首相と官邸記者が懇親会、翌朝読売日経産経が社説で森友学園
2月28日新聞社説一覧
http://www.geocities.jp/ktaro38/
読売「社説」 goo.gl/Vcwzz
森友学園問題 適正な国有地売却だったのか
日経「社説・春秋」 goo.gl/fF4X
首相は国有地売却の疑問解明に指導力を
産経「主張」 goo.gl/VlYytw
国有地売却 疑義残す取引は許されぬ
上野千鶴子氏の発言を読んで思ったこと。
上野千鶴子氏の中日新聞紙上での発言が話題になっていました。炎上と言ってよいかと思います。上野氏の発言はこちらで全文読むことができます。Togetterもできていました。
上野氏の発言を簡単にまとめます。カギカッコの中は引用です。
- 日本は今転機にある。最大の要因は人口構造の変化。
- 人口を維持するには自然増か社会増しかない。自然増は無理だから社会増、すなわち移民の受け入れしか方法がない。
- したがって、日本には次の選択肢がある。「移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。」
- 「移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。」世界的な排外主義の流れがあり、さらに日本人は単一民族神話を信じているから多文化共生には耐えられない。
- 結局自然増も社会像も無理だから「日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。」
- 「日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。ところが、日本には本当の社会民主政党がない。」
- 日本の希望はNPOなど「協」セクターにある。様々な分野で問題解決してる。人が育ってきている。
- 憲法改正論議についても心配していない。 日本の市民社会は厚みがある。
ネットを見ていると「移民を治安悪化に結びつけるな」「平等に貧しくなるはずなどないだろう」といった批判が多いようです。もっともだと思います。自分としても突っ込みたいところはいろいろあるのですが、「最後はNPOと市民社会に丸投げ」という論の持っていき方に対して感じた残念さについて少し書いておきたいと思います。
一言で言えば、NPOだけの力で数多くの弱者をカバーできると考えるのは現実が見えていなさすぎです。ソーシャルセクターが豊かになっていくことはとても重要なことですが、NPOがいるから国家がいらなくなるのではなく、国家の再分配機能の強化と合わさって初めて、社会のなかの広い範囲に対して十全な支援の手が届きます。国家とNPOが純粋な意味で代替的な関係にないのは明らかです。
上野氏はいろいろな活動に近いところにいるでしょうから、そんなことなどよくわかっているはずだと思います。ですが、移民受入を加速させること、再分配機能を強化することがそれぞれ政治的にとても難しいということも同時に感じており、そのうえで、その困難をどうやったら乗り越えられるかと考えるのではなく、「無理なものは無理なんだ」と言っているだけなのではないかと感じました。批判の起点になりうる認識が、現状追認に堕してしまっているように私には思えます。
少し調べてみると、上野氏は2014年の記事でも同じような趣旨のことを言っています。政権が女性労働力を活用しようとしているが、日本では行政が保育所などのインフラを整えることもできていないし、移民を入れて安い賃金でベビーシッターを頼むということもできない、だから難しいのだというようなことを言っているわけです。
出産後もバリキャリとして働き続ける女性がいても、子どもの面倒を見てくれる“祖母力”があるなどの条件をクリアしたレアケースに過ぎません。それ以外に「育児を外注する」というオプションがあるはずですが、北欧のように国や社会が責任を持って保育所などのインフラを整備する「公共化オプション」も、アメリカのように移民労働力を格安の賃金で雇って育児を任せるという「市場化オプション」も、日本では極めて限られている。だから日本の女たちは追いつめられているのです。
政権の女性活躍、一億総活躍という掛け声に対して、「国家や社会の側としてそれを支える準備ができていないのではないか」という指摘は、現状に対する批判的な認識という意味では必要なものだと思います。しかし、その認識からはじまって困難な現状を追認するというストーリーしか紡ぎえないのだとしたらやはり残念だと感じざるを得ません。というのも、実際、上野氏は同じ記事の結論に近いところで以下のように述べているからです。
現在20代や30代の若い女性たちも、ゆっくりまったりと生きていけばいいじゃないですか。成熟期の社会では、皆が髪を振り乱して働き、他人を蹴落としてまで成長していかなくてもいいんですから。賃金が上がらないといっても、外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着ていれば、十分に生きて行けるし、幸せでしょう? 東日本大震災の後、日常が何事もなく続くのが何よりの幸せだと多くの方々は痛感したはずです。
結局この結論なんですね。貧しさを受け入れよ、貧しさに慣れよ、生活レベルを下げて、生活レベルが上がっていくという夢を捨てて、自分の稼ぎでギリギリ生きていける人生を生きていけ。こういう自助の勧めが結論になってしまうんです。しかも、東日本大震災の経験がある種の脅しのような形で最後に添えられている。あの悲惨に比べたら慎ましい日常はよほどましだろうというわけです。
そこには社会で同じ時代を生きる人々が連帯して、今とは別の、今より良い社会のあり方を構想し、実現に向かって努力していこうと訴えるリーダーシップのようなものはありません。難しいものは難しいというある種の諦念と、全員を救うことはできないから一人一人が自らを救え、という自己責任の陳腐で乾いた掛け声があるだけです。
この記事の最後はこう締められています。最後のリンクは「うわっ…低すぎ?もらいすぎ?!」と書かれた「年収&お仕事相性診断」のサイトへと飛ぶようになっています。記事の趣旨は明らかですね。
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難しい現状があるとき、今とは異なる理想を語ることがバカらしく思えたり、冷ややかな目で見られることはよくあることです。もしまだ知識人の役割というものがあるとすれば、そんな冷ややかな目線を軽く跳ね返し、現実的な社会状況とも正しく折り合いをつけながら、理想に近い道がどこにあるかを探り続けることではないかと私は思います。
移民を受け入れることが難しい。ならばどこをどう変えたらその難しさを緩和できるか。社会民主政党が存在せず国家の再分配機能を強化することが難しい。ならばどこをどう変えたらその難しさを緩和できるか。これらの問いに向き合い続けなければ、上野氏と似たような結論から抜け出すことはできません。自分は考え続けるつもりです。
プロフィール
望月優大(もちづきひろき)
慶應義塾大学法学部政治学科、
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