裕章さん、加えて西谷文和、今西憲之、矢野宏。
http://jiyunaradio.jp/personality/archive/001/
https://m.youtube.com/watch?v=ikewLma-Rz8
◆2016.4.12 第2回放送はMCおしどりマコ・ケン、ゲストは松尾貴史さん「松尾貴史が語る、解り合えるコツ。この時代、この国に生きるために」
自由なラジオLight Up!
お聞きになる方法はこちら → http://jiyunaradio.jp/howtolisten/
http://jiyunaradio.jp/
https://m.facebook.com/jiyunaradio/
◆2016.4.1 祝第1回!
小出裕章さんとともにLight Up!
3.11から6年目の日本
第1回放送はMC木内みどり、ゲストに小出裕章さん、加えて西谷文和、今西憲之、矢野宏。
http://jiyunaradio.jp/personality/archive/001/
https://m.youtube.com/watch?v=ikewLma-Rz8
◆2016.4.12 第2回放送はMCおしどりマコ・ケン、ゲストは松尾貴史さん「松尾貴史が語る、解り合えるコツ。この時代、この国に生きるために」
自由なラジオLight Up!
お聞きになる方法はこちら → http://jiyunaradio.jp/howtolisten/
2016年4月8日金曜日
160408しんぶん赤旗TPP交渉に「守秘合意」
TPP交渉に「守秘合意」
発効後4年間、内容公開せず
しんぶん赤旗 2011年12月22日(木)
https://t.co/loGJbc6UVB
現在、米国など9カ国が行っている環太平洋連携協定(TPP)交渉で、交渉内容を公表しない合意があり、交渉文書は協定発効後4年間秘匿されることが、ニュージーランドのTPP首席交渉官の発表で分かりました。
ニュージーランド外務貿易省のマーク・シンクレアTPP首席交渉官は11月末、情報公開を求める労働組合や非政府組織(NGO)の声に押され、同省の公式サイトに情報を公開できない事情を説明する文書を発表しました。同文書は、交渉開始に当たって各国の提案や交渉文書を極秘扱いとする合意があることを明らかにし、文書の取り扱いを説明した書簡のひな型を添付しました。
それによると、交渉文書や各国の提案、関連資料を入手できるのは、政府当局者のほかは、政府の国内協議に参加する者、文書の情報を検討する必要のある者または情報を知らされる必要のある者に限られます。また、文書を入手しても、許可された者以外に見せることはできません。
さらに、これらの文書は、TPP発効後4年間秘匿されます。TPPが成立しなかった場合は、交渉の最後の会合から4年間秘匿されます。
米国のNGO、「パブリック・シティズン(一般市民)」は、「これまでに公表された唯一の文書は、どんな文書も公表されないという説明の文書だ」と批判しました。
これまでに、米国労働総同盟産別会議(AFL―CIO)、ニュージーランド労働組合評議会、オーストラリア労働組合評議会などや各国のNGOがTPP交渉の情報を公開するよう求める公開書簡を各国政府に送っています。マレーシアの諸団体の連名の書簡は、「より透明なTPP交渉の過程が、交渉者や政府には明らかでないかもしれない誤りや、(国の)アイデンティティー(主体性)への危険に対し、基本的な防御をもたらす」と指摘しました。
日本政府は、交渉に参加しないと交渉内容が分からないとして、参加を急いでいます。しかし、交渉に参加しても、交渉内容を知ることができるのは、政府内や政府が選んだ業界などに限られます。国民に影響のあることであっても、国民が交渉内容を知ったときには、TPPが国会で批准され、発効してしまっている危険があります。
発効後4年間、内容公開せず
しんぶん赤旗 2011年12月22日(木)
https://t.co/loGJbc6UVB
現在、米国など9カ国が行っている環太平洋連携協定(TPP)交渉で、交渉内容を公表しない合意があり、交渉文書は協定発効後4年間秘匿されることが、ニュージーランドのTPP首席交渉官の発表で分かりました。
ニュージーランド外務貿易省のマーク・シンクレアTPP首席交渉官は11月末、情報公開を求める労働組合や非政府組織(NGO)の声に押され、同省の公式サイトに情報を公開できない事情を説明する文書を発表しました。同文書は、交渉開始に当たって各国の提案や交渉文書を極秘扱いとする合意があることを明らかにし、文書の取り扱いを説明した書簡のひな型を添付しました。
それによると、交渉文書や各国の提案、関連資料を入手できるのは、政府当局者のほかは、政府の国内協議に参加する者、文書の情報を検討する必要のある者または情報を知らされる必要のある者に限られます。また、文書を入手しても、許可された者以外に見せることはできません。
さらに、これらの文書は、TPP発効後4年間秘匿されます。TPPが成立しなかった場合は、交渉の最後の会合から4年間秘匿されます。
米国のNGO、「パブリック・シティズン(一般市民)」は、「これまでに公表された唯一の文書は、どんな文書も公表されないという説明の文書だ」と批判しました。
これまでに、米国労働総同盟産別会議(AFL―CIO)、ニュージーランド労働組合評議会、オーストラリア労働組合評議会などや各国のNGOがTPP交渉の情報を公開するよう求める公開書簡を各国政府に送っています。マレーシアの諸団体の連名の書簡は、「より透明なTPP交渉の過程が、交渉者や政府には明らかでないかもしれない誤りや、(国の)アイデンティティー(主体性)への危険に対し、基本的な防御をもたらす」と指摘しました。
日本政府は、交渉に参加しないと交渉内容が分からないとして、参加を急いでいます。しかし、交渉に参加しても、交渉内容を知ることができるのは、政府内や政府が選んだ業界などに限られます。国民に影響のあることであっても、国民が交渉内容を知ったときには、TPPが国会で批准され、発効してしまっている危険があります。
2016年4月6日水曜日
160405 安倍政権が出してきたTPP交渉の資料が、表題以外全部黒塗りだった
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/dd60d085d551b1e5496e12bd642a3882
【まさに隠蔽】安倍政権が出してきたTPP交渉の資料が、表題以外全部黒塗りだった【ふざけんな!】
【まさに隠蔽】安倍政権が出してきたTPP交渉の資料が、表題以外全部黒塗りだった【ふざけんな!】
安倍政権は2016年4月5日、衆院環太平洋連携協定(TPP)特別委員会の理事懇談会で、甘利明前経済再生担当相と米国のフロマン通商代表による閣僚協議などTPP関連文書を示しました。
交渉過程の開示を求めていた野党側に応じた形ですが、出してきた交渉文書は45ページしかなくて、しかも全ページがご覧のように表題を除いて黒く塗りつぶされ、内容はまるでわかりません。
ふざけてんですかね。これじゃあ、審議のしようがないでしょう。
もちろん、外交交渉には秘密性が必要ですが、それは交渉過程でのことであって、もう交渉は終わって協定はできているのですから、これから批准手続き=国会の承認を得る際に、こんなに何もかも隠すだなんてありえません。
肝心の交渉人の甘利明前経済再生担当相は睡眠障害だということで出てこないし、安倍内閣のTPP隠しは酷すぎます。
まあ、よほど見せられない内容なんだろうと思いますね。
アメリカに譲歩しまくりで交渉過程がひどかったらしいですから、出せないんでしょう。
コメで負け、自動車で負けた。TPPはメリットよりリスクとデメリットが大きすぎる。
4月5日つけの東京新聞に、TPPにも含まれているISDS条項で、ロシアが5兆6千億円!の賠償命令を受けたことがあるという話が載っていました。
ISDS条項とは「投資家と国家の紛争解決手続き」のことで、TPP参加国の政府が設けた法律や制度で損害を受けた外国企業が、国際機関に仲裁を求める仕組みです。
この国際機関がアメリカが支配している世界銀行傘下なんです。
現に、アメリカとカナダ、メキシコの北米自由貿易協定(NAFTA)では、米政府が訴えられたのは16件で、敗訴や和解に応じた例はない=無敗だそうです。逆に米企業がカナダやメキシコ政府から多額の損害賠償金を取ったことは何度もあります。
安倍政権は日本がこの条項で訴えられることはないなどと言っていますが、アメリカ相手にそんなことわかりませんからね。
まさに、黒塗り部分を全部公開して申し開きすべきです。
TPPの毒素条項=ISD条項 ラチェット規定 NVC条項 スナップバック条項。なのに安倍首相が3月13日に参加表明
TPP秘密交渉の正体 (竹書房新書) | |
山田正彦 著 | |
竹書房 |
秘密交渉であるTPPは法律的な観点から見ても問題点が多く、各国で反対運動が起きている。基本的人権、生存権、知る権利など、国民の権利を侵害する恐れが大きく、多国籍企業の利益を損なう法律や規制をした国や自治体に対して訴訟をするISD条項によって国の主権が失われるかもしれない。民主党政権の元農相でTPPに反対し続けている山田正彦氏の渾身の書。
TPPで暮らしはどうなる? (岩波ブックレット) | |
鈴木宣弘、色平哲郎ほか | |
岩波書店 |
日本の参加が現実的になってきたTPP(環太平洋経済連携協定)。多国籍企業の利潤確保を最優先するアメリカン・スタンダードが生活のすみずみにまで持ち込まれたとき、私たちの暮らしはどうなるのか。農業、医療、食の安全など、TPP参加による生活への影響を、第一線の研究者とジャーナリストが検証する。
「岩盤規制」の大義: 医・食・農=国民生活を土台から壊す“規制緩和”とTPP (農文協ブックレット) | |
農山漁村文化協会 |
TPP批判本、最新刊。政府・財界の「岩盤規制」攻撃は、格差を広げ国民生活の安全を脅かす凶器のドリル!農協「改革」は、食と農と国民の距離を広げるTPP推進の一環。TPPで国産が食べられなくなってからでは手遅れの消費者の健康リスク。食べてはいけない!米国産牛肉、乳製品、遺伝子組換え食品などの恐ろしい実態。TPP推進と地方創生は両立しない!
TPP 黒い条約 (集英社新書) | |
中野剛志 著 | |
集英社 |
衰退するアメリカ。そのアメリカ依存から抜けられない日本。この構図のなかで、いま、アメリカが日本を徹底的に搾取しようとしている。それがTPPの正体だ。TPPが日本の成長を助ける自由貿易協定だというのは真っ赤な嘘。99%のわれわれ国民に対して、1%のグローバル企業・超富裕層が仕掛けた罠なのだ。その内実を国民に知らせぬまま条約批准に向かって突き進む政府。黒い条約・TPP締結後の日本はどうなるのか?『TPP亡国論』の中野剛志とこの問題を早くから掘り下げてきた気鋭の論客たちが、TPP参加に最後の警鐘を鳴らす!
民進党がTPPの審議入りの条件として出していたのがこの資料提出だったのですが、これで審議入りに応じるのですから、ほんとに甘いな、民進党は。
ふざけんな!資料も担当大臣もちゃんと出せ!と言って審議入りを拒否すればいいのに。
それにしても、特定秘密保護法を作ったり、安倍政権による国民の知る権利蹂躙姿勢は酷すぎます。
よろしかったら大変お手数とは存じますが、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!
2016年4月5日火曜日
150906 栗栖由喜さんスピーチ
【スピーチ全文掲載】「何百万という借金をしながら何を学んでいるのか、安倍さんに教えてやります。それは抑圧者の権力に抗い、それと戦う知性です」ーー新宿・歩行者天国で大学4年の栗栖由喜さんがスピーチ
12万人以上の市民が国会周辺を埋め尽くした翌週の2015年9月6日、今度は東京・新宿のショッピングエリアが安保法案に反対する1万2000人の人々でジャックされた。
歩行者天国を利用したこの街宣行動は、学生からなる「SEALDs」と「安全保障関連法案に反対する学者の会」の共催。人々が差す色とりどりの傘と、「戦争反対」「9条こわすな」「WAR
IS OVER」などと書かれたプラカードの山で、雨の歩行者天国は華やかに彩られた。
IS OVER」などと書かれたプラカードの山で、雨の歩行者天国は華やかに彩られた。
「貸与の奨学金を受けながら大学へ通っています。私は高校の時から奨学金を貸与しながら学校へ通っているのですが、何百万という借金をしながら何を学んでいるのか、安倍さんに教えてやります。それは抑圧者の権力に抗い、それと戦う知性です」
ステージに登壇した学生の一人、国際基督教大学4年の栗栖由喜さんがスピーチした。多額の借金をしながら大学に通っていることを告白しながら、栗栖さんは次のように続けた。
「この国には知を身につけ、権力に隷属しない批判的な思考力を養う多くの学び者がいるのです。この国は教育を受けるのにお金がかかりすぎますが、この国の教育はまだ死んでない」
栗栖さんは、憲法や国民の声を無視してまでも法案の整備に急ぐ安倍政権を強く批判する。
「国家の安全保障の問題はとても複雑で、理論は崩壊し、未熟な議論のままで決定できるようなそんな単純なことじゃない。
この世の全ての富を手に入れても、死んでしまった誰一人の命も私たちは生き返らせることができない。『私が責任を取る』ということがどんなに無責任で残忍なことであるのか、安倍さんはしっかりと認識すべきです」
安倍総理は集団的自衛権の行使を「喧嘩」になぞらえてその必要性を説いた。また国会では法案の違憲性や集団的自衛権行使に対する歯止めについて、野党の追及に十分に応えていない。それを、「理論は崩壊し、議論な未熟」だと批判した栗栖さんは、「私たちは権力に対する沈黙を破る」と、知性と若さで抗う強気の姿勢を見せた。また、「人の死に対して無力であるからこそ」、武力ではなく「言葉」で戦う対話の道を選ぶべきだと訴えた。
以下、栗栖由喜さんのスピーチ全文とスピーチ動画を掲載する。
栗栖由喜さんのスピーチ全文
「こんにちは。国際基督教大学4年の栗栖由喜です。
テレビドラマや映画、演劇など、戦争を題材とした作品が普段より目立ち、ニュースでも戦争を特集した番組が良く放送される。日本各地では戦没者を追悼する式典が開催される、そんないつもの夏がすでに秋へと模様替えする町に霞んで、今年もまた過ぎ去ろうとしている。
戦争の時代を生きた人々の記憶を辿り、その傷跡に触れ、無残に散っていった数知れない命を思い、あのような歴史はもう二度と繰り返さないと、その決意を心に刻もうとする。けれど気づく。私たちはすでに二度目を初めてしまっている。
この国で終戦が宣言された後もずっと、沖縄は米軍の傘の下を生きることを強いられ、また、米軍基地と並んで佇む自衛隊の基地が意味すること。それは沖縄の人々の生がアメリカだけなく日本自身によっても踏みにじられているということです。
福島における原発事故の記憶は忘れ去られ、日本最大の活断層の上にある爆弾を私たちは動かし始めてしまいました。原発事故の問題を何一つ解決させないまま、東京オリンピックへと走り、オリンピックの準備が進む中で、中心から終焉への新たな差別と排除が始まるでしょう。
異なる国籍の人々に対するヘイト的な言動や難民申請者の強制送還、外国人労働者らに課せられる過酷な労働。路上でひっそりと死んで行くホームレスの人々に、私たちのうちの誰が、彼らのことを心に留めるのでしょう。
形こそ、70年前の大戦のようなものではないかもしれないけれど、未来永劫の平和を求めたはずの私たちは、繰り返さないと誓ったはずの歴史を繰り返すかのような社会の中にあります。
そして今、安倍政権は私たちが繰り返さないと心に刻んだあの戦争を真っ正面から出迎えるかのように、安全保障関連法案を急ピッチで成立させようとしています。
彼はこの国の最高法規である憲法を無視し、この国そのものである私たちを無視し、私たちの声を無視し、アメリカの甘いささやきにヨダレを垂らしています。自衛隊は『家族への手紙』という名の遺書を書かされ、戦争への準備をさせられています。彼らはこの国の国家権力によって、死の契約を結ばされているのです。
私は安倍さんに言いたい。私たちは戦争をするため、人を殺すために生まれてきたんじゃないんです。私たちは生きるために、それも、より良く生きるために生まれてきたんです。
その私たちが戦争をしたくない、人を殺したくない、死にたくないと思うことは何もおかしいことではないんです。自分に向かってきた攻撃から自らを守るため、武力や兵力を用いることは、もしかしたらやむを得ない場合だってあるのかもしれません。
しかし、自らが攻撃されていないにも関わらず、敵だと仮想して銃口を向けるなんて、もはや意味不明です。国家の安全保障における集団的自衛権や個別的自衛権の行使を、喧嘩なんかに例えようもないのは、その武力の行使によって何の罪もない多くの人々の命が犠牲になる可能性があるからです。
集団的自衛権はもちろん、個別的自衛権ですら、自衛のために起きた沖縄戦のことを思うと、簡単に認められるものではないと国家による武力行使によって、本当に自衛などできるのかと私は考えます。
私は専門家でも何でもないですが、国家の安全保障の問題はとても複雑で、理論は崩壊し、未熟な議論のままで決定できるようなそんな単純なことじゃないと思っています。
なぜなら、そこには人の命がかかっているからです。富と権力への欲に頭が麻痺し、目が眩んでいる安倍さんには分からないかもしれませんが、金で人の命を買うことはできないんです。
この世の全ての富を手に入れても、死んでしまった誰一人の命も私たちは生き返らせることができないんです。それに対して『私が責任を取る』ということがどんなに無責任で残忍なことであるのか、安倍さんはしっかりと認識すべきです。
私たちは人の死に対して無力です。しかし、それがもたらすものは絶望だけではありません。私たちは人の死に対して無力であるからこそ、武力ではなく対話の道へ進むことができる。武器ではなく、言葉を持って戦うことができるのです。
それが、それこそが人間の強さです。
私はこの間、初めて靖国神社を訪れました。靖国神社を参拝する安倍さんに対して言いたいのは、御国のために尊い命を捧げて死んでいった兵士たち。戦争の犠牲となり死んでいった罪なき人々に対して、本当に頭を下げる気持ちがあるのならば、あの惨禍を繰り返させはしないという決意と覚悟を持って、政治と外交を行なってくださいということです。
今の私たちにとって一番の脅威は安倍さん自身です。
今の安倍さんは、今に限らずいつの安倍さんだってそうですけど、私たちにとって暴力そのものであります。
彼によってこの国がどれだけの危機にさらされ、悲鳴をあげているか彼は気づこうともしていないでしょう。
私は今大学生で貸与の奨学金を受けながら大学へ通っています。私は高校の時から奨学金を貸与しながら学校へ通っているのですが、何百万という借金をしながら何を学んでいるのか安倍さんに教えてやります。
それは抑圧者の権力に抗い、それと戦う知性です。
安倍さんは喜ぶべきです。この国には知を身につけ、権力に隷属しない批判的な思考力を養う多くの学び者がいるのです。この国は教育を受けるのにお金がかかりすぎますが、この国の教育はまだ死んでない。
私たちは権力に対する沈黙を破ります。安倍さんにとっては存立危機事態なのかもしれませんが、それはこの国にとってとても良いことだと思います。
戦後70年と言われる今なお、未だに戦後を生きることができない人たちがいます。国家の歴史に埋もれた、しかし、確かに存在する個々人の記憶。私たちはその声と叫びに耳を傾け、その教えを未来へと紡いで行きましょう。
私たちはただ、口をパクパクと開けて餌を待っている魚ではありません。意思ある生きた言葉と思考に基づいた行動によって確かな歩みを進めて行きましょう。
平和を希求し、より良く生きる努力をしましょう」(了)
2016年4月4日月曜日
160404 朝日新聞連載 新聞と9条
メニュー
機能・
【連載】新聞と9条
日本は戦後、戦争放棄の憲法9条を柱に平和主義の道を歩んできました。しかし、決して穏やかな道のりではありませんでした。新聞は9条の歩みをどう書いてきたのでしょうか。朝日新聞を中心に敗戦から近年までの報道や論評を連載で振り返ります。
-
- (新聞と9条:228)70年安保と革新自治体:33(03/30)
- 米軍基地内に住む自衛隊員の住民登録は、受け付けることができない――。 横浜市長の飛鳥田一雄(あすかたいちお)は1972年12月16日、米軍立川基地への自衛隊移駐を間近に控えた首都圏革……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:227)70年安保と革新自治体:32(03/29)
- 「日本で修理の米軍戦車/南ベトナム到着」(1972年11月22日付朝日新聞) 96日ぶりに相模補給廠(しょう)から横浜港へ輸送されたM48戦車の行方を、サイゴン(現・ホーチミン)特派……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:226)70年安保と革新自治体:31(03/28)
- 在日米軍車両の国内通行について協議する日米合同委員会の車両通行小委員会は1972年11月6日、外務省で会合を開き、M48戦車の搬送再開に合意した。強度不足が指摘されている、横浜市道の……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:225)70年安保と革新自治体:30(03/26)
- 「戦闘車両フリーパス/米軍・自衛隊/あすから制限令外す 抜打(ぬきう)ちの政令改正/阻止の手掛(てがか)り失わす/野党が一斉に抗議」(1972年10月17日付朝日新聞) 1面に大見出……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:224)70年安保と革新自治体:29(03/25)
- 1972年9月19日午前2時40分、米陸軍相模補給廠(しょう)の正門前で装甲車の搬出を止めようと座り込んでいた市民や学生約2千人を、機動隊員が排除し始めた。周囲の群衆は投石し、立て看……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:223)70年安保と革新自治体:28(03/24)
- 米軍装甲車の輸送再開が迫っていた。 「ただの市民が戦車を止める」会(市民の会)の梅林宏道(78)らは、神奈川県相模原市の河津勝市長に、対話集会を開くよう求めた。市は輸送業者から、車両……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:222)70年安保と革新自治体:27(03/23)
- 「相模補給廠(しょう) 米の縮小計画進む/戦車修理、来年七月まで/物資中継も中止へ」 1972年9月11日付毎日新聞は、相模補給廠の縮小計画を米軍がひそかに進めているという特ダネを報……[続きを読む]
-
- <お知らせ>春の新紙面、4月1日スタート(03/22)
- ■「ココハツ」 紙面に新風、若い世代へ 若い世代に向けて、若い記者たちが考えてつくるページが毎週土曜日の「ココハツ」です。合言葉は「私から始まる記事」。どんなニュースも個人の「個々」……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:221)70年安保と革新自治体:26(03/22)
- 「市民立上(たちあ)がる/戦車阻止/2つのグループ誕生/相模原」 1972年8月24日付朝日新聞は社会面で、梅林宏道(78)らの「ただの市民が戦車を止める」会(市民の会)と、地元の医……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:220)70年安保と革新自治体:25(03/19)
- 「戦車が帰るぞーっ」 どっと拍手と大歓声がわいた。 1972年8月6日午後11時40分、横浜市神奈川区神奈川通の米軍専用埠頭(ふとう)入り口近くの村雨橋前で、M48戦車を積んだ5台の……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:219)70年安保と革新自治体:24(03/18)
- 「そこのけ 戦車のお通り/赤信号も突(つっ)走る/国道、まるで専用道」 1972年5月28日付朝日新聞は、ベトナム戦争に投入されるM48戦車が、神奈川県相模原市の米陸軍相模補給廠(し……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:218)70年安保と革新自治体:23(03/17)
- 「戦車を追いかけてみないか」 1972年5月10日、朝日新聞首都部の中江敬之(81)は八王子通信局の山本博に声をかけた。中江は都内と近県をカバーする同部へ異動直後で、以前から山本とは……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:217)70年安保と革新自治体:22(03/16)
- 自衛隊が立川へ「抜き打ち移駐」して間もない1972年5月初頭、朝日新聞社会部の石川巌(83)は、神奈川県相模原市の米陸軍相模補給廠(しょう)にほど近い、全駐留軍労働組合(全駐労)の支……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:216)70年安保と革新自治体:21(03/15)
- 抜き打ちで部隊を立川基地へ移駐させた防衛庁を、各紙は厳しく批判した。 「隠密作戦至上に軍隊の素顔」 1972年3月8日付読売新聞は、1面の見出しでそう断じている。 ――移駐部隊が練馬……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:215)70年安保と革新自治体:20(03/14)
- 一日の仕事を終えた雰囲気が、朝日新聞立川支局に漂っていた。1972年3月7日午後7時ごろ、支局長の古賀牧人(86)の眼前で、支局と東京・有楽町の本社をつなぐ専用線電話が鳴った。 「え……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:214)70年安保と革新自治体:19(03/11)
- 基地の街・立川で初の革新市長となった阿部行蔵は1971年9月8日午前9時、市役所へ初登庁した。 市長選で阿部陣営を取材した朝日新聞立川支局の中江敬之(81)は、引き続き市政を担当した……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:213)70年安保と革新自治体:18(03/10)
- 1971年7月1日、朝日新聞記者の中江敬之(81)は、北海道報道部から東京・立川支局へ転勤した。早々に、8月に予定されている市長選の取材を命じられた。 着任2日前、米軍機の離着陸が止……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:212)70年安保と革新自治体:17(03/09)
- 「基地の町、立川が、十一月になってウソのように静かになった」と、1969年11月23日付朝日新聞は、米軍機が去った後の街の現状を紹介した。 「とくに夜は、二十年来住んでいる人が『山の……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:211)70年安保と革新自治体:16(03/08)
- 革新自治体が相次いで産声を上げていた頃、東京の「基地の街」に転機が訪れた。 米軍立川基地の滑走路延長をめぐる砂川闘争。在日米軍は憲法9条に違反するとした「伊達判決」を最高裁が破棄して……[続きを読む]
-
- <お知らせ>「新聞と憲法9条 『自衛』という難題」販売中(03/08)
- 本紙連載「新聞と9条」が本になりました。非武装を唱える憲法を持ちながら、米軍駐留・再軍備の道を選んだ戦後日本。海外派兵は認めないという一線を引き、「自衛の力」の保持が容認された経緯を……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:210)70年安保と革新自治体:15(03/07)
- 1971年の東京都知事選は「日本初のイメージ選挙」と言われる。 美濃部亮吉(みのべりょうきち)の陣営は「ストップ・ザ・サトウ」を掲げ、生活や環境の重視を訴えて「青空バッジ」を支援者に……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:209)70年安保と革新自治体:14(03/04)
- 「佐藤首相は非民主主義、軍国主義化の道を歩もうとしている。ストップ・ザ・サトウの唯一の道は革新都政であり、革新自治体である」 統一地方選を春に控えた1971年1月22日、2期目に意欲……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:208)70年安保と革新自治体:13(03/03)
- 1970年12月17日、三島由紀夫の割腹事件で行動をともにした「楯(たて)の会」(71年2月28日解散)の3人は、益田(ました)兼利・陸上自衛隊東部方面総監への監禁致傷、益田総監を救……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:207)70年安保と革新自治体:12(03/02)
- 事件を前に、三島由紀夫は親交があった記者2人に意図を伝えようとした。 サンデー毎日の徳岡孝夫(86)と、NHKの伊達宗克(故人)だった。 三島と徳岡の初対面は、1967年5月28日。……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:206)70年安保と革新自治体:11(03/01)
- 憲法改正を訴え、三島由紀夫らが陸上自衛隊東部方面総監部で自決した事件は、世間の注目を独占した。 「狂気の行動、改憲迫る」「“行動の美学”――狂った終末」「ナメるな…ぶっ殺せ/自衛隊の……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:205)70年安保と革新自治体:10(02/29)
- 1970年11月25日の死から約2カ月前の9月14日、三島由紀夫は朝日新聞社会部記者、森本哲郎の取材に応じていた。 連載「70年代の百人」の一環で、場所は四谷の旅館だった。76年に退……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:204)70年安保と革新自治体:9(02/26)
- ――おまえら聞け。おれは自衛隊が立上(たちあ)がるのを四年間待ったんだ。諸君は武士だろう。ならば自分を否定する憲法をなぜ守るのだ。なぜペコペコするのか。 これがあるかぎり諸君は永久に……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:203)70年安保と革新自治体:8(02/25)
- 大学紛争は続いた。日米安全保障条約が10年間の期限を迎える1970年6月22日に向け、更にデモの激化が予想された。 東大で安田講堂の攻防がピークを迎えた69年1月、新聞各紙には「70……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:202)70年安保と革新自治体:7(02/24)
- 4カ月近くに及んだ毎日新聞の連載「紙上国会」は、大きな反響を呼んだ。 戦時下に特高警察のでっち上げで雑誌編集者ら数十人が検挙され、拷問で4人が獄死した「横浜事件」に連座し、戦後は評論……[続きを読む]
-
- 訂正して、おわびします(02/23)
- ▼22日付「新聞と9条200 70年安保と革新自治体5」の記事につく写真説明で、「共産党の宮本顕治書記長」とあるのは誤りでした。撮影時の1971年6月は、党幹部会委員長を務めていまし……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:201)70年安保と革新自治体:6 (02/23)
- 毎日新聞「紙上国会」の最終節は、自民党への総質問(1969年4月6~26日付、21回)。幹事長の田中角栄、安全保障調査会長の船田中(なか)ら7人が答弁者だった。 野党は社会党の江田三……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:200)70年安保と革新自治体:5=訂正・おわびあり(02/22)
- 毎日新聞「紙上国会」“共産党政権”編(1969年3月15~30日付、15回)の答弁は、書記長の宮本顕治、政策委員長の上田耕一郎、政治外交政策委員長の不破哲三(86)ら5人。自民党は前……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:199)70年安保と革新自治体:4(02/18)
- 毎日新聞の連載「紙上国会」“民社党政権”編(1969年2月7~21日付、15回)は、書記長の春日一幸、外交委員長の曽祢益(そねえき)、教宣局長の永末英一ら5人が答弁に立った。自民の松……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:198)70年安保と革新自治体:3(02/17)
- 社会党が政権を取ったら、安全保障政策はどうなるのか――。東大紛争で安田講堂をめぐる攻防が最終局面を迎えた1969年1月、そんな討論が、毎日新聞の紙面で繰り広げられていた。 題して「紙……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:197)70年安保と革新自治体:2(02/16)
- 「陥落」後の安田講堂の壁に残された落書きを基にした立花隆(75)のルポ「東大ゲバルト壁語録(へきごろく)」は、「文芸春秋」1969年3月特別号に掲載された。 「ユーチャン、渋谷でまた……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:196)70年安保と革新自治体:1(02/15)
- 1968年、世界は揺れ動いた。 3月16日、ベトナム・ソンミ村で米軍が住民約500人を虐殺。4月4日には米国で反黒人差別のキング牧師が射殺された。 5月、パリ中心部を学生ら約2万人が……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:195)沖縄から:85(02/12)
- 日本では日米安保条約が憲法よりも上位にある――。 この連載のため、沖縄で取材を続けながら、私は何度かそう聞いた。 安保、それに関わる日米合意、地位協定、刑事特別法などの制度はいずれも……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:194)沖縄から:84(02/10)
- 昨秋から今年にかけて、ある元新聞記者が沖縄を訪れた。 辰濃和男(たつのかずお)(86)。朝日新聞の編集委員などを務め、1969年の連載「沖縄報告」の取材班にも加わった。 取材で訪問す……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:193)沖縄から:83(02/09)
- 普天間飛行場の代替基地について、1999年12月に名護市長、岸本建男(きしもとたてお)は移設容認を表明する。 だが反対運動は根強く、岸本も基地としての使用期限を区切るなどの条件を掲げ……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:192)沖縄から:82 (02/08)
- 1997年5月3日。 日本国憲法の施行からちょうど50年に当たるその日、琉球新報1面に掲載された編集局長、三木健(みきたけし)(76)のコラム――。 「県民世論とともに歩む」と題し、……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:191)沖縄から:81(02/05)
- 基地建設受け入れを表明した市長が辞任したことで、1998年2月、名護市長選が行われる。 普天間飛行場に代わる新たな基地を、市東岸の辺野古に建設することを市民はどう考えるのか。それが焦……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:190)沖縄から:80(02/04)
- 沖縄本島の北部、名護市東岸にある辺野古崎は、アメリカ海兵隊の基地キャンプ・シュワブの敷地内にある。 珊瑚礁(さんごしょう)に囲まれたまわりの海には「イノー」と呼ばれる浅瀬が広がる。地……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:189)沖縄から:79(02/03)
- アメリカ軍の飛行場がひとつなくなるものの、代わりの滑走路を沖縄で建設することになる。 日本とアメリカ両政府による普天間飛行場の返還合意は、時を移さず人々に不安と反発を広げた。 当時、……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:188)沖縄から:78(02/02)
- その夜、沖縄がひとときの歓喜と興奮に包まれたのは確かだ。 特報したのは日本経済新聞だった。 「普天間基地、5年内返還 日米が基本合意 嘉手納に機能移転」(1996年4月12日付) 本……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:187)沖縄から:77(02/01)
- 海辺の広場は大勢の人であふれ、国道58号には会場を目指す車が列をなした。 アメリカ兵による暴行事件の翌月、1995年10月21日、沖縄県宜野湾市の海浜公園で開催された「県民総決起大会……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:186)沖縄から:76 (01/29)
- 反戦地主らの所有地を強制的に借り上げるための「代理署名」を、沖縄県知事、大田昌秀(90)が拒否した理由は、アメリカ兵による少女暴行事件だけではなかった。 広大なアメリカ軍基地をそのま……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:185)沖縄から:75(01/28)
- 沖縄県知事、大田昌秀(90)の答弁で、議場には拍手とどよめきが広がった。 「今回の土地調書及び物件調書への署名押印は到底困難であるとの考えから、国に対して署名押印はできない旨の通知を……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:184)沖縄から:74 (01/27)
- 「議論が走り過ぎている」 日米地位協定の改定を求めた沖縄県知事、大田昌秀(90)に対し、外務大臣、河野洋平(79)が否定的に回答したことは、現地で批判を浴びる。 「もう二度と沖縄には……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:183)沖縄から:73(01/26)
- 怒りは静かに広がった。 事件が明らかになったのは1995年9月8日。翌週、女性たちの団体は記者会見をし、抗議書を読み上げて「最悪の犯罪」と断じた。 知事の大田昌秀(90)も会見で「基……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:182)沖縄から:72(01/25)
- 心の痛む、この事件を書くことはためらわれるが、目をそむけるわけにもいかない。沖縄の「今」に直接つながっていることでもある。 1995年9月、昼過ぎのニュースが事件を伝えた。 少女を拉……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:181)沖縄から:71(01/22)
- 防衛施設庁長官、宝珠山昇の「共生、共存」発言をどう考えるべきか。 記者会見を聞いた沖縄タイムスの記者、稲嶺幸弘(51)は、違和感が頭から離れなかった。当時、入社6年目で沖縄県政を担当……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:180)沖縄から:70(01/21)
- それは記者会見での発言だった。 防衛施設庁長官に就任したばかりの宝珠山昇(ほうしゅやまのぼる)は沖縄を視察。知事の大田昌秀(おおたまさひで)(90)と会談した。 自民、社会、新党さき……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:179)沖縄から:69(01/20)
- 「よく覚えちょる」 昨年12月、村山富市(91)は、地元の大分でゆっくりと語り始めた。 1994年6月、自民、社会、新党さきがけによる連立政権が発足。社会党委員長として首相になった村……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:178)沖縄から:68(01/19)
- 河野洋平(79)は武村正義(81)と顔を見合わせた。 自民党と新党さきがけ、両党の党首と向き合い、協力を要請した社会党委員長、村山富市(91)はこう言った。 「どちらでもいい。大蔵大……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:177)沖縄から:67(01/18)
- 時代の転換期をどう見つめるべきか。 自民、社会、新党さきがけ3党の連立政権が誕生し、「護憲」の象徴ともいえた社会党の首相、村山富市(91)が「安保堅持、自衛隊合憲」と表明したことは、……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:176)沖縄から:66(01/15)
- 沖縄にとって、その衝撃は本土以上のものだった。 1994年6月、社会党委員長として47年ぶりに、村山富市(むらやまとみいち)(91)は首相に就任。自民、社会、新党さきがけ3党による連……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:175)沖縄から:65(01/14)
- つなぎ合った手と手を、人々は空へ向けて高く掲げた。 1987年6月21日。沖縄本島中部に広がり、極東最大といわれるアメリカ空軍嘉手納基地のまわりを「人間の鎖」が取り囲んだ瞬間、大きな……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:174)沖縄から:64(01/13)
- アメリカ海兵隊がキャンプ・ハンセンで実弾砲撃演習を行うたびに、県道104号は封鎖された。 1974年2月、「実力阻止」が行われる。反基地運動を担う原水爆禁止沖縄県協議会(県原水協)を……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:173)沖縄から:63(01/12)
- その「合意」が問題になったのは、復帰からまもなく1年になる頃だった。 沖縄本島北部、名護市から恩納村、金武(きん)村(現在の金武町)などにまたがるアメリカ軍キャンプ・ハンセン。197……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:172)沖縄から:62(01/08)
- 復帰後に配備された自衛隊について、沖縄タイムスの軍事記者、國吉永啓(くによしながひろ)(79)は、ある疑問を抱いていた。その規模が、思ったよりも小さかったからだ。 陸上自衛隊だけで数……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:171)沖縄から:61(01/07)
- 東京・赤坂、防衛庁。 1971年の冬が近づくころ、沖縄タイムスの記者、玉城真幸(たまきしんこう)(74)は同庁の広報担当幹部を訪問した。 全国の自衛隊基地のリストを示し、すぐにも取材……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:170)沖縄から:60(01/06)
- 復帰の内実がわかってくるにつれ、沖縄には失望が広がった。ただ、不安と憤りを抱きながらも、多くの人が復帰を受け入れようとしたのも事実だ。新聞社などが行った世論調査の結果にも表れている。……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:169)沖縄から:59(01/05)
- 沖縄が返還されても基地は残す――。 1967年7月、外相、三木武夫と駐日大使ジョンソンとの会談で、日本が示した極秘文書「覚書」には、沖縄の果たすべき「軍事的役割(やくわ)り」と施政権……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:168)沖縄から:58(01/04)
- 18・5%。 沖縄で、アメリカ軍が使う専用の基地・施設のうち、復帰後、2014年までに返還された面積の割合である。 今なお、基地面積は県全体の1割、本島の2割近くを占め、地域社会に計……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:167)沖縄から:57(12/28)
- カメラマン、石川文洋(77)は、沖縄本島を走っていた。 1972年5月15日、復帰の日。 この時、34歳。「その日」の人々をカメラに収めたかった。 生まれは首里。太平洋戦争のさなか、……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:166)沖縄から:56(12/25)
- 1972年5月15日――復帰の当日、沖縄ではいくつかの労働組合が抗議のストライキを行っていた。 新聞社の労組も例外ではなかった。一線記者たちは取材活動をせずに、代わりに組合に入ってい……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:165)沖縄から:55(12/24)
- 1972年5月15日。 その日、沖縄は雨だった。 27年間に及ぶアメリカ支配は終わった。 統治していた琉球列島米国民政府(USCAR)のトップ、高等弁務官で陸軍軍人でもあるランパート……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:164)沖縄から:54(12/22)
- 記者は取材と報道に徹するべきか、問題によっては民衆とともに闘うべきか――。 1971年9月、那覇市で開催された日本新聞労働組合連合(新聞労連)による新聞研究集会・特別分科会。本土と沖……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:163)沖縄から:53(12/21)
- 泡盛が入るにつれ、沖縄タイムスの政経部記者、大山哲(78)は気持ちが高ぶるのを感じた。 那覇市中心部の飲み屋。 本土と沖縄、それぞれのメディアに勤める報道関係者たちの議論は激しさを増……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:162)沖縄から:52(12/18)
- アメリカ軍が出した「防毒マスク着用」の条件は拒否――。 沖縄タイムス労働組合の結論を、社も了承した。沖縄から国外へ毒ガスを移送する「レッドハット作戦」で、軍が取材用バスを用意するなど……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:161)沖縄から:51(12/17)
- 人々の生活に直接影響する事実に向き合う時、記者は「歴史の証言者」に徹するべきか、地域の一生活者であるべきか。 1971年、沖縄タイムス社内で交わされた議論はそのことに関わっている。 ……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:160)沖縄から:50(12/16)
- アメリカ兵たちの激しいブーイングが響いた。 「反米騒動」とも呼ばれるコザ市(現・沖縄市)での事件の後、沖縄タイムスの記者、大山哲(78)は、現場を視察した琉球政府主席、屋良朝苗(やら……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:159)沖縄から:49(12/15)
- 沸き立つ群衆をかき分けて、騒乱の中心にたどり着いた。発砲音が響き、暗闇に炎が上がり、タイヤの焼ける臭いがした。 沖縄・コザ市(現・沖縄市)の中心街、中の町。1970年12月20日未明……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:158)沖縄から:48(12/14)
- その日は週末だった。 1970年12月19日、沖縄・美里村(現・沖縄市)の美里中学校で、毒ガス兵器の撤去を求める県民大会が開かれていた。 前年、すでに日本とアメリカ両政府は沖縄返還を……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:157)沖縄から:47(12/11)
- 沖縄は、アメリカ軍のあらゆる軍事機能を負わされた「基地の島」――。 1969年7月、基地内で起きた毒ガス漏れ事故で、人々はその事実を改めて思い知らされる。 その年11月の首脳会談で、……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:156)沖縄から:46(12/10)
- その事故が、沖縄のアメリカ軍基地の中で起きたことは、伏せられていた。 1969年7月、沖縄返還の日米交渉は核兵器の問題などをめぐって、まさに山場を迎える時だった。 7月18日付のアメ……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:155)沖縄から:45(12/09)
- 1969年11月22日、日米の返還合意に際し、沖縄タイムス夕刊の1面に掲載された社説の引用を続ける。 憲法9条の理念に近づくために――。 「憲法体制が指向するものと、空洞化の実態に直……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:154)沖縄から:44(12/08)
- 1969年11月22日(日本時間)、沖縄返還が合意され、戦後四半世紀に及ぶアメリカ統治の終結が決まった。 日米首脳会談を取材するため、アメリカに派遣された沖縄タイムスの記者、又吉稔(……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:153)沖縄から:43(12/07)
- 沖縄返還を議題とする日米首脳会談で、日本の新聞は連日、アメリカ軍が貯蔵する核兵器の問題を報じた。 朝日新聞アメリカ総局長、木谷忠と東京本社の政治部から特派された冨森(とみのもり)叡児……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:152)沖縄から:42(12/04)
- 返還までに、沖縄に貯蔵された核兵器をすべて撤去すること――核抜き。 紛争などの緊急事態では再度、核を貯蔵、通過させること――有事再持ち込み。 後者が秘密合意にあたるものだ。 元京都産……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:151)沖縄から:41(12/03)
- 表題に「1969年11月21日発表のニクソン米大統領と日本の佐藤首相による共同声明に関する合意議事録」とある。 左上に「TOP SECRET」(機密)、2枚目には2人の首脳の署名。 ……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:150)沖縄から:40(12/02)
- 彼と出会ったのは、特派員としてアメリカにいたころだった。朝日新聞記者だった松山幸雄(85)はそう思い返す。 アメリカに出入りしていた日本人の国際政治学者の一人で、若く鋭そうな印象を受……[続きを読む]
-
- (戦後70年 戦争と新聞)なぜ戦争協力の道へ(12/02)
- かつて日本が戦争への道を進んだ時代に新聞は何をしたのか。当事者の記者たちは戦後どんな思いを抱いて生きてきたのか。そこからくみ取るべき教訓は何か。安保法制が成立し、再び戦争と平和が問わ……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:149)沖縄から:39(12/01)
- 憲法と沖縄――。その隔たりを、彼は考え続けてきた。 新川(あらかわ)明(84)。沖縄タイムスの記者で後に社長となる。 沖縄返還に向けた日米交渉が続く1969年、タイムスに連載「疎外の……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:148)沖縄から:38(11/30)
- 朝日新聞が1969年に連載した「沖縄報告」にこんな言葉が出てくる。 「あんなもの(B52)日本に持って行けばいいんですよ。私はいいますよ。ああ、日本に持って行け。君たち(と、記者をに……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:147)沖縄から:37(11/27)
- 朝日新聞の連載記事「沖縄報告」は、1969年5月から10月まで、通算100回に及んだ。 年内にも行われる日米首脳会談に向け、沖縄返還は注目のニュースだった。政治部、社会部など各部から……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:146)沖縄から:36(11/26)
- 沖縄と本土を隔てる「北緯27度線」。 1969年4月28日、双方から船を繰り出して復帰実現を求める「海上大会」を取材するため、朝日新聞の社会部記者、轡田(くつわだ)隆史(79)は、沖……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:145)沖縄から:35(11/25)
- 沖縄本島を出港した船は北へ向かった。 船団と合流し、やがて本島最北端、辺戸(へど)岬から十数キロ北へ。そこで本土側からも船団が到着する。 北緯27度線――。沖縄と、日本に返還された奄……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:144)沖縄から:34(11/24)
- 沖縄の日本への復帰は、少しずつ現実味を帯びていた。 1968年5月、日米両政府は施政権返還に向けた協議を開始。駐日大使ジョンソンは外相の三木武夫に、沖縄のアメリカ軍基地の機能について……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:143)沖縄から:33(11/20)
- 「もういやだ。『血まみれのドル』では食べたくない」 1968年4月24日、朝日新聞那覇支局長、井川一久(81)が、アメリカ軍基地の食堂で働く若い女性から聞いた言葉だ。 死地へ向かう兵……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:142)沖縄から:32(11/19)
- 「『核抜き』での沖縄返還など難しい。とくに政治部の考え方はそうだった」 朝日新聞のアメリカ特派員だった冨森叡児(とみのもりえいじ)(87)は、返還合意前の朝日新聞社内の雰囲気をそう振……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:141)沖縄から:31(11/18)
- 沖縄に置かれた核兵器を撤去することは可能なのか。 1967年11月、首相の佐藤栄作はアメリカ大統領ジョンソンと首脳会談を行い、沖縄返還を協議。やがて日米両国の交渉は本格化へ向かう。 ……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:140)沖縄から:30(11/17)
- 沖縄返還に異論を唱えた笠(りゅう)信太郎のコラムが朝日新聞に掲載されてから9カ月後の1968年7月だった。 朝日新聞のアメリカ特派員、冨森叡児(とみのもりえいじ)(87)が、前駐日大……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:139)沖縄から:29(11/16)
- 沖縄返還は時期尚早――。1967年、朝日新聞に掲載されたコラムでそう主張した元論説主幹の笠(りゅう)信太郎は、根っからの護憲論者だった。 太平洋戦争開戦の前に特派員として欧州に渡った……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:138)沖縄から:28(11/13)
- 笠(りゅう)信太郎は、一般的に「リベラル」といわれる戦後の朝日新聞の論調を築き上げた一人だ。 戦時中、著作などで官憲ににらまれた。戦後は論説主幹を務めた1948年からの激動の14年、……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:137)沖縄から:27(11/12)
- 沖縄を日本に復帰させるため、アメリカの軍事機能をどうすべきか。本土の記者はどう考え、新聞はどう報じたか――。 少し時間を戻そう。 1967年、アメリカでのことだ。 朝日新聞の特派員だ……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:136)沖縄から:26(11/11)
- 沖縄にはいったいどんな部隊が配備されているのか。 アメリカ陸軍の第7心理作戦グループは以前から問題になっていたが、暴露会見後の1971年4月22日、衆議院の沖縄・北方問題特別委員会で……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:135)沖縄から:25(11/10)
- その告発者は、おとなしそうなアメリカ人青年だった。 アメリカ陸軍の2等軍曹、デイビッド・ポプリン。当時20代。沖縄に駐留していた「第7心理作戦グループ」に所属する下士官だった。 19……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:134)沖縄から:24(11/09)
- 沖縄のアメリカ軍基地の敷地内。兵士にビラを手渡したり、人の集まる場所にまとめて置いたり。ベトナム戦争に反対する「反戦米兵」のグループに連絡するよう求める言葉が書かれている。 「ビラを……[続きを読む]
-
- (新聞と9条:133)沖縄から:23 (11/06)
- クイック・キリング・トレーニング――「早殺し訓練」とでも訳すのだろうか。 復帰前の沖縄。朝日新聞那覇支局長だった井川一久(81)がそれを見たのは、かつて本島北部・宜野座村にあったアメ……[続きを読む]
WEBRONZA・WEB新書の検索結果
企画特集
- 〈&TRAVEL〉ココをみてから旅行に行こう!今すぐチェック
- 【入会特典付き】 三井住友トラストカード
- テリー伊藤が日本で一番好きな温泉宿?全国のホット温まる温泉情報が満載!
- 子どもの「主体的に学び続ける力」を育てる
- 郵便受けに見慣れない印が!それ、狙われているかもしれません
- 内田恭子さんが語るトシナカライフスタイル
- 柔道家、野村忠宏さんと考える社会で活躍できる人材の育て方
- MBA、夢じゃない社会人大学院
- R25編集部員がオススメ!全部無料!便利&ハマるアプリTOP10
- オンライン学習サービスをうまく使って英語学習も完璧【今なら1か月無料】
- 【大好評!東京ガスの電気】ピッタリなサービスを5秒で診断!
登録:
投稿 (Atom)