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緊急対談 衆院選で問われる日本政治の新しい対決軸、リベラル陣営のリアリズムとは(山下芳生×中島岳志)
2017年10月14日
衆院選の投票日が刻々と迫る。「安倍vs.小池」の対決構図が作られる中で、従来の「保守vs.革新」という枠組みは崩壊した。リベラル陣営は「野党共闘」を進め、日本の政治の対決軸は新しい構図となったが、保守と共産党は主張を同じくできるのか。リベラル陣営の一翼を担う共産党に、保守思想に基づく本来の保守を唱える中島岳志『週刊金曜日』編集委員が、とことん意見を付き合わせた。
中島 岳志
なかじま たけし・東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授、『週刊金曜日』編集委員。1975年、大阪府生まれ。ヒンディー語専攻。インド政治や近代日本の思想史を研究。著書に『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(2005年、白水社)、『「リベラル保守」宣言』(13年、新潮社)、『アジア主義 その先の近代へ』(14年、潮出版社)、『親鸞と日本主義』(17年、新潮選書)など。
中島 私はこれまで、保守思想に基づいての思考や議論をしてきましたが、今の自民党をはじめ日本で「保守」を掲げる人たちには強い疑念を持っています。これは従来の「保守vs.革新」という枠組みが崩れているからで、衆院選を前に、その枠組みを見直す必要があると思っています。
保守の立場から自分自身の話をすると、私は今まで共産党に投票したことはありません。けれど、自民党を選択する可能性はどんどんなくなっていて、このところは民進党をさまざまな面からサポートしてきました。この中でここ数年間、面白い現象が起きています。新聞社などがやっている、自分の考えと各政党のマニフェストとの相性診断をしてみると、どれをやっても結果は共産党になるんです。保守の論理を追求すると、内政面では共産党の政策と近くなる。
山下 芳生
やました よしき・共産党副委員長。1960年、香川県生まれ。大学卒業後、大阪かわち市民生協に勤務。95年、参院大阪選挙区に35歳で初当選。2001年には「党リストラ反対・雇用を守る闘争本部事務局長」となり、全国の職場・地域を巡る。07年に6年ぶりに参院議員に再選し、13年に3選。14年党書記局長、16年副委員長に就任した。モットーは「あったかい人間の連帯を国の政治に」。
山下 今のお話で思い出したのは、2015年10月の宮城県議選で、“保守の地盤”といわれた大崎市選挙区において初めて共産党の県会議員が当選した時のことです。勝利できたのは、JA(農業協同組合)の県中央会の会長やその地域の元首長、議会の議長など保守の方々が本気で応援してくれたからです。
この年の9月に安倍政権は安保法案を強行採決し、さらにTPP(環太平洋連携協定)へとまっしぐらに向かおうとしていて、みなこれに怒っていた。中島さんが政党との相性診断で共産党に行きつくというのも特別なことではなく、安倍政権の暴走によって、保守を自任し、地域の絆を大切にしてきた方々がさまざまなところで立ち上がっている。
本来の保守から見ると安倍首相は「デタラメ」
中島 安保法制に対して本来の保守が最も怒っているのは、その決め方です。保守は、懐疑主義的な人間観を持っている。それは、理性は不完全で万能でないという考えからくるもので、「多くの庶民たちによって形成されてきた良識や経験値を大切にして、徐々に変えていこう」という考えが保守思想の王道だからです。
それゆえに保守の言う民主主義とは、単純な多数決ではない。少数者にも理があるので意見を汲み取りながら合意形成をして、前に進めていくというもので、大平正芳さん(注1)などの保守政治家が実践してきたことです。大平さんは共産党とも社会党ともさまざまな議論をしながら合意形成をしていた。それが政治における保守の人間の肌感覚、人間観なんです。
しかし、安倍晋三首相には決定的にそれが欠如している。国会というものを非常に軽視し、議論というよりは単に時間をクリアすれば安保法案は通るんだという姿勢を取り続けた。これに対して保守は、「あいつはデタラメだ」と感じているし、違和感を持っています。自民党の重鎮の方々にも、同じ感覚を持っている人が多くいると思います。
山下 私は大阪に住んでいますが、「日本維新の会」の法律顧問の橋下徹さんもその典型かもしれないですね。選挙で多数を得れば、後は何をやっても許されるんだという考えに立っていて、民主主義とは相対する。
選挙で決まった力関係で何をやってもいいというのであれば、議会はいらないわけです。安倍さんも、自分は選挙で選ばれ、国会で首相に指名されたんだから、文句言うなというやり方。7月の東京都議選の応援演説の時に市民に向かって「こんな人たち」という発言をしたことにも象徴されている。これは非常に危ないことです。
中島 それで現在の政治状況を把握するために、<図>を見て考えていきたいのですが、縦軸はお金、つまり再配分の問題です。税金を集めて、それをどこに使うかという非常に強い権限を政治は持つわけですが、下に行けば行くほど小さな政府になります。つまりリスクの個人化が図られ、自己責任にされてしまう社会。上に行けば行くほど、それを社会みんなで支え合うというセーフティーネット強化型の大きな政府になる。
横軸はリベラルとパターナルという価値観の問題です。リベラルは、基本的に個人の内的な価値の問題について権力は土足で踏み込まないという原則を持つ。これは寛容ということです。その反対語は、保守ではなくてパターナルで、価値を押しつける権威主義や父権制といった観念のこと。これは夫婦別姓、LGBT(性的少数者)の権利、歴史認識の問題などに現れやすい。
明らかに今の自民党は〈ローマ数字4〉の一番下のラインに位置すると思います。日本は、租税負担率や全GDP(国内総生産)に占める国家歳出の割合、公務員数などあらゆる指標がOECD(経済協力開発機構)諸国最低レベルとなっていて、もはや自己責任がいきすぎている社会です。
小池百合子さんも〈ローマ数字4〉に属します。彼女はかつて夫婦別姓に大反対しており(編集部注・「希望の党」は「寛容な保守」をアピールするために選択的夫婦別姓の導入に取り組んでいくとしている)、完全に思想的にはパターナル。極右的で歴史認識もひどい有様です。
山下 永住外国人の地方参政権反対を希望の党の公認候補になるための踏み絵にもしていましたよね。
中島 そうなんです。小池さんはリスクの個人化や規制緩和を促進してきた。生活保護の受給に厳しい発言を行ない、自助を強調してきた。それなので、現在「安倍vs.小池」と言われていますが、これは〈ローマ数字4〉という狭いコップの中の争いでしかありません。パターナルかつリスクの個人化が極まった〈ローマ数字4〉の一番下のラインに位置する日本を〈ローマ数字2〉の方向に向かわせるためには、〈ローマ数字2〉の軸をしっかり作ること、つまり野党共闘ということになる。
ただ、〈ローマ数字2〉は部分的には〈ローマ数字1〉や〈ローマ数字3〉と連携ができるかもしれないけれども、(ローマ数字4)と組むことだけは絶対にしてはいけない。しかし民進党は小池都知事を代表とする希望の党と組んでしまったので、わけがわからないことになっています。民進党の前原誠司さんがやったことは政治の問題以前の話で、保守って最後はシンプルに「仲間を裏切ってはならない」という常識を重視しますが、それすらも守れていない。
自民党もかつては、田中角栄さんなど旧経世会(注2)が〈ローマ数字1〉で、大平さんなど宏池会(注1参照)が〈ローマ数字2〉でした。このバランスでやってきたはずでしたが、1990年代後半から一気に下のラインにきている。ここを取り戻したい。公明党は本来〈ローマ数字2〉ですが、政権にすり寄ることで生き残りをかけようと、〈ローマ数字4〉であることに甘んじています。
「暴走政治」をリセットできない希望の党
山下 BSフジの討論番組で先日、希望の党の若狭勝さんと同席したんですよ。若狭さんは民進党から希望の党に移籍する人の選別係で、その基準は安保法制を容認すること、9条を含む憲法改定に反対しないことだと説明していました。小池さんはしきりに「リセット」と言うけれども、選別基準は安倍政権による暴走の最たるものです。それをリセットしないのなら、自民党の補完勢力でしかないじゃないかと指摘すると、若狭さんは「自民党の補完勢力を作るために希望の党を立ち上げたんじゃありません」と色をなして反論していましたが、説得力を感じられなかった。安倍自民党と小池希望の党の間には対立軸がない。
今年1月に共産党が党大会で打ち出した、日本の政治の新しい対決の軸である「自公とその補完勢力」対「野党と市民の共闘」の構図は、現在も同じだと思います。こうした構図に至る背景には、2015年に起きた安保法案廃案を求める市民運動が、野党間にあった壁を壊してくれたことがあります。野党は、初めは「充実した審議」で一致し、次は「(安保法案)成立阻止」で一致し、最後には「内閣不信任案を共同提出」というところまで向かっていった。強行採決された後も、安保法制廃止のうねりが起き、翌16年の参院選での野党共闘につながりました。
今回、その一翼を担っていた民進党が希望の党に吸収され、非常に混乱もしましたが、再び市民のみなさんが声を上げてくれる中で立憲民主党ができた。安保法制廃止と安倍9条改憲反対、立憲主義回復を貫く流れの中から新しい党が生まれ、復元力が発揮されたのは、この2年間の野党と市民の共闘の積み重ねがあったからこそだと思います。
中島 重要なのは、立憲主義を回復するという共通意識です。立憲主義は、「人間は不完全なので、権力も暴走する。だから、それに対して国民の側から縛りをかけないといけない」というもの。同時に、保守の立憲主義は、英国的な立憲主義の考え方と同じなのですが、基本的に国民が権力を縛っていて、この国民の中には死者が含まれていると考える。つまり、過去の多くの蓄積の中でさまざまな経験を積み重ねてきた人たちの思いというのが、現在の政府までを縛っていると。
この死者たちの積み重ねてきた歴史の上に現在の自分というものを捉えているので、英国人は今の人間が特権的に何かを明文化するということに対して慎重ですし、明文化できないと判断してきた。そのため、英国には単一の憲法典として成文化されたものはありません。その都度、マグナ=カルタ(注3)や権利の章典(注4)、慣習法や判例の積み重ねによって判断されてきた。
山下 日本の憲法にも、アジア・太平洋戦争で犠牲となった310万人の日本人と2000万人とも言われるアジアの人々の“死者の叫び”が込められていると思います。
雑誌「暮しの手帖」編集部が約50年前に読者から寄せられた投書を編纂した『戦争中の暮しの記録』という本があると知り、復刻版を取り寄せて読んでみました。そこには突然の召集で一家の大黒柱だった夫を戦地にとられ、幼子とともに残された妻の、「この苦しみを二度とくりかえされないようお願いしたいものです」と結ばれた手記や、焼夷弾の猛火の中を幼い弟と逃げるも、ついに両親には会えなかった姉の、「いつかは両親が訪ねてきてくれると信じていたかった」と記された手記など、人々の日常の暮らしが戦争によってどのように変えられてしまったかが、250頁にわたって記録されていた。
創刊者であり編集長だった花森安治さんは後書きに、「どの文章も、これを書きのこしておきたい、という切な気持ちから出ている。書かずにはいられない、そういう切っぱつまったものが、ほとんどの文章の裏に脈うっている」と書いています。
日本国憲法は、多くの日本人が持っていた「切な気持ち」の中から生まれ、歓迎され、定着し、そして今も力を発揮し続けている。
中島 若狭さんは希望の党設立前、新党の一番のテーゼは一院制にすることだと言っていました。ですが、国家意思を決めるのに時間がかかる二院制を取っているのは、死者からの私たちに対する歯止めなんです。これを簡単に崩壊させることはあってはならないし、安倍さんが議会内の慣習などを平気で破り、閣議決定によって憲法の解釈を変えていくやり方も見すごせない。この姿勢は、死者の経験値をないがしろにすることで、死者に対する冒涜です。
大切なものを“守る”ための改革が必要
中島 そこで<図>の〈の軸、野党共闘について考えてみると、保守である私の考えと共産党の挙げる政策には一致点が非常に多い。最近、面白い論考が『中央公論』10月号に出ていて、世論調査をしたところ、共産党を保守の側だと位置づける若者が多いというんです。これは、国民の生活を守る、地方における零細企業の雇用を守る、グローバル資本主義経済の餌食にならないよう農家の所得を守るなど、共産党が「生活の地盤を守る」ということを非常に強く言っているからだと思います。それが若者にとっては大変保守的なものだとうつる。
私はこの若者の感覚はするどいと思っていて、私自身もここ5年ほど、保守を考えれば考えるほど共産党の主張と近くなっていくという現象を体験しています。「大切なものを守るためには変わらないといけない」というのが基本的に今の共産党の政策だとするならば、保守の哲学者エドマンド・バークが言ってきた「保守するための改革」ということとまったく同じなんです。
共産党はTPP反対であり、日豪EPA(経済連携協定)や日米FTA(自由貿易協定)についても非常に厳しい立場ですので、グローバル資本主義や新自由主義の暴走への対峙というその姿勢も私と一致します。さらに、大企業に課税し、引き下げられすぎた所得税の最高税率を元に戻すべきだとする共産党の姿勢も当然の話で、安倍さんの言う消費税増税より先に手をつけないといけない。内部留保を社会に還元して、最低賃金を上げるという共産党の政策もその通りだとしか言いようがなく、保守的な政策に見える。
山下 アベノミクスは開始から5年弱経つのに、恩恵の実感を持つ人が非常に限られている。これは失敗であったと位置づけられるべきものなのに、自民党は今回の選挙公約にアベノミクスの「加速」を挙げています。グローバル資本主義や新自由主義のもとで、安倍さんのやっている政治は、ごく一握りの富裕層と大企業の利益をさらに増やしているだけにすぎません。「大企業が豊かになれば、やがて富が国民全体にしたたり落ち(=トリクルダウン)、経済が成長する」という説明でしたが、大企業の利益は史上最高を更新し続けているのに、労働者の実質賃金はずっと減り続けている。中間層がやせ細り、貧困層が増大しています。
その最大の原因は、1990年代の雇用破壊だと思います。1999年の労働者派遣法改訂により雇用の規制が緩和され、派遣労働が基本的に自由化されました。2004年には製造業への派遣も解禁された。こうして、どんなに企業が利益をあげても、それが労働者にトリクルダウンしない仕組みが作られ、企業の内部留保が膨らみ続けている。
日本経済全体が健全に成長発展するには、労働者派遣法を抜本改正して規制を元に戻す、中小企業の支援とセットで最低賃金を引き上げるなど、内部留保を社会全体に還元する政策を進める必要があります。破壊された雇用のルールを再構築しなくてはいけない。
中島 その通りだと思います。私は保守の立場から派遣労働に反対してきました。福田恆存という戦後保守を支えてきた文芸批評家の著書『人間・この劇的なるもの』(56年、新潮社)が私の座右の書なのですが、ここでは人間は演劇的な動物であると述べられている。社会の中で人間は役割というものを演じ、その役割を味わいながら生きていると。自分がその場で必要とされ、役割が与えられているということが人間にとっては重要だと彼は言っている。
これはきわめて保守的な人間観だと思います。しかし、派遣労働あるいは非正規労働は、ここを破壊する。とくに派遣労働者は、現場で「派遣さん」と呼ばれ、代替可能性というものを常に突きつけられている。
アベノミクスには“未来”がない
中島 アベノミクスも保守としてどうおかしいのか考えると、企業の内部留保の問題に行きつきます。アベノミクスは一時的な現象であって、未来は不安定だと考えているから、企業は内部留保を貯める。数十年先の安定的なビジョンと政策があってこそ、思い切った投資や企業の活性化というものができるわけで、それがない以上、みんな内向きに縮小していく。中小の零細企業まで政治が支えていくという体制がなければ、経済の循環は生まれません。
アベノミクスは年金をさまざまなマーケットにつぎ込み、結果、そのお金はグローバル企業に流れていっており、これが日本の土台をどんどん潰していっています。こんなことをしている人間に保守を名乗ってほしくない。
山下 派遣労働者は90年には全国で50万人でした。しかし、2008年のリーマンショックの直前には400万人にまで増えていた。「若者が正社員になれないのは、働く意欲と能力が足らないからだ」という自己責任論も盛んに振りまかれましたが、個々の若者の「意欲と能力」の問題にしたのでは、派遣労働のこれほどの急増は説明がつきません。雇用のルールを変えた政治の責任なのは明らかです。
リーマンショック後、派遣切りの嵐が吹き荒れ、08年末から09年初めにかけて派遣切りされた人たちに食事や居場所を提供するために東京・日比谷公園に「年越し派遣村」が開設されました。非正規雇用というのは、単に不安定で低賃金な雇用というだけではなく、いざという時には使い捨てられ、住むところまでなくなるんだということが可視化された。
リーマンショック後、首都のど真ん中に派遣村が出現したのは、日本くらいじゃないでしょうか。それほど雇用と社会保障のセーフティーネットがない。全国各地で派遣切りされた労働者への支援、労働組合を結成するなど闘いに立ち上がった労働者への連帯が広がり、共産党は、「だれもが人間らしく働けるルールある経済社会」をキャッチフレーズに、国会論戦と政策活動に取り組みました。
中島 私は自民党ではなく共産党のほうが、正しい意味での「愛国者」だと思っているんですよね。愛国というものはもともと「民主」という概念とともに生まれてきたものなんですが、少なくとも困っている国民がいたら、ちゃんと助けましょうという連帯意識が含まれている。もちろん排外主義にならないようにリベラルな規制がなければいけないんですが、それがまっとうな愛国。日本共産党という名前の意味は、多分そこにあるんですよね。
山下 はい、「国民の苦難軽減」が立党の精神です。
中島 自己責任という観念についても、ちゃんと乗り越えていかなければいけない。社会的な弱者として位置づけられる人たちが自己責任論に魅了されてしまうケースもあります。維新の橋下さんが典型で、「自分はこんなに頑張って這い上がってきたんだから、この人生を認めてほしい」という承認欲求や実存的アピールが自己責任論になっている。この構造をうまくほぐさないといけない。
批評家の小林秀雄が面白いことを言っていて、伝統がどういう時に現れるかというと、大きな破壊の嵐に見舞われた時だというんです。これを現在に当てはめて考えると、自民党や維新、希望の党の人たちが破壊者であり、それに対して伝統を大切にせよと言うのが共産党と本来の保守ということになる。
山下 競争と分断を特徴とする新自由主義の政治の暴走に抗う中で、私たちと保守の方々との接点が広がり、地域での連帯がむしろ再生されてきたと感じます。
中島 おっしゃる通り、破壊者が出てきた時にようやく、共産党と保守の溝が埋まった。なんだ、同じこと考えていたんじゃないかって(笑)。
脱原発、対米従属からの脱却、安倍9条改悪反対というリアリズム
中島 原発についても同じで、保守の人間は原発なんてそう簡単に推進できない。少なくとも福島における伝統、慣習っていうものの総合体を失っているわけですよね。大量破壊兵器や原発は慎重に避けるべきであるというのが保守の叡智であると思うんです。つまり原発は廃止したほうがいいということになる。ここの考えも現在の共産党と一致していると思いますが、それは、ある種の科学万能主義っていうところから、共産党も変わってきているからだと思います。
山下 原発の焦点は今、再稼働の問題です。希望の党の小池さんは「原発ゼロ」を目指すと言う反面、原子力規制委員会が認めた原発は再稼働させるとも言っている。しかし、規制委員会の規制基準というものが、いかにいい加減なものか。そもそも福島第一原発事故の原因さえ究明されていないんですから。
共産党は、ただちに「原発ゼロ」の政治決断を行ない、再稼働させずに、すべての原発を廃炉のプロセスにのせるべきだと考えています。3・11をきっかけにして2013年から約2年間、国内の原発が一基も動かなくても電力は足りていたわけですから。原発なしでも日本社会はやっていける。本当に「原発ゼロ」を目指すなら、再稼働は必要ありません。
私は希望の党の「排除の論理」も気になっています。先ほど話した若狭さんと同席した討論番組の中で、彼は選別基準を二つ示した後に、「私は検察官出身。嘘を見抜くプロだ」とニタニタしながら言ったんです。ゾッとしました。かりにもこれから同じ党の同志になろうという人に対して発する言葉なのかと。一人ひとりを大事にして、包摂していく政治や社会を作ることができるとは思えません。
これが永住外国人の地方参政権反対という主張にもつながっている。永住外国人は納税もしているわけですから、地方参政権を付与されるのは住民自治の見地からも当たり前です。これに反対する小池さんが、東京オリンピック・パラリンピックを主催することの矛盾も感じます。
中島 そういった主張を聞いていると、どこが「寛容な保守」なのかと思いますよね。
山下 もうすでに「寛容」でないことは見透かされつつありますが。
中島 日米関係については、本来の保守は基本的に、米国の従属に対して主権を取り戻せという立場です。日本の国土の中に実質的な治外法権の場所があるというのは、半独立国であるということ。さらに現状のまま集団的自衛権を認めるとなると、日米安保は完全な不平等条約になります。日本は米国を守らなくていい代わりに、基地を提供し、思いやり予算を提供してきた。
しかし、集団的自衛権が双方向的なものであるということになると、バーターが成り立たなくなる。日本に米国の軍事基地が残るという不平等性が顕在化する。なんで保守派を称する人たちが、喜んで不平等条約を抱きしめているのか。
山下 対米従属の問題を考える時、その「米」の世界戦略が今どのような状況に陥っているのか、検証する必要があると思います。01年のイラク戦争、03年のアフガン戦争は、数十万人の市民の命を奪い、泥沼の内戦を作り出し、「テロ」を世界中に拡散させて、IS(「イスラム国」)のような過激な武装組織が出現する要因となった。世界にこうした状況をもたらした米国の軍事的覇権主義は大破綻しています。その破綻した米国のやり方に追随していくのが安保法制です。そこに未来はあるのでしょうか。
非現実的な自民、希望、維新の主張
中島 自民党や希望の党の人たちは、リアリズムというものが日米安保にあると言うんですけども、これはまったくリアリズムを欠いている。冷静にリアリズムという観点に立つのであれば、これから10年、20年のスパンで考えるべきで、そこを見据えると、日米安保こそヤバい。米国のトランプさんが大統領選の時に、「在日米軍の経済的負担を日本が担わなければ、米軍を撤退させる」と言っていたのは米国人の本音で、さらに今は米国で日本は核武装すべきだという議論やデカップリング論(引き離し論)が非常に強い形で出てきている。
これはなぜかというと、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が大陸間弾道ミサイル(ICBM)を完成させると、防衛構想がかなり変わるからです。ICBMが飛んでくるとなると、米国も大きな被害を受けるので、北朝鮮の日本への攻撃に対する報復に慎重になる。集団的自衛権は割に合わなくなる。日本をサポートすることによって、ワシントンやニューヨークが核攻撃の対象となり、火の海になるかもしれない。
米国ではどんどん日米の切り離し論が現実味を帯びているんです。そうした時に、日本の安全保障はどうするのかというと、アジア諸国のアライアンス(連携)を強化しながら、アジアの国々となんとか緊張緩和を図っていくいくしかない。これがリアリズムだと思うんです。
山下 北朝鮮の核ミサイル問題をリアリズムで見ると、米朝間で軍事的緊張がエスカレートする中、最も懸念されるのは、当事者たちの意図にも反して偶発的な事態や計算違いによって軍事衝突が起こることです。このことはペリー元米国防長官も、ジェフリー・フェルトマン国連事務次長も指摘しています。これを避けるには米朝が直接対話をするしかない。もし戦争が起こればその時は核戦争ですから。そうなれば、安倍さんが言っている「国民の命と安全を守る」なんてことはできるはずがない。本当に「守る」ということに責任を持つのだったら、米朝の軍事衝突の危険をなくすことです。それには対話しかないんです。
同時に、米国も核保有国なので、北朝鮮に核放棄を説得しようがありません。やはり北朝鮮の問題を根本的に解決しようと思ったら、7月7日に採択された核兵器禁止条約を米国や日本が率先して批准すべきです。
中島 完全に同意します。さらに北朝鮮問題を考える上でも、原発は廃炉に決まっていると思います。ミサイルを撃ち込まれたら終わりですから。なぜそのリアリズムを軽視するのか。「保守」を掲げる人たちは、共産党が最終的には自衛隊廃止と言っているので国防問題について無責任だと言いますが、私はこの議論は違うと思います。共産党は即時の自衛隊廃止は謳っておらず、当面自衛隊というものは必要であるとしている。しかし長期的な理想的ビジョンとしては、それを縮小しながら廃止に持っていくんだと。そういう二段構えなわけです。
これは基本的に保守と同じ発想です。福田恆存さんは、現実的な防衛論を説く自分の超越的な観念には、絶対平和という観念があると言っている。哲学者カントの言う統整的理念と構成的理念で考えるとわかりやすいのですが、前者は、絶対平和、まったく武器のない世界など、おそらく人間が不完全である以上そう簡単には実現しないような理念で、後者は、現実的な政治の場面におけるマニュフェストのような一個一個の理念です。理念というものは二重の存在でなければ成立しない。共産党の理念はこの構造になっている。
山下 安倍さんが変えたがっている憲法9条も、悲惨な戦争への反省から生まれてきた人類社会が進むべき理想ですから、統整的理念ですよね。
中島 9条には、自衛隊の縛りをどう考えるのかという構成的理念も含まれるべきだと私は考えていますが、これを具体化するのは安倍さんのもとでではない。
山下 「安倍政権のもとでの憲法9条改悪に反対する」というのが、野党の党首合意で、市民連合ともそういう一点で野党共闘が再生されているわけです。今は一致する点を大事にし、相手のことをよく知り、相手の立場に立って考える、これが共闘だと思っています。
中島 その姿勢が基本的な民主主義であり保守的態度だと思います。日本が〈ローマ数字2〉の方向に向かってほしいです。
10月6日、東京都・共産党本部にて
写真・まとめ/渡部睦美(編集部)
※『週刊金曜日』10月13日号に加筆修正しました。
(注1)「保守本流」の政治家。吉田茂氏以来の旧自由党の流れを継ぐ自民党派閥の原点・宏池会の会長に1971年に就任。72年に田中角栄首相の外相として日中国交正常化を実現させた。
(注2)現在の平成研究会。田中(角栄)派である竹下登元首相や金丸信元自民党副総裁らが旗揚げした自民党内の派閥。
(注3)国王の権限を制限する内容などが盛り込まれた、立憲主義の出発点となる憲章。1215年制定。
(注4)1689年、名誉革命直後に制定された、王権の制限、議会の権限などを定めた文書。